小学校の1年生の時。。。
理科のお勉強の一環だったのだけど、
クラスみんなが、朝顔の花の種を植えて、、、
それぞれで、自分の鉢の観察日記をつけていた。
毎朝、学校に行くとまず、水やりをして、
そして、朝顔の成長の様子を、
クレヨンで絵描いて、日記をつける。。。
私の朝顔も順調に芽を出して、双葉が出てきて。。。
・・・と、ここまでは普通だったのだけど、、、
そこからほとんど、成長してくれなくなった。
他の子の芽は、日に日にグングン伸びて、
本葉がたくさん出てきているのに、
私のだけはなぜか、双葉止まり。。。
子供心にちょっと、悲しかったのを覚えている。。。
それがある日、学校に行くと、、、
クラスのみんながそこにたくさん集まっていて、
朝顔の鉢を眺めていてね。。。
「?」と思いながら近づくと、なんと。
私の朝顔の、花が咲いていた。。。
双葉が出てからは、ほとんど
成長していなかったはずなのに。
そこには、赤紫の朝顔が一輪。。。
綺麗に咲いていたの。。。
私のその鉢には、先生のメモが立てられていて、
そこには、こう書かれていた。。。
「本葉も蔓も生えていないのに、いきなり
花が咲いた、めずらしい朝顔です」
・・・と。
今にして思うと、、、
あの時のあの朝顔は、、、
私のその後の人生を象徴していたようにも
思えてしまう。。。
本葉も蔓も出ていないうちから、
花だけ先に咲いた。。。
・・・なんて。
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以前、絵描きの彼に、、、
教えてもらったことがあった。
それは。
「守・破・離」
・・・という言葉で。
元々は茶道や武道での、修行の過程を
表すのに使われるものみたいなのだけど。
例えば。。。
そこに師と弟子がいたとしたら、、、
「守」では、弟子はひたすら師の教えを守り。
「破」では、弟子は師の教えをただ守るだけでなく、
それを吟味し、時にはそれに背き。。。
「離」では、弟子は師のもとから離れ、
自分自身の新たな世界を築いていく。。。
・・・みたいな感じ。。。
カバラの生命の木について勉強していた時、、、
彼が以前話していた、このお話のことを、
なんとなく思い出したりしていた。。。
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カバラや占星術などを深めていくことによって。
正直に言えば、、、
人生が複雑でめんどくさくなった(苦笑)
でもこういう経験をすることも。
今になってみれば、、、
すごく必要なことだったと思うし。
こういうめんどくさいところを通過した先に、、、
本当の、「あるがまま」があるのだろうな。。。
・・・とも思う。。。
19歳で、ある種、密教的な体験をして。。。
いろんな段階を抜かして、
一足飛びで見てしまった「すべてである私」
としての意識は。。。
それを思い出したことによって、本当に。。。
「何があっても、深いところでホッとしながら生きる」
・・・ということは出来るようになったけど。。。
この世は全てが幻想で。。。
この幻想はいつか消えて、最後の最後には
「本当の自分」に、必ず戻るのだから。。。
・・・と、それを心底確信してしまったばっかりに、
何というか。。。
人間としてもがく。。。とか。
人間として努力する。。。とか。
そういうことを、どこかで軽んじていた。
そういう、めんどくさいことは、
放棄しがちになっていた。。。
一人の人として、、、
自分の人生を、一生懸命生きる。。。
・・・ということを、、、
どこかで、他人事のように思っていた。。。
でも、この幻想の世界で、その世界の中の
法則にのっとって生きている「個」としての私は。
いくらそれを思い出していたとしても、、、
それでもやっぱり、「カルマ」は背負うもので。
それを持ったままでは、やっぱり。
何度生まれ変わったとしても、この、幻想の世界に、
未練が残ってしまうのだろうと。
そういうことが、だんだん解ってきた。。。
エゴの自分は、そうは思っていなくても。
「ラクなほうがいい」
・・・と思っていても。。。
魂としての自分が、このゲームを
しっかりクリアしないうちに、元に戻ることを
よしとしないのだろう。。。と。
そういうことに気づいてしまったらもう、、、
やるしかない。。。
もう、以前の気楽さに戻ることは出来ない。。。
