昨日は少しまとまった時間が取れたので
久しぶりに腰を据えてセルフワークをしました。

なかなかやりがいのあるテーマで
途中、お菓子に手が延びたり、眠くなったり
掃除を始めたり、FBを見たり… The逃避。笑

そうして取り組み始めたテーマから
何段階か下がり、心の構造がみえ、
苦しみの成り立ちがわかりました。

また、自分の思考のパターンや
行動の動機になっていたものを
知ることができました。


例えば私の場合、

・セラピストとしてどう在るべきか
・セッションはどういうものだ
・癒しとはどういうことか

もよくテーマで絡んでくるのですが、

”自分にとって大事なこと”に関する
信念やマイルールは、時期によって
新しい信念ができていることもあるので、
たまに見直してみるのもいいかもしれませんね。

そうすることで、また
はまっていたループから抜けたり
思考をリフレッシュしたりと、
新しい視点が生まれることもあるでしょう。



私の例が続いて恐縮ですが、昨日は

その下にあった母との関係が出てきました。

私が小学6年~中学生になるころ
インパクトのあるできごとがあり、

そこからの10年間は

トンネルの時期だったのですが、
さらにその下にある根源的な恐れ・

怒り・あらゆる感情や感覚をみていきました。

そこから、

・自分が人と距離感を取る理由

(自分的には距離を取る、と感じることがある)


・間違っているようにみえることを
見逃すのがすごくイヤな理由


・支配的に見える人がすごくイヤな理由

などを紐解いていきました。



特にこの
「支配的・コントローラー」は
かなり根が深く、セラピストとしての
「癒しはクライアント主体であるべき」
という私のセラピストべき・ネバを
強めている思いです。

「支配・コントロール」はもちろん、
他の状況でもよくスイッチを押されるポイント。

一見、「それは当然だ。」ということも
べきが付くと、途端にパトロールが始まり
自分や他者に厳しくなったりします。
そして自分は絶対そうするもんか!
と力が入ったり。



こうして内なる対話を重ねていくと
出てくるのが

自然なねぎらいの思い



自分や関わっていた人への理解

です。

当時の自分や相手、環境など、
思い出しても許せなかったことも
自分の言いぶんをしっかり聞いて
受け止めていくと、心にスペースができ、
視点も広がります。

すると、内側から何か
ふんわり緩まっているものがあります。

手放そうと思っても、手放せない。
それはあたりまえ。

癒しも解放も、するのではなく
結果として、起こる。

と、言うわけで引き続き

「この悲しみをどうにかする!」

モードから

「この悲しみは、どこからきているの?
これが言いたいことはナンダロウ??」

の視点で心と対話をしていきたいな、
と思うのでした。
自分に馴染み深い思いほど
何度見ても新しい発見があったり、
理解が深まったり。
興味は尽きることがないですね(^^)

皆さんはどのように
ご自分とお話をされていますか?



母に限らず、父ともテーマが
盛りだくさんな私ですが
助けになったのが「境界線」のこと。

8月19日に境界線セミナーをします。
まだお席がありますので
ご興味のある方はぜひお待ちしておりますね。

親子関係だけではなく、
あらゆる人付き合いの中で
役に立つ内容です(^^)


『無力さを感じる自分は無力だろうか。』


こちらも更新しました。
 

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