運命の出会い 231 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

コロナのことで。

 

久しぶりに、政治に目を向けてみれば。

 

震災の頃と。

根本的なところは、ほとんど

変わっていないな。。。と。

 

そう思った。

 

 

未だに、その主流は。

 

「動物意識」

 

・・・なような気がしたから。

 

 

 

海外では、「Qアノン」の勢いが

なんだか、すごくて。。。

 

今、日本でも一部の人は、

アメリカの、「Q」に期待して。。。

 

世界が良いほうへと変わるようにと、

その人達なりに、自分のやるべきことを

探して、頑張っている姿をよく、

目にするけど。。。

 

 

今の私にはもう。。。

 

彼らと同じような気持ちをもって、

それに参加するぞ!という。

 

そういう「熱さ」は、ないなぁ。。。と。

 

 

すっかり。

冷静になってしまった。。。

 

 

そうして時折。

大人になった、寂しさを

知ったりする(苦笑)

 

 

 

もし、震災が起きたあの時に、

今の、「Q」のような存在がそこに

いたとしたら。。。

 

私もきっと。

彼らと同じような熱い気持ちで。。。

 

 

彼らと同じようなことを、

していたのだろうな。。。と。

 

そう思ったりした。。。

 

 

あの頃だったら。。。

 

 

*******

 

 

あの震災の時。

よく思ったものだ。。。

 

 

もし、私に。

 

今の社会体制を、現実的に、

直接的に、改革する。

 

・・・という使命があったとしたら。

 

 

私はきっと。

 

そういう力を持って。

そういう場所に、生まれていただろう。。。

 

・・・と。。。

 

 

だから、今回の人生で。

 

私がやりたかったことは、多分。

そういうことではないのだ。。。と。

 

 

だったら、私に出来ることは?

 

・・・と。

 

 

あの時、そういうことを、

一生懸命、考えた。。。

 

 

 

そうして。

 

自分は「意識」の部分で、

社会に貢献しようと。。。

 

 

そういう結論に、辿り着いたのだ。。。

 

 

政治家を。。。

誰かを、変えようとするのではなく。

 

私自身が。。。

 

自分の意識を透明に。。。

 

自分が「人間意識」を

体現できる人になれば。。。

 

自分の中の「美」を、

出現させることができれば。

 

 

その影響は、身近な人へと

伝わり。。。

 

そうやって、少しずつ、

人から人へと伝搬していけば。

 

いずれ、全体が変わる。。。

 

 

だから私は。

 

外の世界を、直接どうこう

しようとするのではなく。

 

自分自身を透明にすることに、

全エネルギーを注ぐことにする。

 

・・・と。

 

あの時、決めたのだった。。。

 

 

 

それは、「目には見えないこと」

だから。

 

それをやったところで、

表面的には、なんの「功績」も

生まれない。

 

 

誰にも。

気づかれることもない。。。

 

 

 

でも私は。

 

自分の気質的に、「隠者的」な

ところがあるから(笑)

 

そういうほうが、自分に

あってる。。。と。

 

そう思った。

 

 

 

そして、そういう場で起こす

変化というものが。。。

 

目に見える部分へと

表面化するには。。。

 

じわじわと。

時間がかかるものなのだろうから。

 

 

私が生きている間に。

 

その「結果」を見ることが

出来るかどうか。。。

 

それも、解らなかったけれども。

 

 

でもあの時の私には。。。

 

そういう「選択」しか。

 

思い浮かばなかった。。。

 

 

*******

 

 

こういうこともまた。

 

今にして思えば結局は。

 

自分自身のカルマの解消に

繋がっていたことが解る。。。

 

 

*******

 

 

また、震災の時は。。。

 

「赦す」

 

・・・ということが、どういうことなのか。

 

それを、自分の頭が、

ハッキリと捉えた時でもあった。。。

 

 

なんだ。

こういうのはもう、昔から自然と

やっていたことじゃないか。

 

・・・と(笑)

 

 

