年末年始ブラアラキの続き
2026年1月1日
元日未明に新潟県上越市を出発し
京都府舞鶴市、兵庫県豊岡市とまわり
前記事最後に訪れた豊岡市玄武洞から南下し、再び京都府に入り
車で約75分(約56.8km)
所在地:京都府福知山市内記
築城年:1579年
安土期に丹波を平定した明智光秀が築城
光秀の娘婿である明智秀満が城主に
本能寺の変・山崎の戦いで明智が滅ぶと、豊臣一族や家臣が入り
関ヶ原後、まず有馬豊氏が城主に
有馬氏は後に筑後久留米へ加増転封
その後何度か城主が代わり、1669年朽木氏が入り明治までこの地を統治
天守までの高さもエグいww
桔梗紋のPR旗が綺麗で気持ち良い(ノ^^)ノ
たまにボロボロなのあるからね←
坂を昇りきり
ほぼ忠実に復元されておるおそうな
(内部構造は鉄筋コンクリート)
野面積みをメインに角部は算木積
様々な種類の石が使われており、カラフルで綺麗よね(・∀・>)
で、福知山城の更に凄い所は・・・
近寄って見ると・・・
他にも石仏や石臼が使われておるとか
これらは「転用石」と言って寺院や墓所からかっさらって来た(言い方w)墓石や石仏などを石垣として使用したもの
もち、ほぼ明智光秀の仕業です(だから言い方w)
ここ福知山城だけでなく、他の幾つかの城でも使われてる手法
約500個余りが使用されているとかw
それだけ急いで築城したのか、近くで石が採れなかったのか
そして天守からの眺め
城は福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地に建っておる
次に、兵庫県内を更に南下し
約90分(約76km)走り三木市へ
所在地:兵庫県三木市平井
織田信長の中国攻めの前半、1578~1580年に行われた三木合戦(三木城籠城戦)時に羽柴秀吉の本陣が置かれた場所
三木城主は毛利方の別所長治
秀吉の兵糧攻めの結果、籠城から2年後に三木城は開城
城主の別所長治は城兵助命を条件に切腹
享年23歳だったそうな(涙)
そして、三木合戦ゆかりの悲劇の人にまつわる場所がもう一つ
こちらは
言わずと知れた秀吉の軍師
病をおして三木城攻めに駆けつけるも、陣中で病死(涙)
秀吉は人目も憚らず号泣したとか
塀の中に入ると
三木を攻めた敵方のお墓であるにも関わらず、地元の人たちに手厚く供養されている事に胸アツ
墓所も綺麗に維持されており
命日には法要も行われ、献花も途切れることがないそうな
その後、東へ走り
神戸、尼崎と兵庫を抜け大阪に入り
(写真は神戸)
大阪湾沿いに堺、岸和田、泉佐野とひたすら南下
一気に和歌山県へ!
三木から約2時間(約120km)
和歌山市内のホテルに到着
元日未明に新潟県上越市を出発し
約740km走り、その日の夜には和歌山にいるのが信じられへんかったw
舞鶴や豊岡にいたのが昨日・一昨日のことの様に感じられたなぁw
運転したのは自分ではないけども←
とりまおつありでした
1月2日へ続く


































