(性的表現が含まれています。苦手な方はご遠慮ください)
やけにひょろひょろとした女顔の男が、幾分かは体格の良いキリっとした目の男を見上げ、肩に細い腕を絡ませる。繊細なタッチはいかにも女子が好みそうな綺麗に包まれ、僕はその表紙に口を尖らせた。アニメイトのときも似たような印象は抱いた。だけど、実際に手を取ると、何というか…現実とのギャップが果てしない。いや、漫画ってのはそういうもので、現実感を求める方がどうかしてる。分かり切ったことなのに、僕は現実、つまり僕自身とのリンクを求めたのだと思う。救済の術として。
舞台は高校。数学の問題の解き方を教えてくれた先輩に見返りとしてキスをされる主人公。このあまりに唐突過ぎる展開は男女モノのストーリーであっても首を傾げそうだが、困惑しながらも徐々に惹かれていく様は丁寧に描かれ、内心、ドキドキが止まらずに読み進めた。クリリンが居なければ完全にその虚像に入り込んだかもしれない。
見返りのキスを皮切りに主人公に付き纏う先輩(これが男女モノなら警察沙汰だ)最初は弱気な性格ゆえにたじろぐ主人公だったが、遂にブチ切れ、先輩を突き放す(キスの時点でキレるだろ、普通)ところが、その日以来学校に来なくなった先輩のことがどうしても気になり(何でだよ!)主人公は彼の家へ(自殺行為だ)入学したときからずっと好きだったことを告げられ自ら腕を肩に絡ませキスする主人公(表紙の構図。ってか、男女モノならともかく、男同士がなぜこんなスムーズに成立?)
…とまあ、こういう短編がいくつか掲載されてるわけだが、僕が最も驚愕したのはストーリーじゃなく、性描写だ。アダルト雑誌と違い、勃起すれば罰が当たりそうな純粋に綺麗な2人の絡みに思わず息を呑んだ。しかし、キスを重ね、前戯的なものを終えたのも束の間、待ち受けていたのは挿入のシーン…ある程度の性描写は予想していたが、これはさすがに想定外だった。何故なら、セックスの知識が殆ど皆無な僕だ、漫画とはいえ挿入などあまりに刺激が強く、バタンと本を閉じてしまった。恐らく、顔は林檎のように真っ赤に染まったに違いない。
桑原はともかく、ユリちゃんもこういうシーンを…それは自分の予想を遥かに上回るほどの衝撃だった。きっと僕は彼女に清楚な可憐な少女像を求め過ぎたのだ。
セックスの「セ」の字も知らず、花の回りをステップし、モンシロチョウを追い掛ける…馬鹿げた妄想。
んなわけねーだろ。
頭の悪い僕を頭の悪い僕がまた嫌悪する。だが、今回ばかりはちょいとばかしダメージが強い。
「あら、ここからがいいのに。キシモンなんかずっと凝視してたわよ」
2歳の差を侮っていたのだろうか?同じページを開き「おススメのシーン」などと指差すクリリンに僕は脅威さえ抱いた…
「おー、正義。連勝じゃん」
「つーか、太一兄ちゃんが弱過ぎるんだよ。もうちっと頑張れよ」
「こら、遊んでもらっといてそんな言い方するんじゃない」
谷底に転落したカートが回収される様を歯痒く眺め、ふと、公平といっくんはどうなのだろう?と思った。特に公平。以前に抱いた「同類」疑惑はしつこく胸中にこびり付いたままで、コイツも知らないとこじゃああいう本に手を出しているのか、疑念に駆られる。或いは、僕と同じように霧に覆われた状態…確かめる術も知らないくせに、いや、知らないからこそ疑念は蜷局を巻くのか?
「そろそろ夕食の買い出しに行かなきゃな。太一くん、一緒にどう?」
「あ、はい」
これ以上、マリオカートに耽れば酔いそうだし、谷底も飽きたし、正義がまた不機嫌になりそうだし、何より、料理を自由研究とするなら、買い物は切り離せない。「いってらっしゃーい」と気の抜けたコーラみたいな声でコントローラーを奪う公平を軽く睨み、僕は重い腰を上げた。窓から照り付ける陽射しを思えば、億劫なのも確かだ。
けど、いっくんは違った。「キビキビ」という表現がまさにピッタリな動きに僕は感心した。しかも、札用と小銭用の財布を使い分けたり、冷蔵庫の横に貼ったチラシをチェックする辺り、主婦感が漂い、浪費癖のある母さんより優れて見える。彼が女なら間違いなく「いい奥さんになりそう」とか絶賛しただろう。
炎天下、体質の問題なのか、外に出た途端に汗が滴り落ちる僕に対し、いっくんは殆ど汗を掻かず、爽やかさを周囲に振り撒く。井戸端会議中の近所の主婦たちが「今から買い物?今日は大根が特売よ」とか「暑いのに大変ね」とか口々に声を掛け、その眼差しは全身に絡み付く湿った風より熱い、真面目な好青年のイメージを誇るいっくんは主婦たちにとって、身近なアイドル的存在なのだろう。
「太一くん、今更だけどよかったのかな?もし、嫌なら遠慮せずに言ってよ」
「嫌じゃないっす。いっくんは気を遣い過ぎっす」
空元気を見抜いたなら、洞察力に優れている。いや、僕の演技が大根なだけか?どちらにせよ、僅かな隙間さえ油断大敵、流れとはいえ、自由研究の題材は既に決まったのだ。「暑いっすねー」と額の汗を拭いながら、僕は腹を括った。
「…漫画だからいいのよ。もし、あなたやキシモンがそうだったら絶交ね」
「スゴイ…」以外の感想が浮かばず、BL本を手渡すと、クリリンは愛でるように表紙に目をやり、呟いた。もちろん、彼女の放った台詞に他意は無い、どちらかというと独り言に近いニュアンスだ。
だけど、他意の無い独り言が鋭利な刃物と化し、胸を抉ったのは確かだ。虚像と現実は全くの別物。そんな当たり前に何かを期待した浅はかな僕。
そう、この絶望的感覚は期待すべきでないものに期待した自らが招いた罰だ。濃度を増した霧にどれだけの嘆きを与えても、その充満は誰の元へも流れず、流すことも出来ない、ただひたすらに僕の体内を駆け巡るだけ…
プツリと糸が切れた。
壊れたロボットのように視界は閉じ、暗闇に放り込まれた気分だ。きっと、そんな僕は、萎んだ風船より惨めな存在なのだろう…
(続く)
