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arisionのブログ

思いついたことを書いています。
思いつかないと書かないので、更新は不定期です。

幼稚園とか小学校の頃って、教員に言われる通りに、何でもしていました。
私がというより、みんなそうでした。
今思うと、不可解なことが、多々あります。
そんなことの中で、最近、しばしば頭をよぎる事を、書いてみます。

私の小学校は、明治時代にできた、公立校でした。
私が6年生の頃が、創立99周年で、卒業後の翌年が100周年でした。
私たちが6年生の頃に、「創立100周年の歌」ができました。
その歌の練習を、当時の5年生と6年生が、させられました。
それも、一回や二回ではなく、かなりの時間を費やしました。

6年生の間では、創立100周年の時には自分たちは居ないのに、なぜ「創立100周年の歌」の練習をさせられるのだろうと、囁き合っていました。
同級生の間で囁くだけで、だれも教員に質問しませんでした。
当時は、現在よりもはるかに、
 「学校へは行くのが当たり前」
 「教員には従うのが当たり前」
という考えが強く、私もその考えの是非さえ、気にしていませんでした。

「創立100周年の歌」の練習を、卒業間際まで、かなりの時間を費やして行いましたが、私たちがその歌を歌う場は、ついにありませんでした。
練習を重ねるだけで、発表する行事がないまま、卒業しました。
「創立100周年の歌」の練習は、無駄でした。
6年生の卒業後に行う、創立100周年イベントの歌を、6年生に練習させることが無駄であることは、ちょっと考えれば分かることです。
なのに、何故、6年生が歌の練習をさせられたのか、謎です。
教員の間で、何か、役人的なロジックでの判断があったのかなあと、想像するしかありません。

最近、消費税の軽減税率とやらに関するニュースを、よく見ます。
「軽減税率」という言葉が、妥当かどうかという問題も、あるようです。
軽減税率を導入した場合の、税収不足に対する財源をどうするかなどという話も見ます。

元々、消費税を10%にするのは、2015年10月の予定でした。
それを、先送りにするとともに、景気弾力条項を、削除しました。
私の認識不足かもしれませんが、この、先送り決定の際には、財源をどうするかという話を見た記憶がありません。
軽減税率よりも、はるかに大きな額の話なのに。
なので、軽減税率の財源探しの話は、不可解です。

財源がなくて困るのなら、法人税の減税を止めればいいのにと、思います。
税収不足を赤字国債で穴埋めする一方で、軽減税率の財源がないという点、理解に苦しみます。

結局、税収不足の財源探しの話は、福祉などの行政サービスを低下させるための、言い訳なのかなあと想像しています。
先日、あるお客様が、私の店に来ました。
初めて来店された方です。
施術が終わって、店を出て行かれました。
出て行って暫くしてから、そのお客様が戻ってこられました。
大切な物が見当たらないので、店内に忘れていないか、探させてほしいとのことでした。
探していただいたけど、やはり見つかりません。
それで、お客様がもう一度その場で、ご自分のバッグの中を確認しました。
そうしたら、お客様が思っていたのと別の場所に入っているのが、見つかりました。
お客様はホッとしました。
私もホッとして、「よかったですね。」と、言いました。

この場合の私の「よかった」は、見つかってよかったの意味も勿論ありますが、もう一つ意味がありました。
お客様が帰った後に忘れ物があれば、私が発見する可能性が大です。
お客様の立場で考えれば、失くし物が見つからない場合に、疑わしいのは私です。
知り合いならともかく、私がどういう人か知らない方ですから。
なので、見つかるまでの間は、私の事をある程度疑っていても、当然だと思います。
店内を探しても見つからなければ、次に探したいのは、私の持ち物の中かなと思います。
だから、私の「よかった」には、私への疑いが晴れてよかったという意味もありました。
とにかく、ハッピーエンドでしたので、「よかった」です。

NHKの受信料支払いを、義務化したいとかなんとかいう話を、チラチラ聞きます。
受信料義務化の議論をする前に、そもそもNHKが世の中に必要かとか、テレビ放送が必要かという議論が抜けている気がします。

私は、現在、まるきりテレビを見ません。
家の中に、テレビが無くても困りません。
ましてや、NHKが無くなっても、困りません。
娯楽面でも、報道面でも、テレビは必要としません。

受信料義務化という話は、NHKの存在を前提としています。
世の中に、NHKが必要か、テレビ放送が必要かということから出発しない点が、私には不思議です。

何年か前、まだ会社員だった頃、急に訪問介護員の資格を取りたくなり、講座に通いました。
お年寄りや障害者の方々のお世話をする方法を学んだ上で、資格を取得できます。
当時は、1級から3級までの資格がありました。
介護関係での就職の際は、概ね2級以上の資格取得が要件になっていました。
一般的には、「ホームヘルパー」と呼ばれていました。
インターネットで講座案内を入手し、自分に合っていそうな会社を選び、説明会で話を聴いてから、2級講座の受講を申し込みました。

私が申し込んだ講座の受講生は、私を含め三名でした。
三名で講義を受け、お互いにヘルパー役になったり利用者役になったりして、実習をしました。
教室での授業の後に、現場での実習が、計4日間ありました。
介護の代表的な業態(訪問介護、デイサービス、介護施設)の会社で、実際に働いている人の指導を受けながら、現場でお手伝いをしました。
現場の実態を少しでも知ることができ、良かったと思います。

