ここから少し空手の話。
小学校2年生から始めた松濤館流日本空手協会。
小学校5年生で全道大会入賞(型)、初めての全国大会(静岡)へ。
まさか。まさかの。
一回戦負け😭を喫する。
あれは鉄騎初段だったか。。
いや、平安三段かな?
まさか一回戦で負けるなんて微塵も思っていなくて。
ショックだった。
ただ、この時の敗戦が自分にとって大きな糧となる。
『自分の映像を観る』
当時、スマートフォンはおろかビデオカメラさえろくに普及していない時代(だったはず笑)
普段の大会では競技中の写真こそあるものの、
自分の動く姿をに観る機会は皆無に等しかった。(今の時代に生きてる皆は幸せだなぁ)
このカッコ悪いのは誰だ😱
そこには
目を疑うくらい下手くそな自分がいた。
安西先生😆😆😆
『完全に俺の敗けじゃん。』
ていうか
『俺ってこんなに酷かったんだ🤮』
その映像は何度も何度も観た。
何度観ても 敗けていた。
何度も観たのに鉄騎初段だったか平安三段だったかは忘れた🤣
武井壮←クリック☆
↑絶対に観て!!
尊敬する武井壮さんも似たような事を仰っていたけれど、自分の姿を客観視することが上達への一番の近道なんだと、今でも思う。
そしてその翌年、小学校6年生で型の部、全国大会2位入賞を果たす。
今思えば、当時1位だった永木伸児さん
永木伸児 ←クリック☆
は後年、空手の世界王者になった。
当時から腕(胸かも笑)に日の丸🇯🇵つけていたし、世界を相手に闘っていたのかも知れない。
上手くて。強かった。
空手の世界での最高位はこの時の全国2位で、中学に入ってもそれ以上の結果を出すことは出来なかった。
あとんす。