学校にはすでに無関心…な人たちにこそみてほしい学校改革 | アロマ&心理カウンセリング 心とからだのセルフケア @東京 調布

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アロマとは一見関係ない、カウンセリングも少しは関連するけれど…というネタも、

世の中のことは、全て関連していると思っているので記事で取り上げています。

ワタクシ世田谷育ち。。。

アロマ&カウンセリング 心とからだのセルフ・ケアをあなたに、アロマシオンの島田さつきです。

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世田谷桜丘中。ここは40年前も荒れていた、まあ公立によくある学校だったと思う。
校長次第で変わる学校は、いくつも聞いたことがある。
これらの出来事は、「できない」ではなく「やる」を選択した結果なのだろう。
たいていの「できない」結果は、無意識の「やらない」を選んだ結果だからだ。

 

校則をなくしてみた中学校 「常識」に挑んだ校長の改革(西日本新聞)

 

ルールがあるから守らせようと躍起になる。子どもが楽しいはずがない。そんな思いを教師一人一人にぶつけた。靴下の色はなぜ白でないとだめなのか。セーターの色はどうか。一つ一つの疑問に生徒指導の教師も答えられなかった

【ルールは何のためだ?】
学校運営に限った事ではない。

その目的すら考えることもなく、「ルールは守るべき」という思考停止の理論に疑問すら抱かない。
以前は必要なルールだったかもしれない。

しかし、理由が述べられないのなら、それは既に不必要な死んでいるルール。
そして、時にそのルールはもっともらしく美しく聞こえるが、手足をもぎ、従順な社会人を造るための洗脳の一端であることも。

 

「本当に必要かどうかを考えた結果、校則がなくなった。教師も私の対応に面倒くさくなったのでしょうね」と言う。

【面倒くさい"やつ"になれ】
これ、言い得て妙、本当のことだと思う。

極めると誰もが「もういいよ、あいつのいうようにさせよう…」みたいなことになるのだ。
かくいう私もかなり面倒くさいやつだと思うが…

知っている方は、それを承知でいてくださるので本当に感謝しかない。

 

もちろんベテラン教師を中心に反発はあった。保護者も地域も理解するまでに時間はかかった。「最後はトップの判断。学校経営を担う校長には結構権限があるんですよ」

【権限と責任】
ここ、すごく重要。実際には、かなりの権限があるということ。
それを行使するもしないも、トップの判断であり、そこには責任を負う覚悟があるか無いかなのだ。
大抵の人間は、そんな覚悟などない。だって流れのままにただ何となく生きていれば、やがて安らかに死ねるからだ。
「しなくて良い苦労(命を脅かすこと)はしない」これが生き物の鉄則である。

けれど、この物質界で生きる目的を全うする人間であれば、本当に成すべきことは何なのか?
そこを思い出す方が、幸福なのではないだろうか。

 

保護者からはスマホを解禁したことで「子どもから欲しいとせがまれ困る」、遅刻をなくしたことで「朝、子どもが起きない」といった相談はある。ただ、西郷校長は「それは家庭の問題」と突っぱねる。

【誰の問題か】
学校でルールを作りそれに則してもらえれば(縛りをつければ)、親の仕事が減る。
そういう親側の意識が透けて見えるが、本来、スマホだろうが遅刻だろうが、本人(子ども)の問題
買い与えるかは親の都合だ。他者に委ねるのは、自分の人生を放棄してると同じ。
子どもにも考えさせる余地を与えず、考えない「バカ」を量産するのを、大人たちが黙っているのは違うだろう。

 

間もなく65歳になる西郷校長の再任用延長も本年度が最後になる。「出過ぎたくいは打ちようがない。今後も受け継がれると信じています」

出過ぎたくい…その覚悟はすごいんだよね。
ただ、私はこれを打たずに、くいを倒す勢力があるだろうとみてしまう。
しかし、くいを倒す輩を見逃さないのが、社会の目でもあると信じたい。

 