それを、頭が理解した時でも

あった。

 

 

 

悪いことをする人は、嫌い。

保身ばっかりして、人を踏み台に

するような人も嫌い。

 

 

そういう「嫌い」は。

 

今の私にもたくさんあるし。

 

嫌いな人を、無理に好きになろうとも

思わない。。。

 

 

けれども、同時に思う。。。

 

 

もし私が。。。

 

そういう、嫌いな人と。。。

 

今、社会の批判の矢面に立っている

人と同じような性質を持って生まれ。

 

同じような環境で、

同じような経験をして育ち。

 

同じような立場に立たされたとしたら。

 

 

果たして、私は。。。

 

あの人たちと、違う行動を

取ることが出来たのだろうか?

 

・・・と。

 

 

震災の時に。

 

世間から批判されまくっている

人達を見ながら。

 

よく、そんなことを考えた。

 

 

 

自分の中の、そんな疑問に対して。。。

 

「いいえ。私はあの人たちのような

間違いは、絶対におこしません」

 

・・・と、言い切る自信はなかった。

 

 

なぜなら私も。

 

彼らと同じ、人間だから。。。

 

 

同じ弱さを持った、

人間だから。。。

 

 

*******

 

 

全体で動かしていくこの劇の。。。

 

自分がどの役を演じるかというのも

また。。。

 

それぞれの、カルマと関わって

いるものなのだろうと思う。。。

 

 

だから、私がもし、あの役だったら?

 

・・・と、考えること自体が、

ちょっと、違うともいえるのだけど。。。

 

 

でも、そうやって考えることで。

 

自分の中に。

 

「赦しの心」

 

・・・が、生まれることも、

確かだった。。。

 

 

私がこういう物の捉え方をするのは、

それもやっぱり。

 

10代の時の、あの体験の影響が

大きい。

 

でも、いつも思っていた。。。

 

 

その「私」。。。

 

「すべてである私」の視点から

それを思うのは簡単だけど。

 

「人間Lyrica」の視点では。

そんな気持ちは、到底持てない。。。と。

 

 

そんな「人間Lyrica」の思考回路に

変化をもたらしたのは。

 

「出産」という経験だ。。。

 

 

子供が生まれてから。。。

 

子供の喜びは、自分の喜び。。。

子供の悲しみは、自分の悲しみ。。。

 

・・・という、「感覚」を、

リアルで知った。。。

 

 

あの「感覚」を知ったから。

 

「想像」が出来るようになった。。。

 

 

 

誰かの気持ちというものは、

その人にしか解らないし。

 

私達はみんな。

自分のフィルターを通して、

それを、「想像」するしかないのだけど。

 

 

でも、そのフィルターが

透明に近ければ近いほど。

 

その「想像」は。

 

「愛」に近くなる。。。

 

 

つまり。

 

肯定的な形で、

想像するようになる。。。

 

 

「他者は、自分を映す鏡」

 

・・・とは、こういうことだと思う。

 

 

出産・子育てという「経験」は。。。

 

私のそのフィルターを少しだけ、

透明に近づけたようで。。。

 

 

 

謝罪の記者会見で頭を下げる

東電の社員の人も。

 

可愛い赤ちゃんだった頃も

あっただろうし。

 

この人のお母さんにしてみたら、

どんな息子であれ、愛しいのだろうと。

 

 

そんな風に、「想像」していくことで。

 

なんだか。

 

責める気持ちは失せてくる。。。

 

 

そのほうが。。。

 

自分の心が平和で、

気持ちがよかった。。。

 

 

人を責める。。。という行為は。

本当に、心を疲れさせるから。。。

 

 

 

事実はどうあれ。。。

 

本当のところが解らないことを、

自分の中で変に否定的に捉えて、

心を煩わされることのほうが。

 

私には、苦痛だったから。。。

 

 

だからああやって。。。

 

原発後の混乱がひどくなってきた頃。

 

私はまた。

テレビから離れた。。。

 

 

*******

 

 

つづく