アロマ&カウンセリングで心とからだのセルフ・ケアを伝える、
アロマシオンの島田さつきです。
東京 調布 AEAJアロマテラピーアドバイザー資格認定教室主宰&カウンセリング講座講師
AEAJインストラクター・アロマセラピスト学科試験対策講座(1コマ2時間4,000円~)承ります。
ITが苦手なセラピストやカウンセラーのためにコンサル付きホームページ制作もしています。
今回リブログさせていただく記事は、いいね1828、コメント71、リブログ81、Hatenaブックマーク1299、facebookシェア4.6万(18/5/8現在)という反響のブログです。
2012年から開始されている記事数は33。反響のあった記事以前の反応はほぼ無し。
記事主は、このことにさぞ驚かれていることでしょう。
コメントも、誹謗中傷から、好意的なもの、MLMの売り込みまで多数。webの怖さを感じます。
そっとしておきたいところですが、あえて取り上げるのは、次の問題定義をしたかったからです。
・人は自分の意識の対象のみを選び取る
・人は自分の価値観を述べる
・「~くらい」という危機感欠如の教育文化
以下、リブログ内容を抜粋します。斜体が引用文です。
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それは私が『良くなると思って貼った湿布の副作用により、医師に「一生治りません」と診断された病気になった』からです。
これは【光線過敏症】という“病気”です。過去に貼ったことがある湿布を安易に足首に貼ったのです。
翌朝、湿布を剥がしてディズニーランドへ…
モーラステープで光線過敏症の症状が出たのは、3日後で、毛虫にさされちゃったと思っていたそう。
写真も掲載されているので、下のこの方のブログで確認するとどんな症状かわかります。
2軒目の病院でご自分の過ちに気づいたそうです。
湿布の裏側の注意喚起を読んで私は理解しました。
(中略)
つまり、4週間はこの安易に貼った湿布の薬効が体内に残っているということ。
足首だけでなく、色んなところが痒くなるのは、薬効が全身に巡りアレルギー反応を起こし体内に残っているからなのか…
3軒目の病院の通院は、首に症状が出たときだそうです。
なぜ足首に貼った湿布の副作用が今度は首に出たと思いますか?
それは湿布の「薬効」が全身を巡ったからです。
医者とのやり取りで…
「なんで光線過敏症なのに日光に当たったの!」
「日傘も日焼け止めも忘れちゃって急に晴れたんですよ^^;」
「あの、これ…治らないんですか?」
「これは一生治らないよ!」
「…そうですか。。。」
(…え?ってかなんで良くなると思って貼った湿布で一生治らないって言われるの?おかしくない?!)
その後のご本人。
これ以降私はお勉強し、薬はどんな時も一切服用していません。
そりゃ例外はあると思いますよ。
でも今の私は元気なので例外の状況になっていません。
この経験から実感していることは
私があまりにも『無知』だったという事。
「なんで誰も教えてくれないの?!」と思った。
「知らなかった」では済まされないことが実際自分の身に降りかかったという事。
「無知」がこんなにも悲しく悔しいのです。
「なんで誰も教えてくれなかったの?」と人のせいにして悔やんでいました。
疑問に思って自ら調べるきっかけにしてほしい。
早く薬は「良くする」と思い込んでいるのに気づいてほしいな。
どうしてその症状になったのか気づいて欲しいな。
身体さんが身をもって教えてくれているということに。
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この記事に対して、「薬のせいにするな」
「注意書き読まない方が悪い」
「自分の無知さ晒して…」
「薬を飲まないと生活できない人もいる」
「薬剤師が説明しないはずがない」
「誰も教えてくれないと人のせいにするな」
などなど…批判的なカキコミが続きます。
上記の引用文は、気になるとこを抜粋しました。
特に注意したい部分はわざと文字色を変えました。
カキコミと比べるといかにトンチンカンなものが多いかわかります。
今現在、わかったからこそ自分の無知さをご本人は嘆いています。
過去を変えろとでも言うのでしょうか?
