運命の出会い 312 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

あの神社があった辺りが、

昔、遊郭街だったと知ったのは。

 

本当に、偶然だった。

 

 

セッションルームを持とうと思った時、

最初に契約しようとした部屋が、

たまたま、そこにあったのだ。

 

 

契約前に、その部屋を内覧するために、

そこを訪れた時。

 

その一角。。。というか、

その通りだけが、他とは全く、

雰囲気が違っていることに気がついた。

 

 

見た目の景色や、建っている建物が

違っていたわけではない。

 

そういうところは、他とは

まったく変わらなかった。

 

 

何が違ったのかと言えば。

 

「その場から感じる匂い」

 

・・・とでも、言えばいいのか。。。

 

 

ヒーラーとか、スピ好きの人は、

そういう時にすぐに、「エネルギー」

という言葉を使うけど(笑)

 

もっと誰にでも解るように言えば、

それは、「雰囲気」が違う。ということだ。

 

 

その通りだけなぜか、

他とは雰囲気が違っていたことが

気になった。

 

 

なので、すぐに契約はせず、

家に帰ってから、少し、

調べてみることにした。

 

そのあたりの歴史を。

 

 

最初は単に。

 

心霊系というか。。。

曰く付きの何かがあったりしたら、

イヤだから。。。と。

 

そういう思いしかなかったのだけど。

 

 

そうして調べていくと。

そこが昔、遊郭通りだったことが解り。

 

妙に納得した。

 

 

あの時、あの場で感じた「雰囲気」は。

 

昔そこで、事件があったとか

言われるよりも。

 

昔そこに、遊郭があったと

言われたほうが、しっくりくる

感じがしたからだ。

 

 

 

当時は、遊郭のことが

自分の中でクローズアップされて

いたこともあり。

 

またか。。。とは思ったけれども。

 

 

さすがに。

そういう場所で、ヒーリングの

セッションをする気になれなかったので。

 

その部屋は結局。

契約はしなかった。

 

 

*******

 

 

その土地に。

 

「思念」が残ることというのは、

本当にあると思う。。。

 

 

地縛霊。なんて話は

よく聞くけれども。

 

私はそういうことに関しては、

それとは少し、違った考えを

持っている。

 

 

こういうことに関しては。

ダスカロスの説明していたことが、

私の考えに、一番近かった。。。

 

 

ダスカロスは。。。

 

人は毎日、天から一定の

エネルギーを得ていると言っていた。

 

彼はそのエネルギー。

その「素材」を、「マインド」と

呼んでいたけれども。

 

呼び名はなんでもいい。。。

 

 

私はそれを。

「粘土」としてイメージしていた。

 

 

毎日一定の量が供給される

その粘土を。。。

 

人は、自分の「思考力」を使って、

何かの形にする。。。

 

 

そうやって。

自分の現実を創り上げる。。。

 

 

粘土を使って創り上げたものを、

ダスカロスは、「エレメンタル」と。

 

そう呼んでいた。

 

 

エレメンタルは、

目には見えないけれども。

 

ちゃんと「形」として、

そこに存在し。

 

私達の現実に、

影響を及ぼす。。。

 

 

例えば遊郭街で。

 

遊女たちが。

お客たちが。

そこで働く人たちが。

 

日々、何かを考え、考え、考え。。。

 

 

そうやって出来上がった

エレメンタルは。

 

その場に、実際に存在し。

 

今度は逆に。

その場にいる人々の思考に、

影響を及ぼし。

 

影響を受けた思考は、

また更に、エレメンタルに

粘土を付け足していって。

 

そのエレメンタル自体の力は、

どんどん大きくなっていく。

 

 

だから私は思う。。。

 

人々の信じる神々やら、

天使やら宇宙人やら。。。

 

そういった異次元存在のほとんどが、

エレメンタルなのだろうと。

 

 

そして。

 

人々の思考力。

想像力によって。

 

そういったエレメンタルは

実在し。

 

それが私達の意識に、実際に

影響を及ぼすこともあるのだろうと。

 

 

長い歴史を通して、

人々に信仰され続けた

エレメンタルなんて。

 

それはそれは、

強力なのだろうな。。。と。

 

 

 

一度創り上げてしまった

エレメンタルは。

 

消滅することなく、ほぼ永久に、

存在し続ける。。。と。

 

だからもし。

良くないエレメンタルを作って

しまった場合は。

 

それ以上そこに、エネルギーを

注がないようにするしかなく。

 

エネルギーが不足してくれば、

そのエレメンタルは、活動を休止し、

冬眠状態になる。。。と。

 

ダスカロスは言っていた。

 

 

だから。

 

エレメンタルと戦ったり、

無理矢理消そうとしても。

 

