運命の出会い 342 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

娘の高校時代。

 

クラスメイトの女の子が、

やっぱりバレエを習っていて。

 

その子のお教室の発表会を、

娘と観に行ったことがあった。

 

 

お友達の女の子は、

『白鳥の湖』の中の、

「黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ」を

踊っていたのだけど。

 

彼女の踊りを観ながら。

 

 

「やっぱり、人間って、

どんどんレベルアップしていく

ものなんだなぁ。。。」

 

・・・と。

 

しみじみ思っていた。

 

 

*******

 

 

黒鳥とか、ドンキ・ホーテとか、

あと、海賊とか。

 

そういう演目の中の、

主役の男女が踊る

グラン・パ・ド・ドゥでは。

 

「グラン・フェッテ」

 

・・・と呼ばれる、女性の

大技が披露される。

 

 

それは、片足はずっと、

地面にはつけないまま。

 

軸足だけで、32回、

ずっと回り続ける技なの

だけれども。

 

 

私が子供の頃は。

 

32回転回りきるだけで、

ブラボーものだった。

 

 

プロのダンサーでさえ、

24回転でやめて。

 

あとは、ピケ・ターンで

ごまかす。

 

なんてことも、

よくあった。

 

 

もちろん。

子供の私たちは。

 

16回転を、ゼイゼイしながら

フェッテで回るか。

 

それとも、一回、一回、

足を地面につける

ピルエットで、32回まわるか。

 

・・・みたいな。

 

そんな時代だった。

 

 

それが。

 

娘のお友達は、その32回転を、

すべてフェッテで回りきる

どころか。

 

その中に、「ダブル」を

数回いれていた。

 

 

ダブル。というのは、

一回転するテンポで、

軸足も、トゥでたったまま、

二回転することで。

 

 

その「ダブル」を。

32回転中に、数回も。

 

 

これは、昔だったら。

 

世界のプリマと呼ばれる人の

うちでも、数人くらいしか

出来ないような。

 

そんな。

 

アクロバット的な

大技だった。

 

 

・・・はずなのに。

 

 

今ではもう。

 

普通のお教室の生徒でさえ、

余裕でこなすような時代に

なっているんだなぁ。。。と。

 

 

なんだか。

しみじみしてしまった。

 

 

ピルエットでさえ。

 

昔は、女性の場合、

トゥで立ったまま、

3回転くらいしただけで。

 

客席から大きな拍手が起こった。

 

 

それが今では。

 

小さな女の子が、

クルクルと、何回転も

回り続ける。

 

 

しかも、勢いで回っているの

でもなく。

 

しっかり、バランスをとっているので、

回り終わりの着地も、綺麗。

 

 

そういうことを。

 

ひとりの天才少女がやっている

わけではなく。

 

わりと、たくさんの子達が

普通にやっているのを

見ていると。

 

 

これはもう。

 

レッスンの質が、

向上しているからなのだろうな。

 

・・・としか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

レッスンの質が向上したのは、

 

多分。

 

「知識」とか「情報量」が

増えたことが大きいからなのだろうと。

 

そう思った。

 

 

特に。

 

解剖生理学の知識。

 

 

それまでは。

 

感覚的に。本能的に、

それを捉えていた人にしか

出来なかったことが。

 

 

より、多くの人が

出来るようになったのはきっと。

 

 

今では「知識」を通して、

学べるようになったからなの

だろうな。。。と。

 

 

そう思った。

 

 

*******

 

 

アロマテラピーの資格を取る際に、

解剖生理学を学んだ。

 

 

あの時。。。

 

人体の神秘。

 

みたいなものに、感動した。

 

 

人の身体って。

どうしてこんなに、完璧に

創られているんだろう。って。

 

 

 

声楽を学ぶようになった頃も。

 

喉や筋肉の構造についても、

いろいろ教えてもらった。

 

 

先生は。。。

 

心と身体の繋がりに

ついてまでは、

言及することはなかったけど。

 

 

なんとなく体感で。

 

ヨガとか、チベット体操をすると、

妙に声が伸びる感じがしたから。

 

私は個人的に。

 

「アレクサンダー・テクニーク」

というものを。

 

ひたすら探究したりもした。

 

 

これもまた、体感だったけど。

 

バレエでバランスをとるにしても。

歌を歌う時の、声の調子にしても。

 

 

体調云々もそうだけど、

それ以外にも、何か外的要因が

あるような気がしてしかたなく。

 

 

そういう時。

月の満ち欠けとか、占星術とか。

 

そういうものと絡めてみると。

 

色んな発見があって、

面白かった。

 

 

今ではもう。。。

 

細かいことは忘れてしまったけど。

 

 

ホントに。

 

あの頃は、

好奇心旺盛だったね(笑)

 

 

*******

 

 

まぁ。それはともかく。

 

あの頃、思っていた。

 

 

そうやって今は。

 

いろんな「知識」や「メソッド」が、

世に、たくさん溢れていて。

 

 

知ろうと思えば。

いろんなことを知ることが出来る。

 

 

 

だから。

 

今の子は。

 

これから何かを目指していこうと

している人達は。

 

そういう点では幸せだな。と。

 

 

 

 

バレエ。というか、

ダンスでも。

 

歌でも。

 

スポーツでもなんでも。

 

 

技術がどんどん、

レベルアップしていくことに

繋がっているのは。

 

 

裏にある、「知識量の増加」も

また、関係あるのだろうと。

 

そう思ったけど。

 

 

でも。

 

そういう今の現状というのも

また。

 

 

これまでの、人類の歩みの

集大成というか。

 

現時点での「結果」なのだろうと

思ったら。

 

