ヒルデガルトの先生はあの頃、、、
よく、ヨーロッパを旅していた。
そして、旅のお土産話をいつも。
たくさん、聞かせてくれた。
お土産は、お話だけでなく。。。
現地で、いろんな珍しいものを買ってきて
くれたりもして。
アロマやハーブ。。。
そして、ヒルデガルトや魔女など。。。
興味ある分野が同じなだけでなく、
かなりマニアックなところでツボが
ぴったりあっていた先生だっただけに。
彼女からいただくお土産にはいつも、
胸が躍った。
あの頃はまだ、子供たちが小さくて。
私は自由に海外旅行などは出来なかったから。
そういうの、すごくありがたかったな。。。
*******
ドイツの片田舎にポツッとある古い教会などには、
その敷地内に魔女狩り時代の拷問道具などが、
普通にドーンと置かれていたりするのだそう。。。
そういうところを訪れたりすると、、、
「あぁ、、、私はこういうの、怖くて見れない」
・・・と言いだす人がいたりするのよ。。。
・・・と、先生は話していた。
そういう人たちの多くは。。。
前世で自分は魔女をやっていた。
・・・と、信じていたりしたようだ。。。
魔女のことに興味を持てば。。。
避けて通れないのは、「魔女狩り」の話だけど。
当時の魔女狩りの実態を、、、
リアルに詳細に語った本を読んだときは、
私も途中で気持ちが悪くなって吐きそうになり。
人間の非道さに怒りがこみ上げ。。。
そして、泣けて泣けてしかたなく。。。
とても、最後までちゃんと読めなかった。
でも、「怖い」。。。という、恐怖感は。
私は、あまり感じなかった。。。
ただ。。。
ああいう、残酷でグロテスクなものを
見せられたら。
気持ちが悪くなる。。。というのは、
人として、ごくごく自然なことだから。。。
だから、、、
そういうことだけで、自分が前世で
魔女をやっていたとか。
簡単にそう思い込んでしまうのは、
なんだか、浅はかすぎるな。と。
そう思っていたけど。
でも、、、
魔女の世界は、知れば知るほど心地よく。
そこには、私を引きこむ何かがあって。
だからきっと。。。
何かしらのご縁はあるのだろう。。。
それは一体。。。
どういうご縁だったのだろう。。。と。
そんなことは、、、
よく、考えたりしていた。。。
今となってみれば、、、
ウイングメーカーも、OSHOも、
チベットもキリスト教もヒルデガルトも、
そして、魔女の世界も。
それだけでなく、ダンスとか歌とか。
そしてあの、、、
「アトランティス」でさえも。。。
きっとすべて。
過去生で通ってきた道なのだろうと。
そう思う。
今回の人生で出会い、立ち止まったものはきっと。。。
どんなものであってもすべて。。。
「他生の縁」によるものなのだと。
そう思うから。。。
でもあの頃の私は、、、
まだまだ、旅の途中だったから。
簡単にそれを。。。
認めるわけにはいかなかったのだろうと。。。
そんな風に思う。。。
だから、当時の日記には、、、
こんなことを書いていたりした。。。
*******
★魔女と聖女★
魔女をやっている方々の中には、
「キリスト教は嫌い!」 なんておっしゃっている方も
いらっしゃるようなのですが、そう言えば私って、
考えてみると、両方に惹かれるなぁ。。。
なんて思っていました。。。
魔女とヒルデガルトにも、
とても共通するものを感じます。。。
とても女性的なものです。。。
ヒルデガルトの少しあとの時代からは。。。
女性にとっての受難の時代でした。。。
残酷な、魔女狩りの時代です。。。
余談ですがこの前ふと。。。
私はこの暗黒の時代。。。
もしかすると、魔女側ではなくて
教会側の人間だった可能性もあるなぁ。。。
なんて。。。
そんなことを思ったりもしていました。。。
どちらにしても。。。
私達人類がこれまで歩んできた道のり。。。
そこで起こってきた出来事は、