実習の中で、特に介護施設での経験は、胸に迫るものがありました。
お年寄りが大勢いるし、職員さんも何人かいますけど、お年寄り一人一人が孤独な感じだなあと思いました。
一日の中で、退屈しないようないろいろなイベントが組まれています。
それでも、毎日となると、やはり退屈なようでした。
家族が訪れてくる人は、他の人より少し幸せそうでした。
認知症のお年寄りと会話をして、認知症への理解が深まりました。
認知症の方には近寄りがたい印象を持っていましたが、そうではないと、認識を新たにしました。
いろいろ考えさせられる経験でした。

中学校や高校の生徒も、三年の間の一日でもいいから介護施設での経験をすれば、後の人生にプラスになるのではないかなと思いました。
あと、福祉予算を削りたがる国会議員にも、是非、介護施設で実習をしてほしいと思います。
見学するだけでは分からないことが、実習なら少しは分かると思います。

憲法解釈の変更という手を使って、自衛隊を外国に送る法律を成立させたと、聞きます。
成立手続きが、かなり怪しかったようですが、成立したと報道されています。
憲法の改定という道をショートカットして、解釈改憲という近道を選んだつもりなのだと思います。
でも、本当に近道だったのかなと、疑問に思います。

これから、違憲訴訟が始まることが、予想されます。
憲法学者の圧倒的多数が違憲であるという法文が、違憲訴訟に耐えられるとは、考え難いです。
違憲判決が確定する前に、事実を積み重ねてしまって、引くに引けない状態にしてしまおうというハラなのかなと思います。
政権交代か違憲判決か、どちらによってもひっくり返る、不安定な法律だと思います。
むしろ、政権交代の呼び水になった気がします。

今後について、現職の自衛官の動向が気になります。
退官者が増えることは、間違いないと思います。
退官者が増えすぎた場合、組織として体をなさなくなってしまいます。
経済的徴兵制でも間に合わなくなった場合は、徴兵制導入という話になるのかなと思います。
でも、そこまでになる前に、政権交代か違憲判決があることでしょう。

近道を選んだつもりが、実は遠回りだったような気がします。
むしろ、遠回りの道さえも潰してしまったというのが、実際のところだと思います。

上位の法に反する下位の法は無効という原則がありますので、私としては、今回の法は無効であると思っています。

よく話の中で、「普通は・・・・」とか、「・・・が常識だ。」なんて言葉が出てきます。
そんな言葉を目にし、耳にするたびに、「普通」って何だろう、「常識」って何だろうと、考えてしまいます。
具体的に、例えば百人中何人が賛成すれば、普通であり常識なんだろうと疑問に思います。

普通とか常識の意味は、人それぞれ違うのだろうなと思います。
そんな曖昧な言葉を使って説明することが、そもそも無理なのだと思います。
うがった見方をすると、「普通」という言葉を使う人は、「個性を許さない」という意思を持っているように感じます。

この国では「普通」ではないことを許さない考えが、蔓延していると感じます。
他人に迷惑を掛けない範囲で普通じゃないことは、個性として認められて当然だと思います。

私自身、最近は、日常会話で「普通」とか「常識」という言葉をできるだけ使わないよう、心掛けています。
下手に使うと、誰かを傷つけてしまうかもしれないと、思います。


8月26日に、憲政記念館へ行き、話を聴きました。
面白かったです。

次の点が、印象に残りました。
・「対米従属症候群」を流行語にしよう。
・国連平和維持活動への参加は、憲法と矛盾しない。
・オリーブの木の元に集まる形での選挙協力なら、ひとつの党になるより簡単。
・8月30日の全国100万人大行動は、人数が多いほど、効果が高い。

既に、WEBサイトで読んだ話も多かったのですが、直接聞くと、とても説得力があり、納得できます。
行ってよかったと思いました。

変な勧誘を企てる人がいるとの情報もありましたが、そういう人は見掛けませんでした。
最近、「国益」という言葉を、よく見かけます。
辞書によると、「国益」とは「国家の利益」だそうです。
では、国家とは?と、考えてしまいます。

国家の定義は別として、国民主権の国における国益とは、主権者である国民が得る利益であるべきだと思います。
国民が得る利益とは、「大多数の個人」それぞれの生活が、精神的にも経済的にも、豊かになることではないかと思います。

記事を読んでいると、記事の筆者が考える国益と、私が考える国益が、そもそも一致していないと思うことが、しばしばあります。
また、一つの事象に対して、国益になったか、国益を損なったか、評価が対立することがあります。
価値観は、個人毎に違いますから、当然です。

その都度、国益って誰の利益?誰の幸せ?と、考えてしまいます。


私は、一頃、プロレスリングが好きでした。
一度だけ、後楽園ホールにプロレスを見に行ったことがあります。
迫力のある部分と、芝居みたいな部分があって、ショーとして楽しかったです。
真剣勝負を期待するのではなく、試合毎の流れや、その日一日を通しての流れ、選手たちの人間関係を楽しみました。

プロレスには、悪役と正義の味方役があります。
どちらが悪役か、単純に決めにくいこともあります。
悪役をヒールと呼び、正義の味方役をベビーフェイスと呼びます。
悪役は、ルールの盲点を突いたりルールを無視したりします。
正義の味方役は、原則としてルールに従って戦います。
だから、単純に考えて、悪役の方が有利です。
ルールを守る正義の味方が、怒りを爆発させて悪役を倒すのが、プロレスの魅力の一面であると思います。

現実の世界でも、政治の世界でも、ルールを守ろうとする人と、ルールを無視する人がいます。
ルールを無視する人は、ルールを守ろうとする人と同じことがすべてできる上に、ルールを守ろうとする人ができないことまでします。
競った場合、どちらが有利か、一目瞭然です。
でも、ルールを守ろうとする人には、圧倒的多数の味方が存在します。
だから、・・・・・・