 

それを今。

 

体現する位置に立っている

若い人たちを。

 

ただ、見ていたくなった。。。

 

 

*******

 

 

おじさん、おばさんは、

すぐに文句を言うの。。。

 

 

「最近の若いもんは」

 

 

・・・と。

 

 

私は。

それが、大嫌い。

 

 

 

若者に、媚びへつらうのも

違うと思うし。

 

私達が、若者の真似を

するのは、イタイ。

 

 

 

そうではなくて。

 

私は私のままで。

 

ただ。

見ていたいのだ。。。

 

 

彼らの在り方を。

 

 

 

だって、多分。

 

 

人間の人生の中で。

 

一番エネルギッシュに活動できて。

人の心にフレッシュな影響を

与えられるのは。

 

20代、30代だと。

 

私は思っているから。

 

 

 

そのくらいの人達というのは、

きっと。。。

 

 

それよりも先人たちの思いの

集大成を今。

 

体現してくれているのだと。

 

 

私は思うから。

 

 

*******

 

 

人というものは、常に。

 

「不足」

 

・・・を、抱えていて。

 

 

だからこそ。

 

「もっとこうしたい」

 

「もっとこうなって欲しい」

 

・・・と、ジタバタする。

 

 

それが、人間なのだと思う。

 

 

そのジタバタがあったからこそ。

 

バレエも、歌も。

いろんなことがこうやって。

 

少しずつ、少しずつ、

レベルアップしてきたのだと。

 

 

全体がこうやって。

 

少しずつ、レベルアップ

してきたのだと。。。

 

 

もっともっと。

良くなりたい。。。と。

 

 

そういう思いがあったから。

 

 

 

私達世代が、私たちの時代に

完全に満足しきっていたとしたら。

 

何の不足も感じて

いなかったら。

 

その子供達にはきっと。

何も求めないし。

 

期待もしないだろう。。。

 

 

でも。

 

不足感があるからこそ。

 

子供達には、、、

もっと幸せになって欲しいと。

 

親は願う。。。

 

 

子供に、希望を託す。。。

 

 

そういう親たちの影響を受けて、

今の子供たちがいて。

 

 

そういうものが、古代から今へと。

延々と繋がっていて。

 

 

そうやって。

 

「文明」は。

 

進化してきたのだと思う。

 

 

 

だから。

年配の人達が。

 

そういう若者達にむかって。

 

「最近の若者は」

 

・・・なんて文句を言うことは。

 

 

なんだか。

 

自分を棚に上げているようで、

イヤなのだ。。。

 

 

 

その人が本当に悟っているのか、

悟っていないのかは。

 

そういうところを見るだけでも

解るものだ。

 

ふとした時に、解る。

 

 

その人の中にある

「分離感」が。

 

どれだけなのかというのは。

 

 

そういう、ふとしたところで、

解るのだ。。。

 

 

*******

 

 

私は。。。

 

自分が「流れ」を止める

岩のようにはなりたくなかった。

 

 

ウイングメーカーというものは、

そこにあるけれども。

 

 

それに対する解釈とか、

物の見方というものは。

 

 

時代と共に、

変わっていくものだ。。。と。

 

 

そう思っていた。

 

 

ドラマは。。。

 

纏う衣は。。。

 

 

時代と共に、

変わっていくものだ。。。と。

 

 

私には私の解釈がある。。。

 

でもきっと。。。

 

それもいつか、

古いものになっていく。。。

 

 

 

だからあとは。

 

若い人に任せてしまいたかった。

 

 

あとは。

 

あなた達の自由にやって。と。

 

 

 

私が、後世に伝えたかったものは、

ウイングメーカーの纏う衣に

ついてではなかったから。

 

 

「衣」については実は。

どうでもいいのだ。

 

 

私の思いや考えは、

私だけのものであって。

 

 

それをそのまま鵜呑みにして、

それを自分の考えだという風には、

してほしくなかった。

 

 

だから。

 

何も教えたくはなかった。

 

 

「教えてもらいたい」というのが、

相手の望みだと解っていても。

 

教えなければ。

 

今できないことを、

突然、出来るようにならなければ。

 

きっと。

物足りなさを感じることは

解っていても。

 

 

「教師と生徒」

 

 

・・・という形には、

したくなかった。

 

 

 

私が伝えたかったのは、

たったひとつだ。。。

 

 

それは。

 

 

どれだけ時が経っても。

どれだけ、時代が変わっても。

 

そこには。

 

「永遠に変わらないもの」

 

・・・がある。

 

ということだけ。

 

 

 

それは。。。

 

無であり全てであるもの。

 

 

そしてそれが。

本当の自分自身である。

 

 

・・・ということだけ。

 

 

その存在だけが。

 

本物であるということだけ。

 

 

あとはすべて。。。

 

起こっては消えていく、

ただの幻なのだ。。。と。

 

 

ウイングメーカーですら。。。

 

リリカスですら。

セントラル・レイスですら。

 

過去ですら、未来ですら。

 

 

すべては。

幻なのだ。。。と。

 

 

 

そういうことを、

いつも忘れないままで。

 

ウイングメーカーの世界を。

 

このドラマを。

 

 

自分なりに、

楽しんでほしかった。。。

 

 

 

こういうことは。

 

翻訳者の彼には、

いつまで経っても

伝わらなかったけど。

 

 

もしかしたら。

 

WMKの彼か。

WMMの彼のどちらかは。

 

 

私のそんな思いを。

継いでくれるのかな。と。

 

 

あの頃は。

 

そんなことを考えていたな。。。

 

 

*******

 

 

つづく