アロマ&カウンセリング 心とからだのセルフ・ケアをあなたに、アロマシオンの島田さつきです。
東京 調布 AEAJアロマテラピーアドバイザー資格認定教室主宰&カウンセリング講座講師
AEAJインストラクター・アロマセラピスト学科試験対策講座(1コマ2時間4,000円~)承ります。
ITが苦手なセラピストやカウンセラーのためにコンサル付きホームページ制作もしています。
年度が変わって初めてのセルフ・カウンセリング指導部会の勉強会に行きました。
指導部の研修課題だと、うんうん唸りながらやるようですが、
この会はロールプレイを通して、シェアし合うことが目的なので重たい課題は出ないので気が楽。
この勉強会を通じて、自分の言動のクセ、価値観に改めて気づきました。
シェアの時は、4人くらいのグループで行うので他の人の価値観や言動に触れることができます。
そこで感じるのは、<そうくるとは思わなかったなぁ>とか、<うんうん、同じような感じ方だなぁ>とか。
セルフ・カウンセリング®は、書いて読むカウンセリングです。
ある出来事に対して、言ったこと、思ったこと、した(行動)こと、に分けて書きます。
出来事は、一人の時でも良いですが、他人が居る場面の方が勉強になります。
心がザワザワしたりモヤモヤしたりソワソワしたり…揺れ動くのは人間関係が多いからです。
そういった場面を書くと、自分の心を客観的にみていくことができます。
今回のロールプレイは、赤井さんと青井さんのやり取りの場面で、青井さんになったつもりで取り組みます。
どんな出来事かというと…
青井さんはしばらく留守にして自宅に帰るとポストがいっぱいになっており、その中に回覧板が入っていました。
急いでお隣の赤井さんに回しました。留守の間に届いていたとしたら、急いだほうが良いと思ったからです。
しばらくすると赤井さんが訪ねてきました。
セルフ・カウンセリングでは、課題をする場合、このような設定があり、相手の言動は既に書かれています。
赤井さんは回覧板を持ちこう言いました。
「このイベントの締切、とっくに過ぎてるんですけれど、どういうことですか?
家族みんなで楽しみにしていたんですよ」
回覧板は町内会のイベント案内で、昨年も同じイベントがありました。
赤井さんは今年も参加しようと楽しみにしていたらしいのです。
ここまでが前提で、各自の取り組みは、青井さんになりきって、
こう言われて どのように思ったか、
また、どのような言葉を言ったか、場面のヒトコマを書いていきます。
私が青井さんになりきって思ったのは
<えっー! 締切過ぎてたんだ。
急いで回した方がいいと思って中身、見もしないで回しちゃったよ。
赤井さんすごい剣幕だなぁ。
とにかく謝っておこう。>
そして言ったことは、
「あぁ、ごめんなさい。
私、何日も留守にしてたんです。
ポストもいっぱいになってて回覧板もあったから急いで回さなきゃって、
見もしないで回しちゃって、すみませんでした。」
この後の取り組みは、このやりとりを洞察し、自分の欲求と価値観などを取り出していきます。
はて?、自分のを見返して思ったのが、
私って大したことでもないのにとりあえず「すみません」とよく使ってるな~ということ。
謝る行為は、自己防衛でもあります。
怒られたくないとか、責められたくないなどの欲求が潜んでいます。
怒られたり、責められたりは、「悪い私」という自己評価を下げざる得ない状態です。
人は、良い人と思われたい、少なくとも悪者扱いされたくないという欲求が潜んでいます。
私の、『とりあえず謝る』という無意識の行為も、ここからきていることが洞察できます。
他の人が書いたものの発表を聞くと、謝る言葉を繰り出さない人もいましたし、
「そんなこと言われても困るわ…」としている人もいました。
それだけ価値観からくる無意識の行為が、それぞれ違うということを示しています。
洞察するとき、自分の書いたもの(青井さんになりきったもの)だけでなく、
相手の赤井さんの思いも想像して洞察していきます。
赤井さんの立場になって洞察するときは、赤井さんの言葉そのものだけから想像していきます。
ですが、興味深いのは、ほとんどの人が、赤井さんが発していない言葉からも想像して洞察してしまうことです。
例えばある人は、赤井さんがこんなに怒っているのは、自分が軽んじられたからかもしれないと想像しました。
回覧板案内の期日が過ぎているものを、黙って回してこられるほど、自分は大切にされていない。
といったとこでしょうか。
相手の思いを想像するとき、自分の価値観が反映することがしばしばあります。
ここも、自分を探る一つの手立てにもなります。
セルフ・カウンセリングでは、これが正解というのはありません。
書き方のルールはありますが、心で思うことに正しい、間違っているという評価は無いのです。
人によって価値観は違いますし、立場が違えば正義すら変わってくるからです。
また「その思いは間違いだ」としてしまえば、ありのままに受容することと程遠くなります。
もちろん法律に反することを罰しないということではありません。
もし殺意を抱くくらい人を憎んで、あの人を殺してやりたい…と思ったとしても、
それは、そうなるに至る理由があります。
倫理的に悪い事と思っても、湧き出る思いはかき消すことができないのです。
「理性は感情の奴隷である (ヒューム)」
ヒュームの説いた通りですね。
理屈でわかっていても止められないのが感情です。
この湧き出る感情とどう付き合っていくかが、人生ではとてもやっかいな課題です。
ためになることを学んでも、自分を律しても、感情は勝手に湧き上がり、自分を苦しめたりします。
自分のことをリアルに深く知らなければ、ずっと感情に振り回される人生を送ることに繋がります。
人生で困難な状況があると、どこに要因があるのか、何をすれば良いのか悩むことがあります。
表面的な解決はいくらでもあると思います。
お金があれば解決できる、嫌な相手と付き合わなければ解決できる、仕事が辛ければ辞めればいい。
けれど、根源的なことは、何一つ変わらないことに、無意識は気づいているはず。
見なかったことにしたまま、気づかなかったことにしたまま…
それって限りある人生、限りある時間、限りある命のムダ使いじゃないかって…
ムダが嫌いなケチな私は思ってしまいます。