この、すごいタイミングで。
本物のマスターが今、日本に戻ってきている。。。
それは。。。
そのマスターに会えるという状況が、、、
すでに整っている。。。
・・・と、いうことでもあった。
私に、、、その意思さえあれば。。。
OSHOの彼は、こう言っていた。
弟子がマスターを選ぶのではなく。
マスターが、弟子を選ぶのです。
・・・と。
そして、こうも言っていた。。。
OSHOが、あなたを呼んでいるよ。。。
「存在」が、僕を媒体として使って、
あなたを誘っている。。。
・・・と。
彼はきっと。。。
これまでの一連の流れから。
あの時、私の中にその「可能性」を
感じていたのだろうと思う。
私がそのまますんなり、そのマスターに会い。
そして、私もOSHOの弟子となり。。。
この先一緒に、そのマスターのもとで、
切磋琢磨していくだろう。。。
・・・と。
でも私はその時、、、
動かなかった。。。
そのマスターに会いたいという気持ちは、
まったくなかったから。
「マスター」というものは。
・・・というか、宗教的な世界における「師匠と弟子」。。。
・・・という関係性は。。。
私にとっては、ある意味、
「鬼門」みたいなものだったから(苦笑)
マスターのもとで、悟りを目指して修行する。
・・・ということに対して。
私は昔から、反発心しか持っていなかったから。
その反発心の原因は。。。
これまでも書いてきたように。
ミッションスクール時代の経験や、
母との経験によるところが大きい。。。
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それまでの母との関係性から。
そういう私の態度が。
彼のような人の目には、どういう風に映るのか。
・・・ということも。
だいたい、想像はできた。
昔から、母に呪文のように聞かされてきた、
「あんたは我が強い」
・・・みたいな言葉が。
いつ、彼の口から飛び出してくるだろう。。。
なんて、思ったりしていた。
OSHOの彼は、こんなことも言っていた。。。
本物のマスターに出会ってしまったら、、、
もう、ただただ涙を流して、
そこにひれ伏すしかなくなるよ。。。と。
彼は。。。
幼児期のある体験によって、長い間ずっと、
「死への恐怖」を抱き続けてきた。。。
その恐怖はもう。。。
とてつもなく深いものだったそうだ。。
でも、OSHOと出会ったことで、、、
彼は、救われた。。。
死から逃げることではなく、それを受け入れて、
超えていくことを学んだ。。。
そして、OSHOの弟子だった、今いるマスターのもとで、、、
「死を超える」ことを目指すようになった。。。
そんな話を彼から聞いた時、、、
私の脳裏に浮かんでいたのは。。。
母の姿だった。。。
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彼の話す言葉は、とてつもなく深く。。。
そして、心地よく。
私はよく、そこに感動していた。
最初のうちは、その言葉は、
彼自身の言葉だと思っていて。。。
だから私は、彼はすごい人だ。。。と。
そう思っていたのだけれども。。。
やっぱりそのうち、彼の言葉と行動に、
なんとなく矛盾を感じるようになり。。。
そのうちに。
彼のああいった在り方は。
OSHOのそれそのものだった。。。ということが、
よく見えてくるようになってきた。
昔。。。
母にこう言われたことがある。。。
「いつもいつも、よく考えていることが大事よ」
・・・と。
それは、あの、ママ友絡みの離婚騒動の際。
母にあれこれ相談した時に、言われた言葉だ。
私は、あの時はその言葉を素直に受け止めたけど。
その後それが、混乱を招くことになった。
私はもともとが、「考える人」なのだ。。。
そういう「資質」を持って、生まれてきている。。。
それに比べて母は、「信じる人」なので。
もともと、そこまで考えない。
母のような人に、「よくよく考えなさい」という
言葉は有効に働くけれども。
私にはその言葉は、かえって毒になる。
本物の教師は。。。
弟子の性質やレベルを見て。
その人にとって適切なアドバイスを
与えることが出来る。。。
けれども、そこまでに至っていない弟子は。
師の在り方をただなぞるだけなので。
相手に混乱を振りまくことがよくある。
OSHOの彼と出会って。。。
最初の頃は私も、「冷静さ」を見失うことなく、
そういうことを、観察することが出来ていた。
けれども。。。
全く疑うことなく「完全に信じ込んでいる」人の
言葉というものは。。。
そこにはなんというか、妙な、力強さがあり。
私自身は、、、
OSHOに呼ばれている感覚などは、
まったくないのに。。。
あれ?もしかして。
私がそれを、キャッチできないだけ?
