運命の出会い 35 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

あのフォーラム時代には、いろいろなことがあった。。。

 

 

のちに、ケン・ウィルバーが、

こんな感じのことを言っていたのを知った時。。。

 

私は、彼のその言葉に、

心から同感していた。。。

 

 

「同じくらいの段階にいる仲間同士で、

切磋琢磨しあうことは、成長の早道です」

 

 

・・・と。

 

 

なぜなら、私もあのフォーラムで、、、

そこにいる人たちと、楽しくいろんな話を語り合うことで。

 

自分自身がものすごく、成長したことを

実感していたから。。。

 

 

********

 

 

以前、旧掲示板をただ読んでいただけの頃。。。

 

そこにはひとり、私の目を引く女性がいたの。。。

 

私はなぜだか、彼女が好きでね。。。

 

彼女から漂ってくる何かが。。。

 

それもまた、頭ではよく解らなかったけど、とにかく、

彼女には、私を惹きつける何かがあった。

 

 

私がフォーラムに参加した時、、、

その彼女も、レスを返してくれて。。。

 

すごく、嬉しかったのを覚えている。

 

大げさかもしれないけど、憧れていた芸能人と

直に話が出来た時みたいな(笑)

 

そんな気持ちになった。

 

 

だから私はもしかすると。。。

 

彼女ともっとお話がしたくて。。。

フォーラムに参加し続けたのかもしれない。。。

 

 

それからしばらく経った頃、、、

また新たにひとり、そのフォーラムに、

参加する人が増えた。

 

その人は、私よりもずっとずっと年上の

男性だった。。。

 

その人の年齢とか性別が解ったのは、、、

実は、もっともっとあとのことだったのだけど。

 

その男性から漂う雰囲気は、、、

女性とも男性とも思える感じで。。。

 

私は、しばらくの間ずっと、

その人の性別が解らなかったの。。。

 

 

これもまた、私には珍しいことだった。。。

 

少し話せば、その人が男性か女性かくらいは

だいたい解るものだったけど。

 

その人のことは、最初の直観では「男性」だと

思っていたにも関わらず。。。

 

話せば話すほど、「あれ?女性?」って

思ってしまうような。。。

 

そんな雰囲気を持った人だった。。。

 

 

そして私は、、、彼に出会ったことで。

ものすごく大きく、ステップ・アップした。。。

 

 

********

 

 

母が大好きだった、仏教の先生というのは、、、

「紀野一義」という人だった。。。

 

その先生の主催していた、在家仏教の会。

みたいなものにも、母は所属していた。。。

 

 

この先生の名前。。。

私は今まで、一度も書いたことがなかった。。。

 

でも、私がこれまで書いてこなかったのは、、、

それを伏せていたわけではなく。。。

 

どうしても、、、書けなかったの。。。

 

 

書けなかった理由は。。。

 

もし、紀野先生ご本人が、まかり間違って、

私のブログに辿り着いてしまったとしたら。。。

 

きっと、心を痛めてしまうだろう。。。と。

 

そう思っていたこと。。。

 

 

今はもう、紀野先生はお亡くなりだから、、、

そういう心配はなくなった。。。

 

 

けれども、そういうのは、、、

「表面的で綺麗ごとな理由」であって。

 

 

実は。

 

私自身の中で、母に対するわだかまりが、

まだ完全に、溶けきっていなかったこと。。。

 

おそらくこっちが。

本当の理由なのだろうなと思う。。。

 

 

私は、つい最近まで、、、

この先生の名前を、口にすることさえ出来なかった。。。

 

このネット時代に、、、

先生のことを調べることさえ、全く出来なかった。。。

 

自分の中の何かが、、、

それを、拒絶してくるのを感じていたから。

 

 

けれども。

 

紀野一義さんに対して、どうこう。。。と。

そういうことを思ったことは、今まで一度もない。

 

きっと、立派な先生だったのだろうな。と。

そう思っていたりする。。。

 

母のこと、まったく抜きだったら、、、

お話してみたかった。。。とさえ、思ったりもした。

 

 

問題は、その先生云々ではなく。

母と私との間のことであったのだから。

 

 

そして。。。

私の人生において、こんなに大きな影響や

問題をもたらしてきた母って。

 

本当に。。。

 

とてもご縁の深い、ソウルメイトだったのだろうなと。

 

そう思っていたりする。。。

 

 

母が紀野先生に出会ってからは。。。

 

娘の私からしてみれば、今までこっちを

向いていてくれた母が、全然

自分のことを見てくれなくなってしまった。と。

 

そう感じていた。

 

私の話を、ちゃんと聞いてくれなくなった。

私とちゃんと、向き合ってくれなくなった。。。と。

 

 

だからきっと。

すごく、寂しかったのだと思う。。。

 

 

自分が寂しかったことに、ちゃんと気づいたのは、、、

もっとずっと、大人になってからのことだったけどね。。。

 

 

 

