優越感とは劣等感の裏返しである。
webも創るアロマ&カウンセリング講師、アロマシオンの島田さつきです。
優越感というと、デキる人に当てはまると思いがちですが、
元々ダメと思う部分があって、OKな部分があったから「やったぜ~優位だ~」ってなる心のことです。
つまりベースが「できていない劣勢な自分の部分」に焦点を当てているんですね。
あいつはイケメンだからモテる。でも私の方が背が高い。みたいな。
イケメンじゃない自分の劣等感がベースにあるわけです。
劣等感に苛まれる状態ってどんな感じでしょう。
「劣勢と思っている部分」これだけが頭を巡って、自分を評価する全てになってしまうことじゃないかと。
劣等感が強いと自己肯定がしづらくなるんですが、そういう時って「私はチビだ」
だけがその人の頭の99%を占めているからですよね。
「チビ=自分」みたいな。
この方程式が間違っているとわからない状態。
だって、チビだけど足が速いとか、チビだけど器用とか、色んな自分がいるわけで…
その人を慰めるための「いいとこ探し」ではないですよ。
「~だけど」という言葉をつけましたが、事実は 「チビ」「足が速い」「器用」ということです。
自分=(チビ×足が速い×器用…) とこんな方程式が事実なんですよ。
事実はチビなだけじゃない自分。チビであることは、自分の数パーセントである。
「自分で方程式を作って縛っていたんだ」と、実感を伴って気づくとストンと心に落ちるんです。
でも、他人から言われても気づきません。
だから本だけ読んだり、他人からの受け売りではダメなんです。
実感がないから。
そして、もし実感できたとしても、チビであることは否めません。
でも、チビが悪いんでしょうか?
劣等感は、無意識が生んだ思考癖。
何センチだったらチビで、何センチからがチビじゃないのでしょう?
どこが境でどんな定義でしょうか?
パーフェクトな姿形、パーフェクトな人格、パーフェクトな身体能力、パーフェクトな財力、
パーフェクトな社会地位etc…、そんなものがこの世に存在するのでしょうか?
隣の芝生は青い
無いものねだりは、いつまでたっても自己肯定できません。
欲は底がないからです。
こんな感じです→ 足るを知る 漁師とその妻
どんなにチビだって、デブだって、ブスだって、ハゲだって、それがリアルな自分。
そんなの嫌だと、自分ではない誰かに、何者かに成ろうとすることこそが不幸の始まり。
自己肯定するとは、「それも自分」とリアルな自分を受け容れることから始まります。
そのままの自分が自分自身であり、唯一無二のオリジナルなのですから。
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