・・・みたいな、そんな「不安」のようなものが、
自分の中に生まれだし。。。
その不安から。
最初にはあったはずの、冷静さが、
すこしずつ、失われていったような気がする。
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当時から、私はブログでも。。。
19歳の時の、あの体験のことは、
いろいろ書いていた。。。
彼も、私のそういうブログを読んでいたはず
なのだけれども。。。
「核心」は伝わっていなかった。。。というか。
彼の中では、私のそういう体験と、
彼の言う、「死を超えること」は。
まったく、別物に見えていたのだろうな。。。と。
そんな風に感じた。。。
私があの時、経験したことは、、、
彼にとっては。。。
「魔境」あたりを彷徨った。。。
程度に見えていたのだろう。。。と。。。
よくね。。。
「そこで止まってはいけないよ」
・・・と、彼は言っていたから。
母との経験で痛感したことは。。。
マスターとか、その道の師のもとで、
真面目に修行を積んでいる人ほど。
そうでないところで、「それ」が起こるはずはない。と。
頑なに、そう思い込んでいる節がある。。。
・・・ということで。
だから、そういう人は基本、、、
私の話は、まともに聞いてくれない(苦笑)
最初から、、、
「師のもとで、ちゃんとした修行もしていないのに、
悟りなんて起こるはずがない」
・・・と、決めつけているから。。。
どんなに修行を積んでいる人であっても。
どんなに知識を持っている人であっても。。。
もしその人自身が、私と同じ体験を、
実際に経験していなければ。
いくら言葉を重ねたところで。。。
まず、信じてはもらえない。
否定されることのほうが、多いかもしれない。
逆に、、、修行をしていようが、していまいが。
それを本当に体験した人ならば、、、
一言だけで、すぐに通じる。。。
「すべてである私」。。。
「Nothing but Everything」というのは。
そういうものだ。。。
それにそれはもともと。
言葉でなんか、説明できないものなのだから。
それが解っていたから。。。
私は、彼に自分の体験のことを解ってもらおうと、、、
一生懸命説明する気は、全く起こらなかった。。。
最初から、それは無駄だと解っていた。
今のこういう状態では。。。
話せば話すほど、墓穴を掘っていくだろうと。
そう思っていた。
だから私は彼に、質問ばかりしていた。。。
マスターに、会おうともせずに。。。
彼にとって、そんな私の態度は。。。
こんなに誘われているのに、、、
まだ、気づいていないんだ。。。
起こる流れに対して、まだ抵抗している。。。
まだ、手放せていない。。。と。
そんな風に映っていただろうと思う。。。
きっと、じれったい思いをしているのだろうな。と。
私は、そんな風に思ってた。
あの頃の彼にとって、一番大事なことは。。。
「死を超えること」
つまり、「悟りを開くこと」だった。。。
けれども、その時の私にとっては。
彼と一緒に、マスターのもとで修業をして、
悟りを目指すことには、なんの興味もなかったし。
それよりも。。。
こういう不思議な流れで出会った
「彼という人間」
そちらのほうに、関心があった。
OSHOという仮面を被った彼ではなく、
「素の彼」の思いや考えというものを、
もっと、ちゃんと理解したい。と。
そう思っていた。
そこには、よっぽどのご縁があるのだろうから。
そっちのほうを、もっとよく知りたい。と。
そんな風に思っていた。
これは。。。
母に対して思っていたことと同じだ。。。
お願いだから。
マスターの言葉ではなく。
あなたの「本音」を話して。。。と。
この人生の中で。。。
「悟り」というものが、最大のテーマに
なっている。。。という点では。
彼と私は、どこまでもどこまでも一緒だったけど。
その時点で向かっている先というのは。
まったくの、真逆だったように感じる。
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つづく