運命の出会い 314 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

父が亡くなった時。

母は、すごくあっさりしていて。

 

長年連れ添った伴侶が

いなくなったというのに。

 

母はなんだか、崩れないよな。と。

 

そう思った。

 

 

まぁ。

母らしいとも思ったけど(苦笑)

 

 

気心知れた美容師さんと、

何気ない世間話をしていた時。

 

その美容師さんも、言っていた。

 

 

「女の人ってそんなものだよ。

旦那さんが亡くなって、逆に

生き生きしてる人、多いよ。

 

奥さんに先立たれた旦那さん達は、

ガックリと元気なくしちゃう人が

多いんだけどね」

 

 

・・・と。

 

 

なんだか。

虚しくなる話だ。。。と(苦笑)

 

あの時、思ったっけ。

 

 

でも例えば。。。

 

女性がその男性のことを、

心から愛していれば。

尊敬していれば。

 

話はちょっと違うのではないのか。。。

 

・・・と、そう思った時、ふと。

 

 

じゃあ。。。

 

もし、母の敬愛する紀野先生が

亡くなったとしたら。

 

その時、母はどうなるのだろう?

 

・・・と。

 

 

もしかしたら、やっぱり。。。

ガックリきたりするのかしら。。。と。

 

 

そう考えたりもした。

 

 

 

でも実際に、紀野先生が

亡くなった時。。。

 

 

母はやっぱり。

特に何も変わりがなかった。。。

 

 

もちろん。

 

心の中では思うことはたくさん

あったと思うけど。

 

父の時もそうだったのだろうとは

思うけれども。

 

表から見た感じ。

母は、普段と全く変わらず。

 

何にも動じていないように見えた。

 

 

だから母は。

そういうところは、強い人なのだなと。

 

 

その時の私には、

そう見えていた。

 

 

*******

 

 

ヒーラーの仕事をしながら

いつも思っていたのは。。。

 

クライアントさんの多くが、

セッション前のカウンセリングの段階で、

8割9割は癒されているよな。

 

・・・ということだった。

 

 

 

人は普段。

 

「本音」こそ。

なかなか、語れないもので。

 

いつの間にか、処世術を身につけ。

鎧を身につけ。。。

 

そうやって、社会の中で

なんとか生きていて。

 

 

だからみんな。

どこかで、疲れているけど。

 

 

もし、この人生の中で、

たったひとりでも、本音で語れる

相手に巡り合えることが出来れば。

 

素のままの。

何も飾ることのない裸の自分を、

そのまんま、受け入れてくれる人が、

そばにいてくれれば。

 

それなりに、幸せに

生きていけるのだろうとも思う。

 

 

 

ヒーラーを仕事とし、

色々なクライアントさんと

接しているうちに。

 

以前、聴こえてきたあの、

 

「Listen!」

 

・・・という言葉の重さを。

 

しみじみ実感した。

 

 

 

多くの、傷ついている人達が、

心の底で本当に望んでいること

というのはやっぱり。

 

「聞きたい」

 

・・・ではなく。

 

「聞いてほしい」

 

・・・なのだな。。。と。

 

 

すごく、感じた。

 

 

 

きっと。

 

人は誰でも。

 

「すべてを受け入れてくれて、

どこまでも親身になってくれる母親」

 

・・・というものを。

 

心のどこかで、

求めているのだろうな。。。と。

 

そう感じた。

 

 

 

ヒーラーというものは、きっと。

 

そういう人達にとっての、

「母親役」でいるものなのだ。。。と。

 

そう感じていた。

 

 

 

ただ。

実際に母親でもある私は。。。

 

もし、自分の子供達に何かあったら。

 

それがクリアになるまでは、

そのことはずっと、頭から離れないし。

 

子供が本当に笑顔になるまで、

ずっと一緒に、考え続ける。。。

 

 

無理矢理、頭の切り替えなんて、

出来ないし、したくもない。。。

 

 

他者が嬉しいこと、悲しいこと。

 

そういうことすべてが、

まるで、自分自身のことのように

感じられること。

 

自分のことを考えているかのように、

他者のことを考えられる自分。

 

そういう自分でいられる瞬間が、

私にとっては、幸せだったのだから。。。

 

 

 

けれども。

 

職業ヒーラーとしての

在り方は。

 

「切り替え」を必要とする

在り方は。

 

 

私にとってはそれは、

どこか「演技」であり。

 

 

その演技をすることが。

私には少し、苦痛だった。

 

 

そこには本当の「一体化」が。

まったく、ないのだから。。。

 

 

クライアントさんに対して、

「母親役」になるのは。

 

セッションの間だけ。

 

 

そういう在り方が。

 

私には「嘘」に見えた。

 

 

相手に対して嘘をついている。

というよりかは。

 

自分自身に対して、

嘘をついているような。

 

そんな苦痛。。。

 

 

仕事としての、うわべだけの。

うすっぺらい、「母親役」

 

・・・みたいな。。。

 

 

*******

 

 

ある時、娘がこう言った。

 

 

「あのさ。世の中の人達、

そこまで他人のことなんて、

多分、気にしてないよ。

 

ママほど、そんな真剣に、

他人のこと考えてる人なんて、

ほとんどいないから」

 

・・・と。

 

 

「あなたもそうなの?」

 

・・・と訊くと、「そうだよ」と。

 

娘は答えた。。。

 

 

この言葉は。。。

 

私にとっては、

かなりショックな一言だった。

 

 

自分では当たり前だと思っていたことが、

そうではなかったと解ったショック。。。

 

 

実際に、これを聞いたのは、

私がヒーラーをやめたあとの

ことだったのだけど。

 

 

あの時、初めて気づかされた。。。

 

 

自分の愛は、

重かったんだな。。。と(苦笑)

 

 

そして。

 

やっぱり自分は。

 

ヒーラーには、

向いていなかったのだな。。。と。

 

 

他の人にとっては、

どうでもいいことで。

 

自分は葛藤していたんだな。。。と。

 

 

 

まぁ。。。

 

今にして思えば。

 

あれが、最後の荷物。

 

・・・だったような気がしないでもない。

 

 

*******

 

 

つづく