娘が生まれたばかりの頃。
ベビーカーでお散歩をしていたら、
近所に、松山バレエ学校の支部が
あるのを、偶然見つけた。
支部。とはいえ。
あの、松山バレエ学校。
だから私は、、、
その時もう。
決めていた。
この子が3歳になったら。
ここに通わせよう。と。
今はもう。。。
昔とは色々、事情は違ってきては
いるけれども。
私達の世代では、日本のプリマと
言えばやっぱり、森下洋子さんで。
その森下さんが在籍している
松山バレエ団は、どこか特別だった。
そのバレエ団に連なる学校なのだから。
それはそれは。
良い教育が受けられるだろうと。
当時の私は思ったのだった。。。
そこの先生は、本当に教え方が上手で。。。
こんなに小さなころから。
こうやって、きっちり基礎を徹底的に
やってくれていたら。。。
私もきっと、もっともっと
踊れるようになっていたのだろうな。と。
そんな風に思ったものだ。。。
今は日本でも。。。
レッスンの質は、こんなに
向上していたんだ。
・・・と。
感動したりした。
先生は、若い頃からずっと、
森下さんや、その旦那さんである
清水哲太郎さんと共に、
海外のあちこちを飛び回り。
だから。
横の繋がりも、かなり広く。。。
ある時は、あのマラーホフを、
直々に育てた先生までもを
お教室にお呼びし。。。
そんな先生から娘たちは。。。
レッスンを受けさせてもらったりもした。
娘は生まれつき、股関節が柔らかく、
身体的には、バレエに対して、
いろいろと、恵まれたところがあったので。
その先生から。
「あなたの場合。
あとは、(その身体を)
使うだけですよ」
・・・なんて。
言ってもらえたこともあった。
教師としての才能のある先生。
親の多大な理解と協力。
アンディオールに適した身体。
ある意味、そういう恵まれた
環境にあった娘だけど。
ひとつ、足りないものがあり。
それは。
本人のやる気だった。。。
一番、欠けてはいけないものが、
娘には欠けていた。
娘も、踊ること自体は好きだったけど。
バレエに対する「熱い情熱」
・・・みたいなものを、
彼女は持ってはいなかった。
今にして思えば。
それもそうだよね。と思う。
だって、もともとは。
私が無理矢理、彼女に
バレエを習わせたのだから(苦笑)
でも、あの頃は。。。
そんな娘を見ながら、よく思ったものだ。。。
もったいない。。。と(苦笑)
私には、あれだけ「やる気」があり。。。
でも、「環境」がなかった。。。
だからもし。
娘みたいに、恵まれた環境が
あったとしたら。
それを、存分に活かすのに。。。と(笑)
でも、同時に。
どこかでは、解っていた。。。
やっぱり。。。
この世は、そうなるべくして
なっているのだろう。。。と。
私も娘も。
「ダンサー」というピースでは
なかったのだろう。。。と。
人類全体で描く大きな絵の中の、
ひとつのピース。
そのピースとしての自分は、
「ダンサー」という色ではなく。
もっと他の。。。
違う色なのだろう。。。と。
そして。
全体の中で。
「ダンサー」という役割を担い、
世界に影響していくような人は。
もう、最初から。
そうなるべくして生まれてきて
いるのだろうな。。。と。
そう思った。
*******
なんだかんだありながらも。
娘は、10年以上もバレエを続けて。
その間は私も。
娘を通して、バレエという世界と
繋がっていることが出来た。
ベリーダンスを始めた頃。。。
・・・というか。
私が、「自分で踊る」ということを、
再び真剣に思い始めるキッカケの
ひとつになったものは、きっと。
娘がバレエを辞めてしまったことも
あったのかもしれない。
「ダンスの世界」との繋がりが、
途切れてしまったことによる焦り。。。
というか、寂しさ。
みたいなものがきっと、
あったのだろうな。
あの頃の私はまだまだ。
「観客側」ではなくて、
「踊り手側」として。
ダンス界にいたかった
のだろうと思う。。。
*******
ベリーをやめてから。
また少し、真面目にバレエをやろうと
思った時。
ちょっと、娘に声をかけてみた。
「一緒に、バレエやらない?」
・・・と。
その頃、娘もなんとなく、
運動不足を感じていたようで。
「ゆるくだったらいいよ。
でももう、前みたいに真剣には
