情報サイトより
ドイツ、 ドレスデンにある ドイツ連邦軍軍事史博物館には、巨大な鉄製の潜水艦「ブランタウヒャー」が展示されている。これは1850年に建造されたドイツ初の潜水艦で、現存する世界最古のものと言われている。
最終的に「ブランタウヒャー(Brandtaucher)」は公開試験中に沈没してしまったが、この展示から、19世紀の水中航行と軍事技術がどのように革新的な発展を遂げていったかを垣間見ることができる。
「ブランタウヒャー」の誕生までの歴史
ドイツ語で「火の中を潜るもの」を意味する「ブランタウヒャー(Brandtaucher)」は、当時のバイエルン王国ディリンゲン生まれのドイツ人技術者ヴィルヘルム・バウアーによって設計された。
木材旋盤工だったバウアーはのちに陸軍に入隊し、ドイツ・デンマーク戦争(1848~1852年)で砲兵技術者として従事した。
そのときデンマーク海軍の封鎖技術を目の当たりにして、そのような封鎖も突破できる潜水艦の開発にたずさわるようになった。
ブランタウヒャーが建造された頃、潜水艦はとくに目新しい技術ではなかった。
史上初の水中で活動可能な船は、その200年以上前、1620年にオランダのコーネリアス・ドレベルが英国王ジェームズ1世のために作り上げた潜水艇(小型潜水艦)だ。
その潜水艇は、木の骨組みに革張りだったが、オールで推進し数時間も水中に留まることができた。
1776年にはデヴィッド・ブッシュネルが卵のような形をした「タートル」という潜水艇を作った。スクリューで推進することができ、アメリカ独立戦争中、英軍に対して使用された。
1801年にはアメリカ人のロバート・フルトンが米国製潜水艦第一号「ノーチラス」を建造し、ナポレンの関心を引いた。
バウアーがこれら先駆者たちからどれだけの影響を受けたのかは不明だが、水力学や船の構造の研究を重ね、野生のアザラシの動きも観察して潜水艦の設計を進めた。
かくして1850年に完成したバウアーの潜水艦は太ったアザラシに似ていたため、「鉄のアザラシ」というあだ名がつけられた。
「ブランタウヒャー」内部のスケッチ
資金繰りが苦しかったため妥協を余儀なくされ翌年に沈没
しかし、バウアーの潜水艦は軍になかなか受け入れてもらえず、資金繰りも難しかったため、壁の厚さを薄くする、バラストタンクを取り除くなど設計上かなりの妥協を余儀なくされることになった。
そうした欠陥のせいで安定性が損なわれ、最終的に沈没の原因になったと言われている。
ブランタウヒャーの開発者、ヴィルヘルム・バウアー この潜水艦は全長8.5メートルで、ふたりの乗組員が人力で踏み車を回すことで推進し、3人目が舵を操作するという仕組みだった。
敵艦を攻撃するためにその下に潜って、機雷を標的に取りつけることも可能だったそうだ。
ドレスデンの ドイツ連邦軍軍事史博物館にある「ブランタウヒャー」の模型/ image credit:Jan Rehschuh/Wikimedia Commons
1851年2月、キール湾での実演中に、潜水をはじめた矢先に浸水し始めた。
バウアーを含めた3人の乗組員はなんとか脱出して事なきを得たが、「ブランタウヒャー」自体は沈没してしまった。その後引き揚げられたのは1887年のことだった。
ブランタウヒャーの内部 / image credit:Stephencdickson/Wikimedia Commons
その後バウアーは前回の失敗を修正して、ロシア皇帝アレクサンドル2世のために「ゼートイフェル(海の悪魔)」という2隻目の潜水艦を建造した。
「ゼートイフェル」ははるかに大型でかつ先進的な造りで、4ヵ月間で133回の潜水に成功したが、この船も沈没の運命にあった。
現在、縮尺模型がミュンヘンのドイツ博物館に展示されている。
現在も運用されている世界最古の潜水艦は?
ブランタウヒャーは沈没してしまったが、ロシアにも全長96mの「コムーナ」という長命の軍艦がある。
1913年進水し1915年に就役して以来ロシア革命や2度の世界大戦を生き延びた潜水艦救難艦で、2020年までに150隻を引き上げた。
2022年、ロシアの侵略戦争にも駆り出されたが、現地メディアによると、2024年4月21日、ロシアが併合したクリミア半島のセヴァストポリで、ウクライナの対艦ミサイルを受け、火災が発生し大破・航行不能に陥ったと伝えられている。
References:Brandtaucher / Brandtaucher: World’s Oldest Surviving Submarine / written by konohazuku / edited by / parumo