約20分、最初に到着したのは
所在地:茨城県常陸太田市天神林町
創建:伝807年、または985年
宗派:真言宗豊山派
平安初期に創建された古刹
平安後期入り、常陸国北部を治めていた佐竹氏の祖である源昌義が当寺で節が一つしかない竹を見つけ、これを端兆とし「佐竹」と名乗るようになった、という言い伝え
つまり、この寺は佐竹氏発祥の地
ちなみに前述の源昌義は、八幡太郎源義家の弟である(新羅三郎)源義光の孫
佐竹氏は数少ない明治まで残った明確な源氏の系統であり、名門中の名門!
(他は自称だったり系図改竄してたりして怪しい)
山門
残念ながら境内は撮影禁止
境内の外から撮影←
高台にあるのが分かるわね
単品でかき揚げ(玉ねぎ)
次に車で数分、同じ通り沿いには
そば園佐竹
その名も「佐竹」というお蕎麦屋さん
11時開店で11時30分頃に着いたんだけども
ぎょうさん人が並んでいて賑わってた
冬期限定けんちん蕎麦
常陸蕎麦、うまうまでした(ノ^^)ノ
昼食後、車で約15分
那珂市に入り
靜神社(静神社)
所在地:茨城県那珂市静
創建:伝806年
常陸国二之宮として、当地を治めた佐竹氏や水戸徳川家から崇敬された神社
一之鳥居と社号標
真っ白な一之鳥居はめっちゃ大きくて、行く途中に遠くからでも確認できた程
その先に続く急な石段の参道
参道途中の平地、からのまだまだ続く石段
やっと神門が見えてきた
振り返ると、あの大きな一之鳥居がだいぶ下に見える
神門
拝殿
広い境内の割に拝殿はコンパクトね←
脇に社務所との渡り廊下が伸びてます
広くて綺麗な境内で気持ち良かった(ノ^^)ノ
拝殿の後ろにまわり
本殿
大きくて立派な本殿でしたな
ちなみに本殿・拝殿・神門は江戸後期の徳川斉昭公による再建
境内の背後には・・・
末社である手接足尾神社への参道が
山道の参道、まぁまぁ怖かったよ←
歩くこと約5分
真っ直ぐ生い茂る樹木たちの中にひっそりと佇む祠
手足の健康にご利益があるそうな
次に車で北上し常陸太田市に入り
金砂山へ
だいぶ山の中に入って来た(怖)
鳥居の先がめっちゃ険しそう・・・
まぁ、途中は道幅が狭く、片側は崖だし、くねくねしていて
対向車が一度も来なかったら良かったけど
泣きそうやったよ←
一之鳥居から約1.5km
やっと広い場所に出た!(安堵)
ここは金砂山にあった佐竹氏の城郭の一つ、金砂城跡の一部
道路を挟んで向かいには
てか、民家ではなく神社の社務所と宮司さんの住居
と言う事で到着したのは・・・
西金砂神社
所在地:茨城県常陸太田市上宮河内町
創建:806年
平安初期に創建された古社であり、後に佐竹氏の城郭になり
源平合戦の際には源頼朝が攻めて来て「金砂城の戦い」が繰り広げられた場所
二之鳥居
社号標
先程の道路の向かいからの眺め
二之鳥居の半分を覆う様に生い茂る立派な樹
それがこちら
黄色い落葉が綺麗だね
で、二之鳥居を潜ると
社殿へと登る急な石段
恐らくではあるけども・・・
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で
佐竹義政が佐藤浩市さんが演じる上総広常と石段の途中で面会し
佐竹「お前、ふけたなぁ」
上総「うぉりゃあああ!!」
となって、上総が佐竹をぶった斬ってしまった場所!
まぁ、記録上は山の下の橋だったらしいけどw
そんなこんなで5分程登り
拝殿が見えて来た
こういう位置関係は珍しいわね