やりたくない」
・・・と、そう言った。
そうやって、二人でみつけた
バレエ教室の。
そこの「大人クラス」で。
ある程度、ゆるく。
でも、スポーツジムよりは
多少、本格的。
・・・みたいな感じで、
レッスンを始めることにした。
でも。。。
そこの先生がまた。。。
予想外過ぎた(苦笑)
バレエの先生というのは。。。
これまで会ってきた、どの先生も、
ほとんどすべての人が。
「恐い」。。。
もう、本当に。恐い(泣笑)
私の子供時代の先生も、
娘の先生も。
その他、どんな先生たちもみんな、
恐い。
レッスン中は。。。
でも、どのお教室でも。
「大人クラス」の生徒に対しては、
多くの先生は、ゆるく接する。
なぜなら、先生も。
そのクラスの生徒たちには、
ほとんど、期待していないから(笑)
それに、大人は子供に比べると、
かなり、「打たれ弱い」ので。
ちょっと、厳しくすれば
すぐに辞めてしまうから。
そう思っていたのだけど。
そこのお教室の先生は、
そんな大人クラスの私たちに対しても、
コンクール・クラスの生徒に
接するのと同じような態度で。
ものすごく、厳しい~~~
レッスンをしてくれた(泣笑)
あの時は、もう本当に。
死ぬかと思った(苦笑)
先生曰く。。。
「大人には、時間がないんです。
だから多少、無理をしないと。
いつまで経っても、踊れるようには
ならないですから」
・・・と。
レッスン中、具合が悪くなったら、
休んでも構わない。
けれども、「出来ない~~」と言って、
最初からやらない。
・・・というのは、やめてくださいね。
・・・と、最初に釘をさされた。
現役を引退してから、
まだ間もない娘でさえ。
根をあげそうな、
ハードなレッスン。。。
「前の先生より、厳しい」
・・・と、涙目の娘を横目に。。。
もしかして。。。
この先生のもとで、必死に頑張れば。
ある程度、自分が納得できるような
ところにまで、戻せるかもしれない。と。
そんな風に思う自分がいたりした。
ベリーダンスをやっていた頃は。
体型に関しても。
ナチュラルが一番。みたいな
気持ちになり。
女性なのだから、多少、
ふっくら。というか。
適度にお肉がついていたほうが
ベリーにはいい。みたいに思って、
放置しまくっていた体型が。
バレエのレオタードを着た途端、
悲しく見えてきたりもした(苦笑)
あの地獄のレッスン中。
何度も、吐き気やめまいに襲われ。
教室の隅で休むことが、
たびたびあった。
「Lyricaさん、この頃、
休む回数、減ってきたじゃない」
・・・と、さりげなく
励ましてくれたり。
節分の日には、みんなに
恵方巻を振る舞ってくれたり(笑)
そうやって、本当は。
とても優しい人だということは
解っていたけれども。
レッスン中の彼女は、
ハッキリ言って、「鬼」だった(笑)
もう。。。
このまま、続けてたら死ぬ。。。(涙)
でも、今のこの、
苦しい時を何とか抜ければ、
明るい未来が待ってるかも!
・・・と、まるで、昔のスポ根漫画の
主人公のような気持ちで耐えていた時。
娘がポツッと言った。。。
「ママ。
私、もう無理。やめたい」
・・・と。
彼女のその一言で。。。
私の根性は、あっさり崩れ落ちた(苦笑)
実は。
心のどこかで、ホッとしてた。
そのあと。。。
娘と再び、お教室探しを始め。
私達にとって、完璧!と思えるような。
ゆるすぎず。
きつすぎず。。。の。
とても素敵な場所を、
みつけることができた。
そこで、気持ちの良い汗をかきながら、
気分爽快でレッスンをしているうちに。
「やっぱり、無理のしすぎはよくない」
・・・と、しみじみ感じた。。。
そこのお教室の先生も。。。
「無理はしないでね。
身体を痛めてしまうから」
・・・と、よく言っていた。
前のお教室が地獄だったから。
ここは、天国のように感じた(笑)
「この先、ここで。
バレエを続けていこう」
・・・と。
あの時、娘も私も。
そう思ったのだった。。。
でも。。。
「でも、本当にそうなるのだろうか?
また、ミシャールの時みたいに、
予想外なことが起こったりしたら?」
・・・みたいな思いが。。。
なんとなく。
自分の中のどこかにあるのを
感じたりもしたのだった。。。
*******
つづく