(1)前回までのあらすじ

 

前回の記事では、そもそも「青」とは何か? という疑問から、「青」の漢字の成り立ちを考察し、『万葉集』から古代日本で「青」が指す色を探りました。

 

 

 

その結果、古代日本の「青」は「blue」とは完全に一致せず、海の「青」から植物系の「green」にまたがる、広い範囲の色を指すが、「青毛」の馬に見られる「black」を指す事例は今のところ見られない、という途中結果でした。

 

今回は『万葉集』にある「青馬」「青駒」を検討します。

 

(2)古代には馬はベンツ

 

まずは「青駒」から。

 

青駒(あをこま)が、足掻(あがき)きを速み、雲居(くもゐ)にぞ、妹(いも)があたりを、過ぎて来にける [一云 あたりは隠(かく)り来にける](第二巻:0136)

 

この歌は、作者が有名な柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の詠んだものです。

 

意味は省略します。

 

この歌では、主人公の男性が馬に乗って妻の家を訪問する場面が描かれています。

 

当時、馬の使途は乗馬か、儀式に用いることを目的としました。

 

農耕馬は牛馬耕が始まった鎌倉時代からで、古代では馬は朝廷で管理されて、乗馬の習慣は貴族や皇族に限られていました。

 

作者の柿本人麻呂は7世紀、天武・持統朝の頃の宮廷歌人で、彼は朝廷に仕えたので、下級貴族といった身分になります。

 

馬はいつから日本列島にもたらされたのでしょうか。

 

 

埴輪の馬が知られていますので、古墳時代にはすでに馬は日本にいたことは確実です。

 

研究では、古くても弥生時代末期に朝鮮半島から渡来したと言われています。

 

上述のように、馬は農民がおいそれと乗れるものではなく、もっぱら貴族・皇族の乗り物として供されていました。

 

古代において馬は高級品で、今でいうとベンツにあたるものと考えていいでしょう。

 

朝廷の牧で生産、飼養にあたり、朝廷内にも馬飼部(うまかいべ)と呼ばれた専門集団によって管理されていました。

 

だから、「青毛」といった馬の毛色の呼称は、朝廷の官人(貴族)によって命名された、ということをここでは確認しておきます。

 

(3)青毛は鴨の羽色?

 

もう一首、『万葉集』から紹介します。

 

水鳥の鴨の羽色の青馬の今日(けふ)見る人は限りなしといふ(巻20-4494)

 

こちらも作者は有名な大伴家持の歌です。

 

歌意を記します。

 

鴨の羽のような青い色しためでたい青馬を今日の日に見る人は無限の命を得るということだ

 

「今日の日」とは、「白馬の節会(あおうまのせちえ)」の日のことであり、この青馬(青毛の馬)の毛色を「鴨の羽色」に例えています。

 

 

 

「鴨の羽色」とは、厳密には「オス鴨の頭部の色」ということになるかと思われます。

 

前回の記事で見てきたように、古代の「青」はもっぱら緑系の色を指すと考えられるからです。

 

それにしても、青毛の馬の毛色と、鴨の緑色とでは、ずいぶんと違います。

 

それはなぜでしょう?

 

(オースミダイドウ)

 

古代人の感覚はアバウトだから。

 

そう考えてはいけません。

 

なぜ、真っ黒の毛色の馬を古代人は「青馬」と呼んだのでしょうか?

 

このシリーズの最初の疑問に戻ります。

 

「なぜ黒い毛色を青鹿毛や青毛と呼ぶのか。」

 

この疑問には、一般的には次のように考えられています。

 

上の青毛馬オースミダイドウの写真に見られるように、青毛の馬は光の加減によっては、青光りして見えることから「青毛」と呼ばれる。

 

この解答は半分正解です。

 

というのは、現在ではこの説明で十分ですが、「青馬」と命名した古代人の心性においては、もうひとつ、大きな秘密が隠されているのです。

 

この秘密を解くカギは、古代の呪術にあります。

 

 

みなさんは土俵の屋根の下に4本の房(ふさ)がぶら下がっているのをご存じでしょうか。

 

総角(そうかく)と言って、東には青(緑)、南には赤、西には白、北には黒の房が下げられています。

 

青毛の謎を解くカギは、この4色の房(ふさ)にあります。

 

 

次回(最終回)は、中国と日本をつなぐ、広大な世界観から青毛の答えを導き出してゆく予定です。

 

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