運命の出会い 171 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

エッセネ派が、聖書に登場しないのは。

 

彼らがほとんど、俗世と関わることなく、

奥にひっこんで、修行に明け暮れていたからで。

 

彼らに関する、現在の資料を読む限り。

かなり、ストイックな集団だったらしい。

 

 

彼らのことを、知れば知るほど。

 

「あぁ、好きだな。こういう生活」

 

・・・と思ったし。

 

昔、あなたはそこにいたんだよ。

と言われても。

 

たしかに、いたかもしれないよなと

思えてしまうほどそこは。

 

私の性質には、あっているところのように

思えたりもした。

 

 

*******

 

 

今回の人生の中で私は。

 

「人と交流すること」によって、

自分が大きく成長していくことを、

身をもって、しみじみ実感したし。

 

そういう道を、自分自身で

選んでいたのだろうな。とも思う。

 

 

でも、人と関わることで学べることと。

 

そういうことをすべて遮断して、

俗世とは隔絶されたところで

学べることというものは。

 

また、違うのだとも思う。

 

 

そして私はおそらく。

 

これまでの輪廻転生の中では、

相当の時間を、俗世から離れて

あれこれ修行に費やしていたのだろうと。

 

なんとなく。

そんな気が、ずっとしていた。

 

 

以前、OSHOの彼に。

 

「あなたの手は、前世で密教修行を

していた人の手だよ」

 

・・・と言われた時もそうだったけど。

 

この、エッセネ派の話を聞いた時も。

 

「やっぱり。。。」

 

・・・みたいな感じがしたから。。。

 

 

*******

 

 

ダスカロスの世界に触れているうちに、

私は同時に、イエスに対する関心も

深まっていったのだけれども。

 

 

そう言われてみれば、自分は。

 

気づけば、子供の頃からだいぶ、

イエスには縁があったのかもしれないな。

 

・・・と。

 

そんな気持ちになっていった。

 

 

小学校の低学年の頃。

父が短期で、長崎に単身赴任になり。

 

それが明けて、帰ってきた時。

父は私へのお土産に、

銀のクロスのペンダントを

買ってきてくれた。

 

それは、イエスが磔にされた

十字架のペンダントで。

 

私はそれが、ものすごく気に入って。

それ以来、肌身離さず身につけるように

なったのだけど。。。

 

小学生の頃は、学校に行くときも、

そのペンダントは外さなかった。

 

毎日、こっそり、

身につけていた(笑)

 

 

もちろん、あの頃はイエスなんて

知らなかったし。

 

意味も何も解らずに。

 

ただ、気に入ったから

そうしていただけだったけど。。。

 

 

父も。

宗教とはまったく程遠い人だったけど。

 

長崎は、隠れキリシタンの町でも

あったし。

 

特に、何も考えずに、

あのペンダントを買ってきたのだろう。。。

 

 

そして。

短期の単身赴任で、長崎に住んだ父は。

その町が相当気に入ったようで。

 

私達家族にも。

いつか、その町を案内したい。。。と。

 

そういう気持ちになったようで。

 

 

私が中学にあがった頃。

父のその思いが実現し。

 

私達一家は、九州へと

旅することになったのだけど。。。

 

 

あの時。

 

長崎の大浦天主堂に行って。

 

私は、生まれて初めて。

 

「心の底から神聖な気持ちになる」

 

・・・という体験をした。

 

 

だから、あの時点では私は、

教会とか、キリスト教には、

なんとなく、憧れを抱いていた。。。

 

そして多分。

そういう気持ちが根底にあったから、

高校を選ぶときも。

 

「英語が学べる。土曜日がお休み」

 

・・・という理由の他に。

 

「チャペルが綺麗」

 

・・・なんていうのもあったのだと思うし。

 

 

そう思うと本当に。

 

人生で起こるいろんなことは。

綺麗に繋がっているものだ。。。と。

 

しみじみ、感じてしまう。。。

 

 

 

あの学校時代に。

私の中のキリスト教へのイメージは

ガラッと変わり。

 

今までの憧れとは打って変わって、

大嫌いになったりしたけれども。

 

それもまた。。。

その後の自分に続いていった。。。

 

 

まさか自分が。。。

 

イエスのことが大好きだ。と。

 

そんな風に思う日がくるなんて。

 

高校時代の私には、

とても信じられないことだろう。。。

 

 

*******

 

 

私がイエスのことを好きなのは。

彼が、「神」だからではない。。。

 

「マスター」だったからでもない。。。

 

 

私は彼の、「ホットさ」が好きなのだ。。。

 

彼はきっと。

とても熱い人だったのだろうな。と。

 

そんな風に思っている。。。

 

 

 

モーセがシナイ山で、

神から授かった律法。

 

それが、長い時間をかけて

受け継がれていくうちに。

 

それは、「神による律法」ではなくて、

「人による律法」に変化していったように。

 

私には、見える。。。

 

 

今のユダヤ教で重んじられている、

タルムードはおそらく、「人による律法」なのだと。

 

キリスト教もこれと同じ道を

歩んでいる。。。

 

「教会の教え」が。

「神の教え」とされてる。。。

 

 

「最初の教え」は。

 

後を継ぐ人に、語り継がれていくうちに、

そこに、「人による」解釈が加わり。

 

人のマインドによる解釈が加わり。

 

いつの間にかそれは。

形を変えていく。。。

 

そしてそれは。

「固い結晶」となって。

 

人を縛っていく。。。

 

 

イエスは。。。

 

当時の、権威ある祭司たちを、

叱りつけた。

 

すごい、キツイ言葉で(苦笑)

 

 

それに、神殿内で商売をしている人達を

怒鳴りつけて、ちゃぶ台返しまでした(笑)

 

 

すごい、勇気だと思う。。。

 

 

彼が叱りつけたのは、

「ガチガチのマインド」であって。。。

 

祭司たちや、商売をしていた人のことも、

きっと、解っていたのだろうと。

 

そう思う。。。

 

 

どんな人でも、人間であるがゆえに。

弱さを持っているのだ。。。ということを。

 

 

でもそれで。。。

 

結晶化して、ガチガチになっていた

マインドたちからの反感を買って。

 

 

結果。

ああいうことになって。

 

 

解っていながら。

それでも、貫いたのだろうな。。。と。

 

信念を。

真実を。

 

自分を守ることなく。。。

 

 

ホント。

すごい人だ。。。と。

 

そう思う。

 

 

 

もし。

 

今の世界にまた、イエスの魂が、

人間として表れたとしたら。

 

 

今のクリスチャンの人達は。

その人が、イエスだと。

 

見抜くことは出来るのだろうか。。。と。

 

 

そんなことを。

たまに、考えたりもする。。。

 

 

私だって、人のことは言えない。。。

 

 

私もまた。。。

弱さを持った人間であるのだから。。。

 

 

*******

 

 

つづく