運命の出会い 230 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

昨日のブログを書いたあと、

改めて思い出していたら。。。

 

 

もしかして、あのゾロゾロの投票の

シーンというのは。。。

 

菅さんを総理から降ろすか降ろさないかの

投票だったっけ???

 

・・・みたいに思ったりもしたのだけど。

 

そのあたりの記憶は曖昧だ。。。

 

 

・・・ということは。

 

そのあたりは私にとっては、

さほど重要なことでは

なかったのだろう。。。

 

 

私がイヤだったのは。。。

きっと。

 

一方では、生死の境で

大変な思いをしている人が

たくさんいるのに。

 

今、そんな悠長なことをしている

場合なのだろうか?

 

・・・みたいなことで。

 

 

そしてそれ以上に、私の気を

滅入らせたものは。。。

 

「感じた」ことだ。。。

 

 

そこに何か。

 

「シナリオ」のようなものが

あるような感じを。。。

 

 

 

その「シナリオ」を書いたのが、

一体誰なのか。。。

 

 

・・・みたいなことは、

私個人には、到底解らないし。

 

思うことはいろいろあっても。

あえて、言及する気もなかった。

 

 

でも。。。

 

それを書いたのが、誰であっても。

 

「人間の誰か」であっても。。。

 

 

なんであれ。。。

 

その背後には、、、

 

「目には見えないおおいなる意思」

 

・・・があって。

 

 

私達はみんな。

 

全員。

 

その「意思」を、ここで体現する

「駒」のようなものであり。。。

 

 

それは、大人にとっても、

子供にとっても。

 

どんな国の人でも。

どんな身分の人でも。

 

善人でも悪人でも。

 

みんな同じだ。。。

 

 

みんなで、ひとつの劇を

上演しているのだし。

 

みんなで、ひとつの絵を

描いている。。。

 

 

 

だから。。。

 

こういう悲劇もまた。。。

 

私達にとって、必要だからこそ。

こうして、実現しているのだと。。。

 

私達全員の。

魂の同意があったからこそ、

こうして、実現しているのだと。。。

 

 

そう思った時。。。

 

自分の未熟さが。

 

悔しくなった。。。

 

 

そして。

 

こんなシナリオが、こうして

実現してしまうような。。。

 

こんな世の中は、もう本当に。。。

変わらないといけない。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

*******

 

 

あの時。。。

 

もうひとつ、イヤだったことが

あった。。。

 

 

大地震や津波。。。

そして、原発事故。。。

 

 

そういうことが起こると。。。

多くの人が、恐怖する。。。

 

 

そういう「怖れ」というものは、、、

人を、狂わせてしまうのだな。。。と。

 

周囲を観察していて私は。。。

 

それを、しみじみ思った。。。

 

 

その「怖れ」がまずあって。。。

 

次に、多くの人がやっていたのが、

「他への攻撃」だった。。。

 

 

解りやすかったのは。

 

原発事故の責任を。

すべて、政府や東電に

なすりつけて。

 

批難、批判の嵐が起こったこと。

 

 

私ももちろん。

 

誰かが責任をとらなければ

ならない。。。

 

・・・ということは、解っていたけど。

 

 

でも。。。

 

誰かを、何かを「標的」にして。

 

みんなでそこを、激しく

責め立てたりする姿に。

 

 

人間の弱さを見たような。。。

 

 

そんな気持ちになった。。。

 

 

 

そんな私の気持ちに、、、

追い打ちをかけたのが。

 

スピリチュアルの人達だった。。。

 

 

ちょっと前まで。

 

愛です。光です。

 

・・・と言っていた人達が、、、

 

今、同じように政府や東電の責任を、

厳しく追求しようとしている姿を見て。。。

 

 

そこにものすごく。。。

 

「矛盾」

 

・・・を、感じたのだ。。。

 

 

慈悲は、どこに行ったの???

 

・・・と。

 

 

慈悲。。。って。

 

なんでもかんでも、

赦すことではない。。。

 

悪いことをしたならば、

その人が自分で責任をとる機会を

奪ってはいけない。。。

 

 

でも。

 

それでも、その根底で。

 

相手を思いやる気持ちを。。。

相手の身になって考えてあげられる

心の余裕を持っているのが。。。

 

慈悲の姿なのだと。。。

 

私は、そう思っている。。。

 

 

なのにあの時。。。

 

スピリチュアルの人達の多くから。

 

その「慈悲」のエネルギーを、

全然感じなかった。。。

 

 

それがもう。。。

 

本当に、イヤだった。。。

 

 

*******

 

 

スピリチュアルの人達が、

イヤだったわけではない。。。

 

 

「スピリチュアルの教え」

 

・・・って、何なのだろう?と。

 

そう思ったのだ。。。

 

 

こういう世界のことを、何も知らない

人達のほうが、かえって、

心のままに生きているのでは?

 

・・・と。

 

そんな気がしたりもした。

 

 

だって。。。

 

小さな子供達だって。

本当は解っているのだということを。

 

私は知っているし。。。

 

 

どんな人でもみんな。

 

「すべてである私」と。

 

今でも繋がっているのだから。

 

・・・というよりも。

 

すべての人がみんな。

 

今でも、「それ自身」であるのだから。

 

 

 

聖書を3日読めば。

誰でも、イエスと同じことが言えて。

 

仏典を3日読めば。

誰でも、仏陀と同じことが言えるけど。

 

 

でもそういうのは、本当に。

「頭」で解っただけのことで。

 

頭で解っただけだと。

 

ああいう、緊急事態の時には、

ボロが出る。

 

 

そうやって。。。

 

「知識」を蓄えただけで、

解ったつもりになってしまう。

 

・・・というのは。

 

それはまるで。

 

「落とし穴」に落ちた状態だし。。。

 

 

私はもう知っている人。

あなたはまだ知らない人。

 

・・・という、強い分離感を生む。。。

 

 

そういうのはかえって。。。

 

遠回りをさせるものだ。。。と。

 

 

そういう遠回りをさせるような教えが。。。

 

スピリチュアルや宗教だ。。。と。

 

 

あの時本当に。

 

しみじみ、それを感じた。。。

 

 

*******

 

 

こういうことはもう。。。

 

高校時代から、感じていたことだった。。。

 

 

ミッション・スクール時代の先生たちや、

仏教にのめり込む母の姿を見て。。。

 

いつも、その言動に

「矛盾」を感じていたあの頃。。。

 

 

そして、19歳であの体験をした時。。。

 

宗教的な道が、

実は「遠回り」であることを、

しみじみ感じた。。。

 

 

遠回りでも。。。

 

その人がそこを通りたいのならば、

それはそれだ。。。と。

 

そう思ってはいたけど。

 

 

自分は、そこは通らないだろうと。

 

そう思っていた。

 

 

 

それがここ数年。。。

 

私自身がいつの間にか。

 

そういう道に、入り込んでいたな。。。

 

・・・と。

 

 

それを、あの時、

しみじみ実感して。。。

 

思わず、可笑しくなった。。。

 

 

こういう「教え」というのは、

本当に。。。

 

 

人間にとっては。

 

甘い誘惑なのだなぁ。。。と。。。

 

 

 

スピリチュアル的な教えからはもう。

距離を置こう。。。と。

 

あの時、そう思って。。。

 

 

でもそれから、本当に、

吹っ切れるまで。

 

その後、何年もかかった。。。

 

 

そういうのもまた。

 

私の「カルマ」のひとつ

だったのだろうと。。。

 

 

今は、思う。。。

 

 

*******

 

 

つづく