墨田区の東京スカイツリーの駅名は、建設前まで業平橋駅といいました。在原業平にちなんだものであろうと、地元の人はそう思い込んでいます。
昔々。東下りの途上にある男の一行は、武蔵・下総の国間を流れる隅田川を船で渡る。果てしなく遠くまで来たものだと皆が心細さを感じつつ都を恋しく思っていると、鳥が水面を気ままに泳ぎながら魚を獲っているのが見えた。都では見ない鳥なので船頭にその名を訊いてみると、「都鳥(みやこどり」だという。そこで男は次のように詠んだ。
名にし負はば いざ言こと問はむ 都鳥 我が思ふ人は 有りや無しやと
(その名を持つからには、さぞや都の事情に詳しいのだろうから、さあ尋ねよう、都鳥よ。やむなく都に残してきた、私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと)
それを聴いて船に乗っている人は一人残らず泣いてしまいました。
在原業平がモデルだと言われる伊勢物語の一部です。都鳥は別名、ウミカモメ。川を流離う男の心情に、白い素朴なウミカモメがオーバーラップし、彼女は乱舞するのです。
『武蔵野及其周囲』という江戸時代の書物に、一行が泣いた後日譚が書かれました。
隅田川で船が転覆して多くの人が亡くなりました。業平はその人々を弔い、像を刻み村人に与え、法華経を写経して塚に納めました。この塚を業平塚といいますが、今は何もありません。この塚の傍らに南蔵院が創建されました。そこには橋が架け渡され、業平橋と名付けられました。
この伊勢物語の業平の話は少々嘘くさいのですが、船が沈んだ隅田川のあたりに架かる橋は言問橋といいます。悪乗りのついでに、名付けたのでしょうか? 南蔵院は本所吾妻橋駅近くにあったようです。近代的な橋の上で、平安装束の業平がユリカモメと戯れている情景が浮かんだりします。まあ、幻覚ですが。
言問橋を北上すると、謡曲「隅田川」の題材となった梅若丸の伝説が残るエリアがあります(墨田区堤通)
平安時代、これまた京の貴族の子である梅若丸が、人買にさらわれ連れ回された挙句に、隅田川のほとりで亡くなりました。そこに居合わせた高僧が、梅若丸の供養のために柳の木を植えて塚を築きました。1年が経ち、息子を捜し求めていた梅若丸の狂乱の母親が、塚の前で念仏を唱えると、そこに梅若丸の亡霊が現れ、悲しみの対面を果たした、という伝説です。なお、伝説に登場する塚は、梅若塚として、現在、木母寺内に再現されています。
業平も梅若丸も同時代の京の貴族。同じくさすらい、都落ちをして消えゆくのです。梅若丸は「山椒大夫」を彷彿とさせる悲しい物語ですね。 梅若丸は連れまわされて衰弱死。母は息子を失った悲しみから、鏡ヶ池(台東区周辺)に身を投げて自殺したという説があります。この謡曲は渡英して「カーリュー・リヴァー」というオペラになっているようです。
業平も梅若丸も背景が似ていますね。謡曲「隅田川」の中で「伊勢物語」を引用しているのだから当然でしょう。どちらも平安時代の貴族文化がベースにあり都落ち。みやこびとにとって遥か東国の川辺は殺伐とし、無常を感じる場所だったのでしょう。多分に京コンプレックスもありましょう。墨田区を南北に少し移動するだけで、この二つの伝説の舞台を巡ることができます。
言問橋周辺は、戦前から戦後にかけてスラムが形成され、対岸は「蟻の街」と称されました。
近くの東向島周辺は、かつて迷宮のような路地が続く私娼街「玉の井」でした。永井荷風『濹東綺譚』の舞台ですが、衛生環境が悪く貧困層が密集するエリアでもありました。「鳩の街」といわれた界隈です。
ちなみにうちの夫の生まれたのは向島で、従って私の本籍地でもあります。向島は、江戸時代から続く風情あるエリアで、現在も東京で最も多い芸妓が在籍する花街です。
なにかもの悲しい水辺の街でしたが、今はスカイツリーを迎えて、明るく笑っています。
最後に、梅若丸の辞世の句を紹介します。
尋ね来て 問はば応へよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬと
(都鳥よ 母が探しに来たら、私は隅田川の露となって消えたと伝えてほしい)」
都鳥ことユリカモメ
