ヒーラー時代の。
自分の中での心の動きは。。。
かなり複雑であり。
同時に、ものすごく抽象的であり。
だから、こうして
文章にするのは、ものすごく難しい。
・・・というか、多分。
正確に言葉で表現するのは
無理かも。
・・・と、書いていて思った。
娘や息子みたいに。。。
私の本当のところを、
ほぼ、完璧に解っているな。と。
そう思わせてくれる人たちですら。
この頃の私の心情を。
確実に、正確に理解するのは、
難しいようだから。。。
*******
10代であの体験をした時。。。
「すべてのもののもとはひとつ」
・・・の、その「もと」である
自分の意識を思い出した。
すっかり、忘れていたことを。。。
結局、今も昔も未来も。
本当にあるものは、それしかなく。
私はそれまで。
自分は、ひとりの、
Lyricaという人間だとばかり
思っていたけれども。
それは単に、、、
「もと」が、自分の夢の中で、
自らあえて。
記憶喪失になっていた
だけであり。。。
Lyricaというものは。
本当は、実在していない。
その、幻の夢の中にしか、
それは、存在しない。。。
本当は今も。
存在しているのは。
その「もと」でしかないんだ。。。と。
その「もと」が。
私だったんだ。。。と。
それを思い出した時。
私の場合は、ホッとした。。。
なぜか。。。
ホッとしたのだ。。。
*******
「もと」。。。
「すべてである私」の視点から
見れば。
私も、あなたも、あの人も、この人も、
あれも、これも。
神だろうと、天使だろうと、
宇宙人だろうと。
エレメンタルでさえも。
素粒子でさえも。
音も、香りも、色も。
もう。。。何もかもが。
この「顕現した世界」に存在する
すべてのものが。。。
「私(もと)」
・・・であることはもう。
当たり前のことで。。。
そこに、疑う余地もなく。。。
*******
とっさの「親切心」というのは。
誰にでもある「良心」
みたいなものは。
それはもう。
本能のようなものだと。
そう感じていた。
でも。
宗教の世界で説かれるような、
「利他の心」とか「奉仕の心」と
いうのは。。。
私にとっては、
「偽善」でしかなかった。
そんな心境に、
「本当に」なることは、
おそらく。
人間である限りは、
無理だと。
そう思っていたし。
それでいいのだとも、
思っていた。
人間は、まず、
自分の利を考える。
それでいいのだとも思う。
だからこそ、人間なのであり。
そういう人間たちが、
ここで、様々なドラマを起こすこと。
それこそが。
「すべてである私」の。
望みであるのだと。。。
*******
子供を生んだ時。。。
「母性」によって、可能性を見た時。
あの。。。
「すべてである私」の感覚を。
もしかしたら、「人間としての私」の
感覚を通してでも。
それを、体現できるのかも
しれないと思った、あの時以来。
私の人生の目標は。
本当の目標は多分。
それになったのかもしれない。
「人間の感覚」を通して。
他者のことを、本当に、
自分のことのように感じること。
*******
結論から言えば。
それは、無理なのだと。
そういう結論に辿り着いた。
「鍵」は、「母性」だと。
そう思ったけれども。
ヒーラー時代に。
結局。
演技でしかそれを出来ないことを。
実感してしまった。
演技では。。。
私にとってはそれは、、、
「偽善」なのだ。
そのあたり。。。
もっともっと、「軽く」考えられる
人のほうが、ヒーラーには向いている。
多分。
でも私の場合。。。
10代のあの経験を通して、
リアルにあの感覚を知ってしまったから。
「欲」が出てしまったのだと
思う。。。
その「欲」を。
手放すために。
私のヒーラー時代の修行は
あったのだろうと。
今は思う。
*******
つづく