知っていたらその時、湿布を使わなかった。
足を日光にさらさなかった。
古い薬を使わなかった。
薬の注意書きをじっくりと読んだ。
医師にきちんとリスクも聞くようにした。
そもそも、薬は魔法のように万能ではなかった…
知らなかったからこそ起きた悲劇であるはずなのに。。。
【人は意識の対象のみ選び取る】
人は、自分の意識の対象のみを選び取る習性があります。
正しくは、人だけでなく生きもの全般がですけれど。
このブログに反応した人々は、自分が意識した内容のみにスポットを当てがちなんですね。
例えば、医療関係者ならば、「医師」や「薬」にスポットを当てそのことが書かれている部分を意識します。
患者として同じような経験をした人ならば、その時の症状や苦痛にスポットを当て意識して読みます。
【人は自分の価値観を述べる】
人は、ある文脈に関して自分の価値観を述べる傾向があります。
例えば、薬剤師の人ならば、「薬剤師が説明しないはずはない」と思い、
薬を飲まないと命に関わる人ならば、「薬を飲まないと生活できない人もいる」となります。
日常会話でも、「~で失敗しちゃったんだよねー」などと話すと、
「なんでそんなことしたの、失敗するに決まってるじゃない」なんていう返しは、
価値観を述べるということです。
【意識した対象プラス価値観で裁く】
「薬のせいにするな」「誰も教えてくれないと人のせいにするな」というのも、文脈に対して自分の意識が注がれたところにスポットを当て、自分の価値観で意見を述べているわけです。
さらに、その価値観でダメ出しする。相手を裁くということです。
【筆者の思いを推察すると…】
このブログを書く目的とは、自分の失敗談を活かそうとした行動であると思います。
ですから、自分に起きた心象もありのままに吐露しているのだろうと思います。
「なんで誰も教えてくれなかったの?」というように。
「なんで誰も教えてくれなかったの?」→だから自分が教える。
"誰も"じゃなくて、その"誰か"になろうとしたということではないでしょうか。
【たかが湿布くらい…】
さて、ここまでは、ブログのコメントについてでしたが、ブログ本筋を見ていきたいと思います。
この悲劇の問題の根幹は、「たかが湿布」という意識ではないでしょうか。
ブログ筆者も『良くなると思った』と記しています。
「薬には、副作用がある」ということは、誰もが頭の中でわかっています。
にもかかわらず、市販薬の注意書きや道具の注意書きなどを読む人がどれだけいるでしょうか?
何に対してもメリット、デメリットはつきものだというのにです。
手軽にある薬、特に貼るものなどは軽視されがちではないでしょうか。
飲み薬である経口は、身体の中で溶けて毛細血管を通じてターゲットに作用する目的で作られます。
経口の場合、全身にぐるぐる巡る前に肝臓を通り解毒されます。
ところが皮膚から取り込まれた成分は、局所で作用するだけでなく、毛細血管から肝臓を経由せずに全身に行くことができます。これは、経皮の方がリスクが高くなる可能性を示しています。
【問題の根幹】
なぜこの悲劇が起きてしまったのか?
「知らなかった」では済まされないことが実際自分の身に降りかかった…
これは、自分だけは事故に合わないというのに似ています。
まさか自分にそんなことが起きるとは思いもしなかった。
そうなって初めてリアルになるんですよね。
それまでは、わかっていても絵空ごと。
つまり、リアリティがないので危機感もない。
私たちは、戦争もなく、飢餓もない、監視社会の独裁国家でもありません。
リアルな危機に晒されない分、平和ボケともいえる生活をしています。
けれど、自分の身を守るのは、そもそも自分の責任です。
野生動物を見ていればそれはわかること。
ヒトだけが特殊な生物なのではありません。
大丈夫だろう…と、意識せず信じているそのものは思い込みであること。
身体のサインをムシするのも、危険な物質を無造作に扱うことも、
自分の頭で考えることをしない習慣が、自分の命を脅かすことに繋がる。
先に連載したブログにも関連するタイムリーなブログに会い感じたことでした。