それは結局。

そのエレメンタルにエネルギーを

与えることになるだけなので。

 

逆効果なのだ。

 

 

エレメンタルをおとなしく

させたかったら。

 

そこから、意識をはずすしかない。

 

つまり。。。

 

完全に忘れる。。。しかない。

 

 

でも。

 

忘れる。。。というのは。

口で言うほど簡単じゃないけどね。

 

 

*******

 

 

「その場の雰囲気」というのも。

 

その正体というのはきっと。

 

「エレメンタル」なのだろうと。

私は思っている。

 

 

あとは。。。

 

占星術のホロスコープに

現れるものも。

 

あれも結局は。

 

その人が、どういうエレメンタルを

持っているのか。

 

・・・ということを、言っているのだと。

 

私は思っている。

 

 

ホロスコープは、あなた自身。

 

・・・とよく言われるけれども。

 

 

私はそれは。

 

「あなたが抱えるエレメンタル」

 

・・・だと思っている。

 

 

それを「個性」と言ってもいいし。

「運命」と言ってもいいし。

 

 

だから。

 

そのエレメンタルを、

すべて休止させたときは。

 

最後に残るものは、

みんな同じで。

 

 

それは。

 

魂のみ。

 

 

その魂は、完全に

中庸で。

 

どこにも、傾いてない。。。

 

 

ホロスコープに現れる、

「個性」とは違って。

 

 

 

よく、言われる法則に。

 

「類は友を呼ぶ」

 

・・・が、あるけれども。

 

 

自分の持つエレメンタルが。

 

それと同じ振動数を持つ

エレメンタルを引き寄せ。

 

引き寄せられ。

 

 

それがこの。

人生の物語になっていくのだと。

 

 

私は、そう思っている。。。

 

 

 

あの時の憑依現象も同じだ。

 

 

あの時。

 

足のつま先から入ってきたのは。

 

あの地に残っていた、

遊女たちの「エレメンタル」

だったのかもしれない。

 

 

そのエレメンタルが。

私の思考に影響した。

 

 

でもそれは。

 

そのエレメンタルを

引き寄せるような振動を持った

エレメンタルを。

 

あの頃の私は自分の中で、

活性化させていたからだ。。。と。

 

 

今は、思う。。。

 

 

エレメンタル。。。

 

それがカルマの、、、

正体なのだろうか。。。

 

 

*******

 

 

だから。。。

 

この世はすべて。

 

思い込みで出来ている。。。と。

 

そう思うのだ。。。

 

 

そういう、漠然とした思いが、

あの時から。。。

 

10代の時のあの体験のあとから。

自分の中にあったけど。

 

その感覚を、見事に言葉にして

説明してくれたのは。

 

ダスカロスだったと思う。

 

「エレメンタル」

 

・・・という「表現」を使って。。。

 

 

 

その概念を獲得したことで。

 

私はますます。

 

自分の中に湧いてくる

感情や思考を。

 

「本当の自分」

 

・・・だとは、思わなくなり。

 

 

それはただの、

エレメンタルなのだと。

 

そういう感覚が、

自分の現実になった。。。

 

 

その思いを更に強化したのが。

 

あの時の。。。

 

ヒーラー時代の、

いくつかの憑依体験

だったと思う。

 

 

その体験を。

意識的に。

 

客観的に見つめることによって。

 

私の中の「エレメンタル」の概念は、

どんどん、確信めいたものになり。。。

 

 

憑依されているにしても、

されていないにしても。

 

そういうことは実は。

どうでもよく(苦笑)

 

 

どうでもいい。。。というか。

単なる物語に過ぎない。。。

 

 

・・・と。

 

私には映っていた。

 

 

 

結局。

 

その時の自分の感情や思考に、

完全に巻き込まれさえしなければ。

 

それを「自分」だと。

完全に信じ込みさえしなければ。

 

 

何事も。

なんてことはないのだ。。。

 

 

ほとんどのことは。。。

 

ただ、過ぎ去るだけなのだから。

 

 

 

憑依されていようが、

どうだろうが。

 

 

普段も、いつも、常に。

 

自分の中にある思考は、

ただのエレメンタルであり。

 

本当の自分ではないのだ。と。

 

そう思う。

 

 

「思考力」や「感情発生装置」は。

 

この、人間というものには、

常備されているけれども。

 

 

ただ。

それだけのことなのだ。。。

 

 

 

それを解ったうえで。

 

そこに生み出される人生を。

 

生み出される物語を。

 

 

ただただ。

楽しめることが出来たならば。。。

 

 

「すべてである私」の視点から

だけでなく。

 

「人間としての私」の視点からも。

 

 

多分。

 

「愛」しか見えなくなって

くるだろう。。。と。

 

 

私は思う。

 

 

*******

 

 

つづく