血塗ラレタ日記

血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル

目下6連休中

 
初日からブラアラキ遠征
 
1日目の5月2日(土)
湘南新宿ライン(宇都宮線・東北本線)を終点宇都宮で下車し
 

東北本線黒磯行きに乗り継ぎ

 

終点黒磯で下車し

 

再び東北本線新白河行きに乗車

 

終点新白河で下車し

 

郡山行きに乗り継ぎ

 
1駅だけ乗車し

お隣の白河駅で下車

 

ホームの向こうに見えるのは白河城(小峰城)

 

そんな訳で、今回は福島県白河市でブラアラキ

白河駅の駅舎

 
「大正ロマンが漂う駅舎」として東北の駅百選に選定されておる
 
 
まずは駅から徒歩約8分

茶釜本店

 
白河市はご当地ラーメンとして白河ラーメンが名物で、市内に100店を超える店舗があるそうな
 
この茶釜本店は現存する白河ラーメンの店舗としては最古らしい

チャーシューメン

 
幅広の縮れ麺に醤油ベースのスープが絡み、生姜が効いていてうまうま(ノ^^)ノ
 
 
食後、徒歩約2分
 
お店の隣の区画に、たまたま見つけた寺院にふらっと

亀岳山長寿院

 
所在地:福島県白河市本町北浦
創建:1692年
宗派:曹洞宗
 
元は県内の玉川村にあって衰退していたそうで
 
引越し大名のあだ名で有名な松平直矩(結城松平家)が山形からここ白河へ転封
 
その際に松平家菩提寺の孝顕寺も一緒に白河へ
 
その孝顕寺の住職がこの地に長寿院を移して再興したのがはじまり
 
その松平家は三代治めた後、姫路へ転封
 
孝顕寺も一緒に姫路へ
 
その際、住職一人を長寿院に残し現在まで寺院を守って来たそうな

本堂

 
 
で、なんで予定にないこの寺院にふらっと立ち寄ったかというと
 
先の写真の石碑に「慶応戊辰殉国云々」とあったからで

戦没者墓地

 

白河は東北の戊辰戦争でも「白河口の戦い」や「白河城攻防戦」があった激戦地

 
官軍として戦った戦没者が葬られておる
 
はい、官軍側だけ(ここ重要)←

官軍側の慰霊碑

 
慰霊碑建立の発起人には板垣退助、大山巌、谷干城など著名人の名も
 
こんな風に市内には多くの戊辰役戦没者の墓地や慰霊碑が点在しておる
 
もちろん旧幕府軍側のもある
 
 
次に寺院から徒歩約3分、国道294号(旧奥州街道)の交差点には
江戸期に立てられた旧奥州街道の道標
 
上の写真は西側で、掘られている行き先名を漢字にすると
 
「左 仙台 会津 出羽 越後」
 
こちらは北側
 
「右 日光 江戸」
「左 棚倉 いわき 水戸」
 
立てられた年は江戸後期の嘉永二年(1848年)
 
詳しい地図もナビもない時代、こういう道標を頼りに旅をしていたんよね
 
 
更に歩き

途中、阿武隈川を渡り
 
 
白河駅から徒歩約35分
鹿嶋神社
 
所在地:福島県白河市鹿島
創建:770~782年
 
関東を中心に数多く鎮座する鹿島(鹿嶋)神社の一つ
 
平安期、坂上田村麻呂が東征の際にこの地に鹿島神宮から勧進したのがはじまり
 
社号標
 
一之鳥居
 
杉の木に囲まれた気持ち良い参道
 
二之鳥居
 
鳥居の石柱には文化十三年の刻印
 
江戸後期、十一代将軍徳川家斉の頃やね
 
 
鳥居の先には
池とそれに掛かる石造りの太鼓橋
 
これは滑ったわよ←
 

なかなかの傾斜w
 
橋を渡ると

隋神門
 
門から望む社殿
 
隋神門の内側から
 
大きな門と左右に伸びる回廊、立派やね
 
社殿裏には山(詳しくは後述)
 
拝殿
 

本殿と合わせ社殿は大正期の再建
 
本殿
 
本殿の隣には

御神木
 
推定樹齢1000年の杉の木
 
本殿裏はすぐ山になっており
 
山の中に入ることができる(怖)
 
恐る恐る入ってみた
 
怖いって、幽霊とかじゃなくて蛇が←
 
2、3分程進むと
巨石が立ちはだかり
 
その中の一つに
注連縄が巻かれた石が
 
これは「磐座」といって「神社」というものができる以前の古代から岩に対する信仰で、自然崇拝(古神道)の一つ
 
境内裏の山は岩でできており、神社が建立される遥か昔から信仰の地だったという事
 

まぁ、よく倒れないで残っておるよ
 
磐座の周りを更に進んで行くと

立派な巨石がそびえ、古代の人が岩に信仰を持ったのが分かるわね
 
 
山を降り、社殿の右側には
最勝寺観音堂
 
その隣には
最勝寺弥勒堂
 
これらは神仏習合時代に神宮寺として建立された最勝寺のお堂で
 
神仏分離で廃寺後、この二つのお堂のみ残されたらしい
 
広く綺麗な境内で、裏山には磐座もあり神域を感じる神社でした
 
 
1日目続く・・・
 
今回の御朱印