とりわけ「抵抗勢力」となるのが教育委員会だ。実は西郷孝彦校長は「校務の責任者は校長。報告することに意味はない」と、学校改革のほとんどを世田谷区教委に知らせていなかった。後に知った区教委から厳しい叱責(しっせき)を受けることになったが、区長の理解もあって改革の手は緩めない。

【選ぶ権利を捨てない】
お国の機関というのは、何のために存在するのだろう…ということを度々感じてしまう。
生徒、児童の本来の教育のために学校運営変える取り組みのタンコブになっているのが「教育委員会」なのか?
これも、その代表例だと思う。しかしながら、さまざまな新しい取り組みをする世田谷区長保坂氏の存在を、大いに活用した結果、この企みは成功したのだと思う。
「長」というのは、私たちが選ぶことができるものとできないものがあり、区長であれば、私たちは選ぶことができる。私たちは、選ぶ権利を持っている。そして、それを行使する義務もあるのだと思う。
 

学校改革が注目されるとき、特別な人物による特別な取り組みだとよく耳にする。
桜丘中も確かに西郷校長の強力なリーダーシップが背景にあるが「発想は全て子どもたちから学んだこと。『できない』というのは何も考えていないことと同じだ」と言う。

【自分の頭で考える】
残念なことだが、日本人のほとんどは、洗脳教育によって自分で考える「羽」をもがれている。
だから、答えを他者に求めたがる。
「先生、これはどうすれば良いですか?」
そういう方法の「解」を求める声はとても多い。
だが、それは「自分で考えろ、自分の人生を他人に委ねるな」ってこと。
質問がダメなわけではない。
「じゃあ、あなたもう死ぬしかないですね」と解を出したら死ぬのか?
自分で考えて「●●だから▲▲と考えたけれど、善き部分、悪い部分、先生のご意見を聞きたい」と問うてほしい。

正しく問うということは、正しい言語を使うということ。正しい言語、つまりコミュニケ―ションを取れないことは、心理ストレスの大部分の原因であることを覚えていてほしい。

【全ては回りまわってくるこの世界】
さて、今回は、学校のことを取り上げてみた。私は、特に人にモノを教える「教育」の場でも仕事をしている。その世界に入ってからというもの、「教育」とはとても意義が深く、それでいて恐ろしいものだと感じる。
教育によって、どんな人間も造ることができるのだと知ったからだ。

子どものいない人や、子育てが過ぎてしまった人には、学校の問題など興味が薄いかもしれない。
私とは縁遠い、私には関係ない、人の家の子のことに口出しするのは…と思うかもしれない。


けれど、社会は繋がっている。

 

そんなのわかっていると思う。しかし、あえて言わせてもらう。
あなたに子どもがいなくても、既に成人していて学校に関与していなくても、
それはあなた自身にも降り注ぐ害と成りうるかもしれない。
学校で、家庭で、不条理な教育に晒させた子どもがやがて大人になる。
あなたの仕事場にやってくる。また、電車で隣に座るかもしれない。

捻じ曲がった心根で仕事の場を荒らすかもしれない。
ただ隣に座っていた電車で、突然刃物を振り回すかもしれない。
あなた自身ではなく、あなたの大切な人をこの世から葬り去るかもしれない。

そんな時、あなたはその人を憎むだろう。その親とか学校とか周囲の責任を問うだろう。
捻じ曲がる人間を造る手伝いをしていた学校教育を知っていたのに、見て見ぬふりをしていた。
そういう人間を造る社会を「自分とは関係ない」と言いきれるだろうか?
社会を造る一人として傍観していた罪は無いのか?

それはダメだろう…と思うだけじゃ、ただのグチ。
ダメだろう、と言うだじゃ、ただのクレーマー。
どうしてダメか、どうしたら良くなるか、それを説明し行使できるのが人。
 

刃物を振り回しかねないヒトから、助けてくれるのもまた"人"かもれない。

そういう人を育てる仕組みを作っているのは、あなたを含む"人"である。

 

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