採用支援総合サービス・アークパワー社長池邉のブログ「どうとくか」 -383ページ目

左利き

小生、左利きである。

しかし、、、

純正な左利きではない。

なぜならば、、、

3歳くらいから、習字に通わされたおかげで

字を書くときだけは、右利きだから。。。

なぜ、そうなったのか?!

まあ、親の言い分としては、

『日本語は、右利きで書くようになっているから!』

と呆気ない理由だ。。。

子供ながら、その考えには違和感がありつつも、

まあ、そんなモノか…

と、当時は思っていた。

ところが、、、

その後、社会人になってから、

ドイツのシュナイダー教育 をマスターされた

教職者と出会い、その人から左利きを右利きに

無理にすることは、その人の個性を殺すことになるし、

精神的にもとても良くないことだ。

と散々、脅かされた。。。

これを聞いた瞬間、、、

『もう、勘弁してよ! おかん(><)』

と思ったりもしたが、時すでに遅し…

過ぎたことを悔やんでも仕様が無い!

今では、、、

『ほら、両手で同時にお箸がもてるんだよ!』

と、

パッとしない余興くらいには使えてる。

ただ、左利きも悪いことばかりではない。

脳みそ的には、両利きは、右脳、左脳の両方を刺激

するため、呆けにくいらしい。。。

Anyway!

昨日、、、

自分のコンプレックスって何だろう!

と振り返る時間があった。。。

その時は、色々思いついたりもしたが、、、

こうやって、少し時間が経って

振り返ってみると、どうでも良いことが

根底にあるのだな~と、苦笑いしてしまった。

右利きでも、左利きでも良いじゃない!

所詮、

ルーツを辿ると、大したことも無い癖に、

ゴネゴネと、モットもらしい理由をつけては、

立派なコンプレックスへと昇格させることで、

自分自身を納得させていることに気付いた。

ほらっ!

左利き→右手で書く字が汚い→人に見られたくない

→良くみせたい→見栄っ張り→etc

と、、、

こんな、つまらない理由の連鎖が、

自分をコンプレックスの従順な僕(しもべ)へと化すのだ。

だから、、、

左利き、万歳!

こう考えてみるだけで、

モットもらしく膨れ上がったコンプレックスが、

一瞬で、どうでも良く思えてきた。

あ~、バカバカしい(-o- )/ -~ ポイ!

何だか、

今ある状況を楽しまないと、もったいないよね!

さ~て、今を楽しもうっと!


 

僕らのヒーロー!木村拓哉

木村拓哉、

そう!それは、、、

『きむらたくや』とフルネームで

連続入力しても一発で変換される男。

僕ら若者のヒーロー!

もちろん、カリスマはカリスマなんだけど、

壁を感じさせない身近なヒーローだ!

きっと男なら、、、

仮面ライダーやウルトラマンに憧れて、

『大人になったらヒーローになりたい!』

と叫んだ幼少時代から、少しだけ歳を取り、

現実と空想の境が、何となく判るようになると

非現実的なヒーローからの卒業を告げられる。

そして、そこで、、、

待ち受けている切ない現実を受けとめるならば、

誰しもが、一気に大人の階段を駆け上がる。

そんな拒否権の無い僕らを救いに来てくれたヒーロー!

それが、木村拓哉と言う男!

彼を見て、

僕ら若者時代の価値観、ライフスタイル、

ファッション、言動行動など全てが決まっていった。

『つまらない大人にはなりたくない!』

※佐野元春『ガラスのゼネレーション』引用

そんな、

大人と子供の狭間に、『若者』と言う時代を

社会に対して、明確に定義づけてくれた男!

それが、木村拓哉と言う男!

だけど、、、

悲しいことだが人間、誰しも歳をとる。どうやら…

あなたを追いかけた僕らは、先に歳をとったようだ。

そろそろ、『若者』と言うくくりが、

厳しい歳になってきた。

駅に例えるとすれば、、、

もう、

大人行きの最終電車が出発する時刻が来た。

それは、悲しみに暮れる電車なんかじゃない。

大人として乗らなければならない順番が来ただけだ。

さあ、僕らのヒーローよ!

