長編小説「思春期白書」 56~ナイフ~ | 「空虚ノスタルジア」

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この世に「ナイフ」なるものが存在することはいくら貧民の僕でも知っている。けど、いざ目の前に置かれると、奇異な目線は隠せない。

 

「お箸の方がいい?」

「…ううん。大丈夫」

 

もちろん大丈夫じゃ無いけど、箸に屈するのはちっぽけなプライドが許さなかった。更に盛られたキャベツの塊にケチャップを薄めたようなもの…多分、トマトソースとか言うやつだろう。ちょっと豪華なウサギの餌にしか見えないが、金持ちの家じゃ「ロールキャベツ」は定番らしい。こんなもの、母さんにせがんだりしたら「キャベツとトマトを同時に食べれば同じ」とか受け流すに違いない。

 

 

あれから進展はあったのか?

あれば呑気にロールキャベツを呑気に語ったりしない。

 

結局、僕の腕は空中にブランと垂れ下がり、肩にも背中にも後頭部にも触れることは無かった…いや、出来なかった。怖かったのだ。衝動は勇気や覚悟じゃない、単なる自傷行為、そんな考えがふと浮かんだから。

 

「後でお風呂入る?」

「うーん、今日はやめとく。なるべく早く帰るように言われてるから」

 

見事なナイフ捌きでロールキャベツを切り分ける公平を眺め、僕は薄く笑った。さっきの沈黙がただの錯覚に思えるほど、公平の通常通りな態度に、身勝手な悲哀を抱く。あの虚ろ気な瞳に意味は無かったのかもしれない。全ての言動が意味を持つとは限らない。「無意味」を意味とするなら、話は別だが…

 

つまり、「彼が同類なら…」と往生際悪く描いた僕の儚い夢ってわけだ。どうせ風呂に入っても、衝動が突き動かすことは無く、悶々とした想いだけを抱かされる。そんなもどかしさに駆られるくらいなら断った方がいい。恐怖心に打ちのめされるのは懲り懲りだからさ。

 

 

「大丈夫?やっぱお箸使った方が…」

 

綺麗に一口サイズを切り分け、フランスパンと交互に含む公平に対し、外側のキャベツだけが剥がれ、ナイフを荒く動かしたせいでトマトソースをテーブルに飛ばしまくる僕。つーか、晩飯がフランスパンって何なんだよ?こんなに硬いのはスルメイカだけで充分だ。

 

「うん。そうする」

 

フリルの付いた白いテーブルクロスが血痕のように汚れる現状に、もはや観念するしかなかった。このテーブルクロスさえ、さぞかしお高いものなのだろう。ナイフとフォークをロクに使えず、挙げ句に血痕をばら撒く貧相な庶民、公平の親にそういうレッテルが貼られそうで、それを思えばプライドなど捨てても構わない。どうせ、ゴミ箱の丸まったティッシュと同じくらいちっぽけなのだから…

 

 

帰宅途中、虚しさに塗れながら歩くと、背後から「太一!」と呼ぶ声がした。振り返ればそこには板橋たちの姿があり、自分の現在地がカラオケ店の近くだということに気付いた。傍のアーケードの灯りも手伝い、はっきりと姿や形が見える。普段なら一刻も早く逃げ出したいところだが、今の僕はただ立ち尽くした。虚しさが体内を駆け巡り、逃げ出す理由がまるで思い浮かばない。

 

「何やってんだ?真面目そうに見えてけっこう遊んでるとかか?」

「公平の家から帰るとこ」

 

狂気的な笑いに空虚は吹っ飛び、僕の背筋に冷たいものが走った。派手なキャップに腰履きのパンツからはチェーンが覗き、ジャラジャラとパチンコ店の前みたいな不快な音を立てる。こんな奴らと関わったら面倒なのは目に見えてる。

 

「公平か。お前らいつも一緒だなぁ」

 

何か含みのある言い方だが、そこは「友達だし」とぶっきらぼうに返した。

 

「ちょっと急いでるから」

 

背中を向けた僕に、板橋は「待てよ!」と、周囲もざわつくほどに声を張り上げた。無視してしまえばよかったのだが、クラスメイトという関係上、立ち止まる他に無い。

 

振り返ると、汚い歯を剥き出しにしながら板橋は「訊きたい事があるんだ」とほくそ笑んだ。示し合わせたかのように後ろには手下たちが同じ表情を見せる。板橋という後ろ盾が無ければ何も出来ない腰巾着のくせに…コイツらも結局は寄生虫だ。権力にペコペコする大人、それが彼らの将来なのだろう。終わってる。

 

 

しかし、板橋がその「訊きたい事」を耳打ちした瞬間、僕の虚勢はジェンガのように跡形も無く崩れ落ちた。目の前が真っ暗闇に包まれ、言葉を失った。じんわりと恐怖が襲い掛かったのは帰宅後だ。このときの僕は衝撃のあまり、恐怖も、そして絶望さえも感じなかったのだから。ナイフが突き刺さったような感覚だけが肌を伝い、彼らの嘲笑などまともに聞こえやしなかった。

 

 

 

(続く)

 

 

 

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