森を見て木を見ず【介護の記録】 | アロマ&心理カウンセリング 心とからだのセルフケア @東京 調布

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心とからだの健康はセルフケアから。セルフ・カウンセリング、AEAJアロマテラピーアドバイザー・アロマハンドセラピスト資格認定教室 アロマシオン主宰
セラピストのためのweb制作も承ります。アロマ、カウンセリング、自然療法、Web制作のこと語ります

前回、母の介護を通じてのブログを書きました。
AEAJ認定教室 調布アロマシオン主宰、アロマテラピー研究室でも活動し、
web制作もしてる島田さつきです。

 

    

そのアロマの使い方 危険です

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前回のブログ

 

今回は、その続きです。

 

1996年よりカウンセリングの学びを始めました。

夫との関係性に悩み、その根源が自分にあると気づいたからでした。

その後、セルフ・カウンセリング®をはじめ、カウンセリングの学びを深めます。

セルフ・カウンセリング®は、自分がクライアントでありカウンセラーである、
自分の心のカラクリに気づく方法です。

 

心の問題の原因の大半は、元の家族、特に親子関係に遡ります。

学ぶうち、私自身もご多分に漏れず、父・母との関係性が浮き彫りに。

 

父は介護時期を数年過ごし、2017年には亡くなりました。

そして、現在、2018年から要介護となった母の介護通いが続いています。

ある学びでは、毎年レポート提出が必須で、心に起きた出来事を振り返ります。

前回は2019年に書いたレポートをブログにしましたが、今回は、2020年に書いたレポートを掲載します。

 

森を見て木を見ず

「木を見て森を見ず」

辞書には、物事の一部分や細部に気を取られて全体を見失うこと。
些細なことにこだわりすぎると本質を見落とすこと。とある。

 

私は逆にいつも、森ばかりを見て木に注意を払えない。

全体を整えるのにどうあれば良いか?ばかりに気を取られてしまう。

 

思い返すと子供の頃から輪の中に居るようで居ない。

一歩離れたところから皆の姿を見ているような所があった。

それを「俯瞰」といえば恰好がつくが、一人ひとりの心持ちに注意を払えないのだと最近しみじみ思った。

 


ここ5~6年は原家族のことで多忙で、2018年以来、母の介護は私の生活の半分以上の作業となっている。実際は家族と交代で週末に母宅へ行くくらいだが、家族の中で一番融通が利く私は、ケアマネとのやり取り、事務手続き、金銭管理や家族への連絡諸々…そういったことも私の時間を奪い、緊急時には私が出向くことになる。


2カ月前、母はめまいに襲われ良性発作性頭位めまい症と診断され、起き上がる時に酷いめまいがあった。再診しなければならないかもと思っていた矢先に、家で躓き尻もちをつき背骨の圧迫骨折に。

 

2年前にもあったが、今回はレントゲンで骨折がわからず様子をみても好転しないことから、再度MRIを撮り骨折と診断される。

その後、固定するコルセットを作ることになり何度も通院した。


私は、個人自営の仕事も持ち短期派遣を渡り歩きながら働いている。そのような短期仕事は基本的に突然の休みは取れない。というか、私は会社員時代も自営になってからも、自分が管理する側にいたため、突然休んで人に迷惑がかかるような真似ができない。なので、母のめまいと骨折で丸2ヶ月身動きが取れず派遣の仕事を棒に振った。

仕方ないこととはいえ私にも生活はある。


母は医師から「2~3か月はコルセットやってみましょう」とコルセットを着けたその日、帰宅し食事をすると、苦しいと言って取ってしまった。

 

それでは意味が無いので、寝る時以外は頑張って着けておくよう促すものの「気持ち悪くなる」と装着から4時間あまりで投げてしまった。

コルセットを作ると同意したのは母だ。それなのにたった4時間でギブアップか?

 

私は許せなかった。

 

病気になるのは仕方ない。周りで支えるのもできる範囲で今の所やれている。

しかし、そうするには周りの人の時間を使い医療費だって税金で賄っているのだ。

仕事とはいえ介護スタッフにも配慮してもらい、多くの人の手を煩わせている。


にもかかわらず当人のこの態度は何なのだ?

それがわからない程ボケているわけでもない。


この日、わがままな母の態度に怒り心頭なまま帰宅してハタと気づいた。


私はムダな通院で時間ばかり嵩むことに苛立ち、自分の身を削って母のために奔走したのに、その2カ月がムダになることが許せなかった。

この“報われなさ”が怒りに繋がっていると気づいた。

 

そして、私だけではない介護サービスにも面倒をかけ、税金をムダに使う母の行動。

これらは、全て事柄の全体像だけを計っていた。


母の言った「苦しくて気持ち悪くなる」は、食後、胃を圧迫していたこと。

コルセットの着け方に問題があったかもしれないこと。

ただ<苦しい>ということを訴えたかっただけかもしれないこと。

などが浮かんできた。

 

母の今までの前例から母の言動を<ただのわがまま>と切って捨てていたのは私の方だった。


ことはもっとシンプルだったのかもしれない。


そう気づいた時、“森を見て木を見ず” 

母の心情に心寄せることなく、全体像ばかりに注視していた私に気づいた。


“圧迫骨折を治す”欲求だけがそこにあり、その目的を果たすことが最優先だったのだ。

 

痛みが伴ってもやることはやるべき。ちっとも優しくなくて機械的だ。

やらなければならないことがある。そんなことは誰でもわかっている。

けれどもそうできないからこそ、人は悩むし葛藤するのに。


次には少しは母の心情を聞けるだろうか?
「コルセットは苦しくて気持ち悪くなったんだね」と。

次回に続く
『自分が変われば相手が変わる』昨年の宿題の行方【介護の記録】

 

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