メアリー先生のレッスンでは、
ダンカンが遺した踊りを、いくつか教えてもらった。
一番最初に教えてもらったのは、、、
そのタイトルとか音楽は忘れてしまったのだけど、
たしか、「ギリシャ彫刻の女神像」になりきるような。。。
そんなダンスだった気がする。。。
ダンカン・ダンスには基本、
西洋のクラシック音楽が使われるので、
それが、知っている曲だったのは
覚えているのだけど。。。
なんだったっけかなぁ。。。
そして、メアリー先生のレッスンは、
ただずっと身体を動かしているだけではなく。
時折、みんなで輪になって座って。。。
ダンカンの生涯とか哲学についてなどを、
メアリー先生が、いろいろ語って聞かせてくれる
時間もあったりした。
その時は、メアリーさんはただ語るだけでなく、
私達にいろんなことを問いかけてきたりもした。
「あなたは、どう思う?」
・・・って。
そういうのが、素敵だな。。。と。
そう感じたのを覚えてる。
私は長い間、ダンスのレッスンをしてきたけれども。
日本人の先生で、レッスン中にこういう
時間を設ける先生は、ほとんどいなかった。
このずっとあとになってベリーダンスを始めた時、
ミシャールというアメリカ人ダンサーに出会ったけど。。。
ミシャールも。
メアリー先生と同じような時間を、
よく、レッスン中に設けていたな。。。
一方的に教えるだけでなく。
生徒に問いかけてきて、そして一緒に
考えたり、感動したりするやり方。
だから、、、
こういうことに限って言えば私は。。。
西洋的な在り方のほうが、
好きだ。。。
*******
「ひとつのことをずっとずっと深めていくと、
いろんなことが解るのよ」
・・・と。
メアリー先生は、そう言っていた。。。
これと同じようなことを、、、
カバラの松本先生も言っていた。。。
同じ。。。と言っても。
言葉は全然違う。。。
松本先生は、こう言っていたのだ。。。
「この世に『道』はたくさんあるけれども、
でも、どれも目指すところ、辿り着くところは、
みんな同じなのよ」
・・・と。
私にはそのふたつの言葉が、、、
同じ意味に聞こえた。。。
同じことを言っているように聞こえた。。。
*******
あるレッスンの時には、、、
禅寺の、現役の尼さんが来ていたりもした。。。
もう、だいぶ年配の人だった。
例によって、みんなで輪になって、
いろいろ話す時間の時。。。
その彼女が、すごく語っていたのを
覚えている。。。
メアリー先生が、、、
完全に聞く側にまわっていた。。。
禅の修行をする彼女は、、、
ダンカン・ダンスの中に何かを感じ。。。
それを体験しに来たのだった気がする。。。
そんなような話から、、、
いつの間にか、禅の世界の話になり。。。
彼女は結構、長い間。
禅のことについて、語り続けていた。。。
でも実は私は、、、
それがちょっと、不快だったりもした。
メアリー先生という。
ダンカン・ダンスの師匠が目の前にいる、
そういう貴重な時間なのに。
なぜ、「ダンカンの世界を聞く」ではなくて、
「自分の世界を語る」なのだろう。。。と。
そう思っていた。
私はここに、禅の話を聞きに来たわけではなく、
ダンカンの世界を知るために来たのに。
・・・ってね(苦笑)
その尼さんは、、、
話すだけ話すと、用事があると言って、
少し先に帰っていったのだけど。
そのあと、メアリー先生がボソッと。。。
「一体、それの何が楽しいのかしらね?」
・・・と言って、苦笑いしていたのを、
妙にハッキリ覚えている。。。
尼さんの彼女は、、、
禅の修行の厳しさについても、
あれこれ語っていたからだ。。。
のちのち、ミシャールとの関わりの中で、
いろいろ気づくことになるのだけど。
その最初の始まりはやっぱり。
この頃だったのだと思う。。。
結局。
禅とかヨガとか、そういうのって。
ハッキリ言ってしまえば、「男性の世界」であって。
私達女性にはまた、
違ったやり方がある。。。
・・・ということを、薄々意識しはじめたのが、
おそらく、あの頃だったのだろう。。。
*******
ダンカンの哲学で、私が一番共感していたのは、、、
こういう部分。。。
私はアパートで昼も夜も、身体の動きによる
魂の神聖なる表現としての踊りを追及し続けた。
何時間も手を太陽神経叢の上で組み、
じっと立っていることもあった。
私は求め続け、すべての動きが湧き出す泉、
動力の中心、あらゆる種類の動きが生まれる統合体、
新たなダンスを映し出す鏡をついに発見した。
そしてこの発見から私の理論が生まれ、
それに基づいて、私はのちに学校を設立したのだった。。。
私は体の中にある経路に流れ込み、体全体を光の波動で
満たしていく魂の表現の源を探し続けた。
つまり魂のヴィジョンや思いを映し出す
遠心的な力を追い求めたのであった。
何ヶ月もかかって、この一つの中心に全ての力を
集中することを学んでからは、音楽を聴くと、
音楽の光や波動が私のなかにあるこの泉に
流れ込むのがわかった。
その光や波動は、そこから頭脳ではなく
魂の霊的ヴィジョンのなかへと映し出され、
このヴィジョンから光や波動をダンスの中に
表現するのだった。。。
~イサドラ・ダンカンの自伝『魂の燃ゆるままに』より~
・・・と、ダンカンは小難しく語っているけど、
要は。。。
「芸術とは、天から受け取ったものを
そのまま表現すること」
・・・と、言っているのだと思う。。。
自分がそれをやっているのではなく。。。
「自分」は、それを表現するための、
「ただの器」でしかない。。。
・・・みたいな感覚になること。。。
でも、実際の芸術の世界は。。。
「芸術家の魂」を持った人ではなく、
「商人の魂」を持った人に牛耳られている気がしてね。
芸術だけでなく、いろんな分野に、
「商人」がいて。
だから、それを「職業」とした途端に、
いろんなしがらみが発生して。
純粋な芸術表現が難しくなる。。。
そんな気がしてならない。
まぁ、また話が少し逸れたけど。。。
ダンカン・ダンスのレッスンを何度か重ねた後、、、
私は、「本物の芸術」を目の当たりにする
貴重な機会に恵まれた。。。
*******
つづく