母に何かを言えば、すぐに「定義される」

 

あなたは、こうこうこうだから、こういう子なの。

・・・みたいに。

 

そして、「紀野先生がね、こういう風に言ってたわよ」と、

お説教じみたことを言われると。

 

私は心の中で、いつも思ってた。

 

それって、私が前に話したことと、

同じことじゃない。。。と。

 

 

 

母は、私の言葉は全面否定するのに、

紀野先生の言葉は、全面受け入れなんだ。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

だから私は、昔から母が、、、

紀野先生がね、紀野先生がね。。。と言うたびに、

耳を塞ぎ、すべてシャットアウトしてきていた。

 

 

けど、母は全然めげなかった(苦笑)

 

自分自身は、善意を行っている。。。と。

そう信じていたからね。母は。

 

 

だから、何度も何度も、紀野先生の本や、

その仏教の会の会報とかを、私に薦めてきて。

 

「読んでみなさい。良いことが書いてあるわよ」

 

・・・と。

 

 

子供の頃は、あからさまに突き返していたけど、

そうすると、母からの人格否定攻撃が来て。

 

どちらかというと、感受性の鋭い子供だった私は、

母のそういう言葉が、グサグサと胸に突き刺さり。

 

そして、突き刺さったまま抜けなくなるので。

 

ある時、自己防衛を覚えた。。。

 

 

母に差し出された本は、読んだフリをする。

 

大人になった私は、そうしていた(苦笑)

 

 

まだ、母とは別に住んでいた頃。

子供たちを連れて、実家に泊まると。。。

 

眠るとき、耳元で、紀野先生の講話の

テープを流し始める母。。。

 

 

もう「大人」だった私は、、、

黙ってそのままにさせておいた。

 

「うるさくて、眠れない~」

 

なんて言ったら、どうなるか。

 

もう、ちゃんと学習していたから(苦笑)

 

 

でも、面白いものでね。。。

 

あれだけ流されていたにも関わらず、、、

私はその内容を、全く覚えていないし。。。

 

もとより、最初から、聞いていなかった。。。

 

 

人間って本当に。

 

自分が見たいものだけ見て。

聞きたいものだけ聞いているのだと思う。

 

 

紀野先生の話すお話は、、、

仏教に関するものだったから、時折。

 

「悟り」

 

・・・という言葉が、耳に入って来ることもあり。

 

 

私は、、、そこだけには、少し反応していたの。。。

 

でも、どちらかというと、否定的な気持ちで

聞いていた。。。

 

・・・というか、その言葉以外はやっぱり。。。

耳が拒絶していたのだろうと思う。。。

 

 

仏教って、悟りを目指しているんだ。。。

 

くらいは、なんとなく分ったけれども。

 

それを目指してどうするんだろう?って。

 

 

ずっと。

そう思っていた。

 

 

********

 

 

19歳であの体験をした時に、、、

私は、「すべてである私」に戻っていた。。。

 

もとに、戻っていた。

 

 

「もとに戻る」ということは、つまり、

「人間ではなくなる」ということ。。。

 

 

あの体験のあと、いろいろ考えたのだけど。。。

 

あの体験中、突然、心を病んでしまったクラスメイトの

顔が浮かんできて。

 

その瞬間に私は、なぜか「怖い!!!」って。

 

そう感じた。

 

そして、いつもの自分の意識に戻った。。。

 

 

あの時の、「怖い!!!」っていう感覚はもう、

尋常ではない怖さで。。。

 

どうしてあそこまで怖かったのか。。。

 

あのあと、いろいろ考えたの。。。

 

 

そして思った。。。

 

あの怖さを感じていたのは、「人間Lyrica」であって。

 

「人間Lyrica」にとって、あの体験は。。。

死んでしまうことと同じだったんだな。。。と。

 

あの怖さは、、、死への恐怖だったのだろう。。。と。

 

そんな風に思ったの。。。

 

 

「悟り」って。。。

「あれに戻ること」を言っているのだと、

そんな風に思っていたので。。。

 

仏教ではよく、「悟りを目指して」どうのこうの。

みたいなことを言っているけど。。。

 

「生きているうちに、死ぬことを目指して

どうするんだ?」

 

・・・って、当時の私は思っていたの。。。

 

 

そんなことのために、滝に打たれたりして。

母は一体、何をやっているんだろう?。。。って(苦笑)

 

 

 

「すべてである私」。。。

 

何も不足することなく全てに満たされて。

全てを知っていて完璧で。

 

そんなつまらない永遠の中。

ただ在るだけの私。

 

 

「どうして世界は創造されたの?」

 

・・・と訊かれたら、私はこう答えると思う。

 

「つまらなかったから」とか。

「退屈だったから」とか。

 

 

そんな、あまりに退屈過ぎた私が。。。

わざわざ創ったこの世界。

 

ゲームがしたくて。

 

 

そんなゲームの中で、、、

「ひたすら死を目指して修行する」なんて。。。

 

それって、すごくもったいなくない?

