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血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル

年末年始ブラアラキの続き

 
元日未明に新潟県上越市を出発し、京都府舞鶴市・兵庫県豊岡市・京都府福知山市とまわり
 
その後、一気に和歌山県へ
 
和歌山市内に宿泊し
 
翌、1月2日
 
市内から車で約75分(約49km)
和歌山県伊都郡高野町へ
 
真言宗の聖地高野山のお膝元で
 
100箇所以上の寺院が密集する宗教都市
 
標高約800mに高野山寺院と町並みが広がっている山上盆地
 
 
そんな訳で

高野山金剛峯寺

 
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山
創建:816年
宗派:高野山真言宗
 
平安初期に空海(弘法大師)が開いた真言宗の総本山
 
そして世界遺産
 
 
上の写真は大門で、その向かいには

参道である山道←

 
今は車で来られるけど、かつてはこの険しい山道を登って来たのよ
 
この坂は「ブラタモリ高野山編」でも登場!
 

大門は江戸期1705年の再建で国重文

 

「高・野・山」と一文字づつの扁額
 

左右に立つ金剛力士像は江戸中期の作品

 

大門から望む高野町

 

この門は高野山盆地のヘリに建っていて、門の先に高野町と高野山の各寺院が広がっておる

 

冒頭の町名看板はこの先にあったもの

 

門の内側

 
大門の傍には

町石

 
「町石」とは、参道の道標として1町(約109m)ごとに建てられた石柱のこと
 
高野山麓の九度山にある慈尊院から高野山へ上る約22kmの参道に180基あり
 
スペックとしては高さ約3mで五輪塔の形をしておる
 
起点は高野山の壇上伽藍(根本大塔)で、そこに建つ町石が一町で
 
慈尊院にある町石は百八十町
 
ちなみに上の写真の町石は六町
 
かつての参詣者は町石に刻まれた数字が減って行くのをモチベに参道というか山道を登って来たんやろね
 
ちなみに上の写真の町石は六町
 
平安期に最初に建てられた時は木製の卒塔婆だったと言われており、鎌倉期に20年掛けて全て石造に建て替えたそうな
 
雨風で風化・老朽化が酷いものはその後も建て替えられ、現在は216基の内179基は建立当時のまま残っておる
 
 
そんな訳で、自分も参道を進み

門の先、徒歩用の参道

 

先に見える車道は、この参道の右側を通る様にカーブしておる

 

歩道は車道とぶつかった所で終了し、この先は車道端を歩く事に

 

交通量がそこそこあるので注意やで

 
 
そんなこんなで大門から徒歩約6分(約500m)
一町の町石!
 
百八十町石が建つ慈尊院からここまで徒歩で登山すると約6~7時間掛かるそうな(白目)
 
 
そしてこの最後の町石の脇には
中門
 
初代は819年に建立され、江戸末期1843年に焼失
 
その後2015年、実に172年ぶりに再建
 
奥に見えるのは金堂
 
朱塗りの柱と白い壁で立派!
 
大門とはちょっと違い、こちらは前後左右に四天王像として四体の仏像を安置
 
右に見えるのは根本大塔
 
中門から望む金堂
 
その右にちらっと見えるのが根本大塔
 
金堂
 
高野山の総本堂
 
現在の金堂は7代目で1932年の再建
 
 
金堂の隣には
根本大塔
 
「根本道場」と言われる修行の中心地
 
こちらも何度か焼失しており、1937年の再建
 
朱塗りの柱、白い壁、緑の窓、このコントラストが素敵
 
まさに高野山のシンボル
 
 
金堂の後ろには
御影堂
 
1847年の再建
 
中には弘法大師の絵(御影)を本尊として安置
 
で、この御影堂で注目する箇所は
回廊の柱
 
木製だけど、溶けている様に見える
 
これは向かいに建つ金堂が火災の時に、こちらの柱まで焼けた痕
 
標高約800mの場所にある為、落雷が多く
 
建立物が度々火災に遭っているのはその為
 
って、ブラタモリでも解説されておったよ←
 
 
金堂と御影堂の間には
三鈷の松
 
弘法大師が中国(唐)に留学した時、修行の場所を求めて三鈷杵という仏具を投げたそうな
 
帰国後、朝廷から高野山を与えられ来て見ると、この松に遥か唐から飛んで来た三鈷杵が引っ掛かっているのを発見
 
ゆえにこの地を真言密教の道場にしたそうな
 
現在の松は七代目
 
この松の葉は珍しく
普通二股の葉が三股に分かれておる
 
持っていると金運を招く御利益があるそうよ
 
ワイは置いて来たけど←
 
 
松のちょい奥に建つのは
六角経堂
 
一切経と言われる御経100巻(写し)を安置するお堂
 
1934年の再建
 
このお堂には面白い仕掛けがあって
このレバーを押してお堂を一周すると、100巻ある一切経を全て称えたのと同じ功徳が得られるそうな
 
 
この他にもお堂やら何やら沢山あって、全て見る事はできなかったんだけども
 
これら中門・金堂・根本大塔・御影堂などが建つエリアを所謂「壇上伽藍」と呼び
 
弘法大師が高野山に来て一番最初に整備した場所であり、信仰の中心にあたる場所
 
 
その後、境内を進み
 
次に壇上伽藍から徒歩約6分
高野山金剛峯寺の主殿が建つ本坊エリアへ
 
正門
 
1593年の再建
 
正門から望む主殿
 
かつてはこの正門を通る事が出来たのは皇族や高野山の高位な僧だけだったそうな
 
正門を潜ると
主殿
 
江戸末期1863年の再建
 
中を拝観する事が可能で、入って来たで
 
豊臣秀次が自決した間があったり
 
ブラタモリでも登場した大勢の僧侶の食事を作った台所もあって
 
そこには江戸期以降実際に使っていた大釜があり、1個で約98kgの米を炊く事ができ
 
それが3個あり合計約2000人分の米を炊いていたとか
 

屋根はワイの大好きな檜皮葺
 
屋根の上にある桶は雨水を溜めて火災の時に使用する為のもの
 
こちらは隣に隣接する大玄関
 
この大玄関もかつては皇族や高位な僧のみが使用
 

社務所に立つ高野山のゆるキャラ「こうやくん」
 
主殿の向かいには
鐘楼

 

1864年の再建

 

 

そんな訳で高野山の壇上伽藍、本坊と見て来て

 

次回は奥之院へ

 

続く