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血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル

祝日の今日は都内をブラアラキ

 

丸ノ内線を中野坂上駅で下車

 
駅から徒歩約5分、青梅街道の横道を入った場所に

明王山聖無動院寶仙寺

 
所在地:中野区中央
創建:1087~1093年間
宗派:真言宗豊山派
 
一般的な表記は「宝仙寺」
 
平安時代、源義家が後三年の役の際に不動明王を安置する為に創建と伝わる古刹で
 
江戸期には将軍家からの信仰も厚く、鷹狩の際の休憩所としても利用された寺院
 

山門(仁王門)

 

社号標

 

山門の左右には仁王像

 
 
境内に入るとまず目に止まるのは

石臼塚

 
江戸期に近くを流れる神田川には水車が設けられ、蕎麦粉を挽く事にも用いられ
 
中野蕎麦として江戸庶民から人気があったそうな

その由来書き

 

近代になり機械化され、使われなくなり道端に放置された多くの石臼
 
それを当院の住職が集め、江戸の食に貢献した感謝を込めて境内に供養したもの
 
 
その隣には

中野町役場跡

 
明治末期から昭和初期まで中野区役所(旧中野町役場)が境内にあったそうな
 
 
そして

三重塔

 
初代は江戸前期に建立され、昭和の空襲で消失
 
平成に入り、世界遺産にも登録されている奈良・法起寺の三重塔を模し、飛鳥時代の木造建築様式で再建
 
 
境内正面には

本堂

 

屋根の四隅の先が鋭角にせり出していてカッコイイ(・∀・>)

 
 
本堂の左手には

御影堂

 
弘法大師の御影を安置
 

御影堂から望む三重塔

 

三重塔から望む山門

 

三重塔、その隣に御影堂

 

三重塔、その奥に本堂

 
奥には広い墓地もあって、中野坂上のオフィスや店舗が立ち並ぶ中に広大な境内の寺院があったとは
 
 
次に青梅街道の反対側へ
 
宝仙寺から徒歩約10分、山手通り沿いには

多寶山成願禪寺

 
所在地:中野区本町
創建:1438年
宗派:曹洞宗
 
一般的な表記は「成願寺」
 
室町中期、紀州の鈴木九郎という商人がこの地にやって来て土地を開拓
 
財を成して「中野長者」と呼ばれたそうな
 
寺院の先に山手通りと交差し流れる神田川には「長者橋」という橋も掛かっておるよ
 
その九郎の一人娘が若くして亡くなり、供養する為に仏門に入り邸宅を寺院にしたのがはじまり
 
江戸幕末には新撰組の近藤勇が家族を預けていたそうな
 

木々に囲まれた境内

 

本堂

 

本堂の中には御本尊の釈迦牟尼佛如来像を安置

 
 
本堂の左手には

圓通閣(百観音堂)

 
中には百体の観音像を安置
 

龍鳳閣 (開山堂)

 

中野長者遺跡の碑

 

中野長者の物語も詳しく紹介されておった

 
 
境内には墓地もあり

鍋島家墓所

 
鍋島家と言えば、江戸期の佐賀藩主
 
こちらの墓所に眠っておるのは本家ではなく、分家の蓮池鍋島家
 

 

次に丸ノ内線を新宿御苑前駅で下車
 
駅から徒歩約3分、甲州街道の横道を入った場所には

霞関山本覚院太宗寺

 

所在地:新宿区新宿二丁目

創建:1668年

宗派:浄土宗

 
甲州街道を挟んだ向かいには新宿御苑があり
 
その新宿御苑は江戸期の大名であった内藤家の屋敷跡
 
新宿御苑がある現在の地名も「内藤町」
 
甲州街道の宿場町「内藤新宿」として栄えた地区で
 
当寺院は内藤家の菩提寺
 

社号標

 
写真に写っている様に猫ちゃんが何匹が住み着いている様子(〃∇〃)
 
境内に入り、すぐ右手には

地蔵菩薩坐像

 

江戸期に、江戸の出入口六ケ所に建立された「江戸六地蔵」の内の一つ

 

1712年の建立で高さ267cm

 
 
前述の通り、内藤家の菩提寺という事で

内藤家墓所

 
案内に書かれている内藤正勝とは、江戸時代前期の内藤家の当主で
 
寺院に敷地を寄進した人物
 
 
他には

閻王殿(閻魔堂)

 
中には都内最大の閻魔大王像を安置
 
「内藤新宿のお閻魔さん」として江戸庶民から親しまれ、現在も年1回ご開帳されておる
 

布袋尊堂

 
中には額に三日月を乗せた三日月不動像と、奪衣婆像を安置
 
奪衣婆とは三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼
 
怖い、怖い・・・
 

騒がしい新宿の中にあって、ここだけは別空間の様な穏やかさ

 

猫ちゃんもいて癒される空間であった(〃∇〃)

 

 

丸ノ内線沿線に、まだ行きたい寺院があるので後半はまたいつか