 

・・・って、そう思っていたの。。。

 

 

********

 

 

あのフォーラムの中で、あの男性の人が、

こう言っていた。。。

 

「30年前に悟りを開いた」

 

・・・と。

 

 

実際に、こういう言葉は使ってはいなかったかな。。。

 

たしか、「変容した」って言ってたと思う。

 

けれどもきっと、彼も。

そこが、ウイングメーカーのフォーラムだったから、

その雰囲気に合わせてその言葉を選んだのだろうと。。。

 

私は、そんな風に捉えていた気がする。。。

 

 

ちょっと、記憶が曖昧だけど。。。

 

 

 

「悟ること」ということは、「もとに戻ること」。

 

つまり、人間としては「死ぬこと」だと思っていたので。

 

 

この世界に普通に生きていて、

悟りを開きました。。。なんて言っている人は、

きっと何か、勘違いしているのだろう。。。と。

 

ずっと、そう思っていた。

 

 

だから、そういう人の話はやっぱり、

すべてシャットアウトしてきていたのだけど。

 

 

あのフォーラムの時だけはなぜか。。。

 

「ちゃんと、話を聞いてみたい」。。。と。

 

そんな純粋な気持ちが、、、

自然と湧いてきていたの。。。

 

 

これもまた、不思議だよね。。。

やっぱり、ご縁とかタイミングなのだと思う。。。

 

 

だから、とても素直な気持ちで、、、

その人に、言っていた。。。

 

 

「30年前、どういう体験をされたのか、、、

教えていただけますか?」

 

・・・と。

 

 

ここでもまた、彼の話したお話の、、、

その詳細は忘れてしまっているのだけど(苦笑)

 

その人は、こういう言葉を使っていたのを

覚えてる。。。

 

 

「私はその時、思考を見たんです」

 

 

・・・と。

 

 

そして、その体験が起こるまでは、瞑想をしたりしていたけど。。。

その体験のあとは、瞑想はすっぱりやめた。。。と。

 

そんなことを話していた気がする。。。

 

 

けれども私は、、、

 

そう言われても、すぐにその言葉全てを

鵜呑みにすることは出来なかった。

 

疑ったわけではないけど。

完全に信じられたわけでもなかった。。。

 

だからしばらくは、それは「保留」にしたままで、

その後も、フォーラムの中での彼との

交流は続いていった。。。

 

 

そんなある日。。。

 

彼が、こう言ったの。。。

 

 

「私たちは、ファースト・ソースの中で、

遊んでいるんです」

 

・・・と。

 

 

それを聞いた時に初めて私は、、、

 

その人の話すことを、受け入れるほうへと、

気持ちが傾いたのを覚えてる。。。

 

 

でもあの時は、ウイングメーカーのあの、

「マイ・セントラル・メッセージ」を初めて読んだ時のような、

ああいう衝撃は、なぜか感じなかった。。。

 

「見つけた!」

 

・・・っていう、ああいう感じは。。。

 

 

けれどもその彼と、「悟り」について、

あれこれ語り合ったことによって私は、、、

 

自分の中の「認識」を、確実に変えることが出来た。。。

 

 

 

「悟ること」とは。。。

 

「元に戻ること」だと。。。

「人間として死ぬこと」だと。。。

 

今までずっとそう思っていた私は、、、

それってなんて、つまらないことなんだ。。。と。

 

「悟りを目指す」という話には、

見向きもしなかった。。。

 

 

けれどもそうではなくて、「悟り」は。。。

 

「すべてである私」のことを「知ること」。

「思い出すこと」だと。

 

それを思い出したうえで、人間として、

ここで生きていくこと。。。

 

もし、そういうことを言っていたのであれば。。。

 

だとしたら、「悟ること」は素晴らしいことだ。。。

「悟りを目指すこと」は、素晴らしいことだ。。。と。

 

そう思ったの。。。

 

 

だって。。。

 

あれを思い出すことによって私は、、、

何があっても、ずっと。。。

 

心の深いところでホッとしながら、

生きていけるようになったのだから。。。

 

・・・ってね。

 

 

フォーラムで、あの彼と話しているうちに、

なんというか。。。

 

「あぁ。。。素晴らしい」みたいに感動する気持ちが、

胸の奥から、グングンと湧き上がってきたの。。。

 

 

「悟る」ってそうか。。。

そういうことだったのか。。。と。。。

 

 

その時ふとね。。。

あれ?だったら私は、悟りを開いてるってこと?

 

・・・と、実は思ったりもしたのだけど(苦笑)

 

 

そういう風に思ってしまう自分が、、、

なんだかすごくイヤで。

 

だからそのあと、すぐに打ち消してしまった。。。

 

 

「自分はもう解った」と思った瞬間。。。

そこで、何かが終わってしまうような気がしたから。。。

 

私は、もっともっと。。。

解らないままでいたかったの。。。

 

 

********

 

 

つづく