あーあ。
カバラや占星術なんかに出会わなければ、
もっと、ユルユル楽に生きていたかもしれないなぁ。。。
・・・と、何度も思ったりしたけど。
けれども、こういう出会いもまた、運命。。。
私がやりたくてやっているのだろう。。。と。
最後は。。。
そういう思いに辿り着いていった。。。
エゴはそうやって。。。
サレンダーしたの。。。
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親にはそのつもりがなくても。。。
無意識に生きていると、知らず知らずのうちに、
子供のことを支配していたりすることがあって。。。
子供のほうもやっぱり、、、
無意識で生きていれば、大人になってもずっと、
親から受けた影響下の中で生き続け。。。
本当の自分自身。。。というものを、
知らないままで一生終わったりするのだなぁ。。。と。
そんなことを、しみじみ思った。。。
自分はそうじゃない。。。
自分は自分を生きているし、親とは違う。
・・・と、たとえ思っていたとしても。。。
カバラや占星術を学んでいくうちに、、、
私自身もやっぱり、ちゃんと自分を
生きていなかったなぁ。。。と。
そういうことに気づくようになっていった。
そういう影響下で生きているうちはおそらく、
「植物意識」なのだろうし。
師弟関係だったら、「守」なのだろうし。。。
とにかく。。。
意識レベルとしては、一番幼い段階で。。。
「私」は、、、
「人間Lyrica」は。
反抗期を反抗期らしく過ごさなかったせいか、
大人になってもまだこの、「植物意識」から
完全に成長しきれずに。。。
「動物意識」に移行しようとすると、
「罪悪感」にさいなまれてしまっていた。。。
でも、その「罪悪感」を、ま、いっか。。。と、
お気楽に放置していたのはやっぱり。
「すべてが幻想」
・・・というのが、私の中の根底に
あったからなのだった。。。
それに、あまりゴチャゴチャ考えずに、
親や先生の言うことに逆らわず。
「ハイ、ハイ」と素直に言うことを聞いて、
言われたことだけやっていれば、
トラブルも起きないし、責任も持たないで
いいから、ラクだしね。。。
でも。。。
カバラのような世界と出会ったことで、
私は、もがき始めた。。。
まずは、「植物意識」から「動物意識」へと、
しっかり移行するために。。。
まずは、「自分を知ること」だと。
そんな風に思った。。。
その時の私にとっての「自分」というのは、、、
自分のエゴのことで。。。
「自我」。。。と呼ばれている部分。。。
それまでは、「夢の世界の登場人物としての自分」
・・・として、かなり、軽々しく扱ってきていたところ。。。
生命の木ではそれは、「イエソド」で。
惑星は「月」が当てはめられている。。。
自分のその部分のエネルギーが、
どういう形をしているのか。
そこをまずは、しっかり理解することだと。。。
そんな風に思っていた。。。
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シモン・ハレヴィさんが言っていた、、、
「美を出現させる」
・・・というのは、その先にあることで。。。
そこには、「魂の意識」が関わってくるのだけど。。。
なんだか私にとっては、、、
自分の魂のことのほうが解りやすくて。
自分の自我のことのほうが、
よっぽど解らなかった。。。
だから。。。
まずは、動物意識をしっかり確立させることが、
当初の目標だった当時の私にとって。。。
「美を出現させること」
・・・というのは。。。
近くでもあり、遠くでもあることのように感じた。。。
シモンさんが言うこの「美」とは。。。
生命の木の「ティフェレット」であり、、、
それは、、、
ハートであり、太陽であり、
魂であり、真我であり、
ハイアーセルフであり。。。
松本先生は、こう言っていた。。。
人は、一生のうちに何度も、、、
イエソドとティフェレットの間を、
行ったり来たりする。。。
・・・と。。。
そういう話を聞いているうちに私は。。。
以前に、レイオルトが言っていたことは、、、
そういうことだったのか。。。と。
なんとなく解り始めてきたの。。。
「必要なことは、統合なんだよ」
・・・と言っていたあの言葉の意味が。。。
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つづく