✢こちらの記事は2021/5/20に
WEBマガジンMagellan(現在は閉鎖されています)に
寄稿したものを編集して載せています。

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ー自分で自分の幸せを引き受けるー
 
今回は良い人優しい人と言われることが多く
気が付くと誰かのストレスや期待を引き受けがち。
ぐったりだけど疲れ顔もできずプスプスだ。。
という方へ書いています。
 
まずはその疲れも怒りも不満、あってもいいし、
感じてもいいんだという
ご自分への小さなOKからどうぞ!
 

 
さて、私の基本的な仕事は二つありまして、
一つは心理セラピー&カウンセリングの個人セッション。
もう一つは心の仕組みや生きやすい
心身についての講座をしています。
 
講座の中で心の話をしたり、身体を整える話やエクササイズをしたり。
 
一見なんのつながりもなさそうな“心と調整のエクササイズ”ですが、
ここに「自律神経」というキーワードが入ると
うまくつながるんですね。
 
で、ある日のクラスで、ある方からその場にいた参加者
皆さんへの共通フレーズが出てきたのです。
 
 
「私たち引き受けガール」
 
 
引き受けガール!!
 

なんの説明も受けていないのにわかりすぎてしまう形容!

私も引き受けすぎてきたことがどれぐらいあることでしょう。
例えば親や夫。近しいほど引き受け具合が増していました。
 
わかる方にはわかる。そしてわからない方には
ぜんぜん引っかからない“引き受ける”。
 
これは何を指すのかというと
 
相手の機嫌、相手の期待、相手の過去や未来、
相手のするべきこと、ほか場の空気、
 
などなど、本当はその人以外の誰もどうしようもないこと
(ときには自然災害のように誰もがどうしようもないこと)の責任
を自ら引き受けにいくことをいいます。
 
このような、つい自分がすることではないことまでしてしまうのは
バウンダリー(境界線)のテーマ。
 

良い人、優しい人、と言われる方は相手の気持ちに
察しがつくのが速かったりその場の空気を読むのが得意だったり、
争いやネガティヴな空気感が苦手だったりして
率先して自らそれをどうにかしようとすることも少なくありません。
 

バウンダリーのことを考えるときに大事なのは
察することが良いわるいでもなく、
特に気にかけないことが良い、わるいでもない。
ということなのです。
 
自分の行動をすべきか否かの基準で決めるのではなく
する自由もしない自由も、自分にはあるのだ。
という
  
 
“選択肢が自分にあること”
 
 
がしなやかな境界線の持ち方と言えるかもしれません。
(境界線に一つの正しい基準はないのですが)
 

みていきたいのは同じ状況、同じ相手でも
対応は人それぞれ。感じることもそれぞれというところ。
 

つまり、
私はどうして自分がぐったりするぐらいの
関りをするのだろうか。
 
という自分のパターンをみていきます。
 

繰り返しになりますが、それが良いわるいではなく
それをこの先も続けていたい?それはちょっときつい?
違うやり方もあるのではないか?なども
自分のパターンに目を向けるときの基準の一つかと思います。
 

その場を円滑なものにする。
相手の気持ちを汲み取る。
 
それ自体はとてもすてきなもの。
だからこそ、そこに
自己犠牲がないといいなと思います。
誰かの我慢のうえに成り立つものって
続けるのがむずかしいですよね。
 
それぞれが心地よい。そんな関係のためにも
相手を思いやるのと同じぐらい。
それ以上にまずは自分に優しく。
 

相手の気持ちや、相手がするべきことを
つい引き受けてしまう引き受けガール&ボーイの皆さん。
 
・引き受けないもアリ
・自分優先もアリ
 
そんな選択肢も加えてみてくださいね。
そこで感じることから何か
新しい世界が見えてくるかもしれません。
 

そうして満ちた自分からは
どんなつながりになっていくでしょう。


自分のしあわせ、自分で引き受ける♩