一緒に乗ろう!

だってさ、、、

いつまでも

実在する僕らの永遠のヒーローであることには

何ら変わりは無いのだから!

最近、、、

積極的にプロモーションしている

若い木村拓哉(尊敬の念を込めて!)さんを見て、

昔、仮面ライダーが現実にいないことを

知ってしまった時と同じ感覚に陥る瞬間がある。

やはり偶像だったなのか?!

それとも、僕らの努力が足りないだけのか!

「・・・」

どうやら、、、

僕らを乗せた最終電車だけが出発するようだ。

さあ、

若者は、大人になる時間が来たのだから、ヒーローに

別れの挨拶をしよう。

これまで、本当にお世話になりました。

さよなら。ヒーロー!

そして、心から、ありがとう。ヒーロー!

追伸

もし、宜しければ、

次の駅で、みんなで待ってます。。。Bye-Bye!

いじめ

今、朝日新聞朝刊の一面には、シリーズ掲載で、

著名人や学識人から寄せられた『いじめ』に対する

自身の体験や経験、そして、それをどう克服してきたかの

エピソードやメッセージが紹介されている。

すごく、良い特集記事だと思う。

それを読んで思ったこと。。。

それは、

いつの時代であっても、誰であれ、社会集団の中で

疎外感を感じる経験をしない人なんかいない。

誰でも、人生を振り返れば『いじめ』ることや

『いじめ』られることの一つや二つは体験するのだ。

だから、自分を捨てないで!

そう訴えかける内容に、いつも共感です(^^

ところで、、、

体験と経験の意味の違いって、何が一体違うのだろうか?

なになに、、、

【体験】たいけん

自分が身をもって経験すること。また、その経験。

(広辞苑参考)

【経験】けいけん

 人間が外界との相互作用の過程を意識化し自分のものと

すること。人間のあらゆる個人的・社会的実践を含むが、

人間が外界を変革するとともに自己自身を変化させる活動が

基本的なもの。

ア)外的あるいは内的な現実との直接的接触。

イ)認識として未だ組織化されていない、事実の直接的把握。

ウ)何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で自己を

豊かにするという意味を含むこと。

エ)何事かに直接にぶつかり、そこから技能・知識を得ること。

 哲学的には、感覚・知覚から始まって、道徳的行為や

知的活動までを含む体験の自覚されたもの。

(広辞苑参考)

とある。

なるほど、、、

体験が自覚されると、経験となるのね。

要するに、

目の前で起きる現実があり、(体験)

それから何を学びとるかで、(経験)

どう生きていくのか(克服)

【克服】こくふく

努力して困難にうちかつこと。(広辞苑参考)

【努力】どりょく

目標実現のため、心身を労してつとめること。

ほねをおること。(広辞苑参考)

ことで、『いじめ』克服へと、たどり着く。

何だか、こう考えてみると、シンプルなのだけど!

そもそも、、、

『いじめ』って、自分で乗り越えるもの?

それとも、

『いじめ』のない社会を、周りが作りだすものなの?

自分の考えを言えば、、、

辛い現実を、幸いに変える能力を鍛えることで

『いじめ』は、自分で乗り越えるもの!

その能力とは、、

現実から楽しさを見つけ出す能力なんかじゃなく、

辛い環境の中でも、楽しさを作りだしていく力。

つまり、『根拠のない夢』を希望に変える力が重要だ。

この力が、自ら『いじめ』を克服する。

このような考えに対して、、、

『夢や希望が見れない世の中が問題なのだ!』

と反論する人がいるかもしれない。

『強者の論理だ!』

と批判する人がいるかもしれない。

だけど、、、

最後は自分で克服しないと

仕様がないんじゃないかな。

そう考える。