全て自分の体験として受け止めよう。。。
そう思ったのだけど。。。
ヒルデガルトが生きた時代は、
女性は言いたいことも言えなかった時代。。。
1951年の魔女禁止令の廃止とか、
アメリカを中心におこったフェミニズム運動。。。
そして今。。。
なんだか、いろいろ思うことありなのです。。。
読んでいた本にこんなことが書かれていました。。。
ヒルデガルトは、幻視を受け入れるために
苦行を行うことはなかったそうです。。。
彼女は、「中庸」こそ学ぶべきものであるとし、
これをあらゆる徳の母としました。。。
あまりに度を越した禁欲は、決して実を結ぶことはなく、
それはむしろ、悪魔の唆しによるものである。。。と。。。
ヒルデガルトが、中庸こそがあらゆる徳の母としたのは、
「人間とは土の器であり、己がそれであり
またそれになるところに常に視線を注ぎつつ、
壊れやすい己の分に応じた行いをすべきだ。」
・・・という、人間観から来ているのだそうです。。。
分を超えた禁欲は、逆に思い上がりの結果であり、
人間としての自らの脆さを脆さとして受け止める
謙遜な態度こそが求められるべきものであり、
それが実生活において中庸な
あり方として実現される。。。と。。。
こういったものは、ひとつの「考え方」であって、
これだけが正しい考えだ。。。とは言わないけれど、
でも、私はヒルデガルトの、このような考え方が好きです。。。
*******
ヒルデガルトの先生に、、、
自分は魔女狩りの時代。
教会側だったかもしれないな。
なんて話したら。。。
「ほとんどの人が、自分は拷問された側だと
言うのだけど。
自分が拷問した側だったかもなんて
言い出した人は、あなただけだよ」
・・・と。
そんな風に言われた。。。
私は。。。
あの魔女狩りの時代の。。。
人間の闇の歴史とじっくり向き合ったことで、
学んだことがある。。。
しっかり。。。
獲得したものがある。。。
それは。。。
「すべての人の体験を、、、
自分の体験だと捉える想像力」
「すべてである私」の視点からみたら、
そんなことは、当たり前のことだった。。。
全ての人が、、、
自分なのだから。
けれども。。。
自我として、思考として。。。
人間Lyricaとして。
それを、リアルに想像することは、
やっぱり、なかなか難しかった。
でも。。。
魔女狩りの残酷な歴史に直面して。
そこで少し立ち止まり。。。
いろんなことを考えているうちに気づけば。
そのあたりが少し。
ステップアップしたような気がした。。。
ああいう体験はきっと。
いわゆる、「カルマの解消」のひとつ
だったりしたのではないのか。。。と。
今は思う。。。
魔女狩りの拷問の実態を初めて知った時、、、
私は吐き気がして、怒りに震えたけど。。。
でももし、自分が、、、
こういうひどいことをしていた側だったとしたら。。。
だから、その時のことを悔やんで今、
こうして、魔女の世界に関心を持っているのだとしたら。
・・・と。
そう想像したら、本気でちょっと。。。
怖くなった。
その時はもう、最初の怒りは消えていた。
怒りは消え。。。
批判する気持ちも失せ。。。
ただ、、、理解したくなった。。。
「なぜ教会の人達(自分)は、、、
こんな残虐なことをしたのだろう?」
・・・と。
そうして、見えたものはやっぱり。。。
「人間の弱さ」
・・・だった。
そしてこの「弱さ」は。。。
他人事ではなく。
自分も含めた、すべての人が共通して、
その奥底に持っているものだと。。。
そう思ったらもう。
誰のことも責められなくなった。。。
こういう考え方が。
こういう思考癖が身についたのは、
この頃だったと思う。。。
ヒルデガルトや魔女の世界を、
深く旅していた頃。。。
「女性性」の世界を。。。
どんどん、深めていた頃。。。
*******
*******
つづく