先日ご紹介した
『私の中のわたしたち』という本について。
これは誰しもの中にいる傷ついた小さな子の話
でもあるかもしれない。。
そんなことを思い、改めて
書きたいと思ったことがあります。
それは
あなたは一人じゃないし、
癒やすのに遅いことも失敗もない。
汚さも間違いもない。
ということです。
◇
以前は「多重人格」と呼ばれていた症状は
今は「解離性同一性障害」と呼ばれています。
本の中には、なぜオルガが
このような状態になったのか、
想像を絶するできごとが書かれています。
書かれている内容は読んでいて
苦しくなるときもありましたが、それでも
ページをめくる手がとまらなかったのは
物語全体を通して感じる
生命の力強さがあったからです。
言い換えるとどんな悲惨なときでも
並行して愛がある。
そして、けっして汚されることのない
生命がある。
その愛はいつも考えているような
愛ではないかもしれない。
それでも私たちはいつも。
常に愛の中以外にはいない。
その渦にいるときはわからなくても
渦も海の中です。
◇
物語にはオルガを常に気にかけ、
声をかけてくれていた近所の
おばあさんがいました。
おばあさんが虐待そのものを
どうにかすることはできなくても
オルガの中にはいつもおばあさんの存在、
向けてくれる注意や気持ちがありました。
痛みや恐怖、不安の中にいるときも
目を閉じればそこにはおばあさんの存在を
感じることができたのです。
オルガが受けた困難は計り知れないものですが
同時にオルガはおばあさんからの愛、支援も
しっかり受け取っていました。
それは確かな力となり、彼女を支え続けます。
◇
このおばあさんのような存在はとても大切です。
もし、苦しいことや傷つくことがあったとして。
そのとき、その場に自分しかいなくても。
心の中に、誰か自分を気にかけてくれている人を
思い出せたとしたら、どうでしょうか。
状況はどうにもできなくても、
誰か私に目を向けてくれている。そして
苦しみに気がついてくれている存在を感じられたら、
どうでしょうか?
「私は一人じゃない。」
そう、感じられたらどうでしょう。
傷つくできごとが起きたとしても、
「痛かったね、こわかったね、
大丈夫だよ。」
「それは苦しくて当たり前だよね、
泣いちゃうよね。」
「言葉にできないかもしれないね、
泣いてていいんだよ。」
「つらかったね、
気が付かなくてごめんね。」
「いいんだよ、いいんだよ。」
言葉や態度でそれを感じられたら
どんな感じがするでしょうか。
ちょっとここで、目を閉じて、
心からあなたを愛し、
心配している存在。
そばにいるよ。
あなたの幸せを願っているよ。
あなたは何もわるくない。
…と思っている人がいる。
と想像してみてください。
いかがでしょうか^^
◇
もしかしたら、
「そんな人、私の周りにはいなかった。」
「そんな人、想像もできない。」
そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、大丈夫なのです。
それを、自分がするの。
自分が自分のそばに行く。
声をかける。
自分で自分を労るの。
「自分に優しい言葉なんてかけられない!
そんな私じゃない。」
というときには、
そう言っている自分の声を聴く。
すっかりすねて、諦めて、
ふてている自分がいるかもしれません。
ただ、その訴えを聴く。
そこに、
『許されてはいけない私』は
いませんか?
その姿でその子が本当に望んでいること、
うったえたいことは、なんでしょう。
◇
今まで、たとえどのようなことが
あったとしても。傷を癒やすこと、
忘れていた自分を迎えにいくのに
遅いこともありません。
”あなたが諦めないかぎり
あなたは一人じゃない。
諦めたとしても一人じゃない。”
” ”ここの部分、何度でもいいたいです。
◇
今、どうしようもない孤独感があっても、
自分は自分と、一緒。
一番近くに、一番あなたを
理解してくれる存在がいるのです。
最初はぎこちなくても
言葉がけが下手でも、なんでもいい。
不器用なままで、なんでもいいから。
そのままのあなたで
ただ自分といる。
自分が自分を見捨てないかぎり、
一人じゃないし
どうしたって、一人にはなれない。
怒りやあきらめという感覚で
愛が真実へひっぱってくれる♪
ほんとーうに、
どんなあなたも、
どんなジブンも、
否定されずに、ここにいる。
無条件に否定がないから、
現れているすべて。
愛されている
受け入れられている、
と思えなくても
そのままの現れだから、しかたない。
そこが、無条件。
受け入れよう、とか
受け入れない私を責めるとか、
しなくてもいい。
したくでもできないときもあるし、
勝手に進む時もある。
ただ、
あなたが自分に目を向け続ける限り、
あなたは一人じゃない。
◇
さて今日のブログで
「一人じゃない」って
何回書いたのでしょうか。笑
でもですね、
最近のセルフワークで
「うわ~いやだなぁ」と思う自分を
ワークしていたとき、
そのワークしている自分に
頼もしさを感じたのです。
「あー、私、うわ~と思いながらもみてるんだな。」と、
ないことにしないで目を向けている感じが
我ながら嬉しかったです^^
たとえスマートではないやり方でも
「どうしたの?」という目が嬉しかった。
インナーセルフが喜んだ場面でした。
今ある「嫌だ。きらい。みたくない。」
のエネルギー量は、そのまま愛の質量♪
”イヤダ”の内訳を解明すると
エネルギーの転換が起こります。
ぜひご自分のやりやすい方法で
セルフワークや対話を
されてみてくださいね。
それではみなさまよい一日をお過ごしください♪
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