翌日、サウナみたいな粘っこい風に若干の悲鳴を上げ、僕は懸命に自転車を漕いだ。昨日の名残より根深い執念はひたすら囁く。
「もっと漕げ、もっともっと漕げ。モットコゲモットモットコゲ」
…ドラクエの呪文にありそうだな。
賢明に漕ぐのは理由があった。本屋なら5分と経たない距離に存在するけど、クラスメイトや図書部メンバー、或いは僕を知っている誰かに出くわす可能性は非常に高い。死刑確定な状況を打破するには、顔見知りの人間が絶対来ないであろう遠い本屋へ行くしかない。だから、駅にして2つ先を目指した。昨日の出費に殆どの小遣いは飛んだし、正確な雑誌の値段も分からないんじゃ、電車という選択肢は諦めるしかなかった。
「モットモットコゲ」
分かってるっての。信号待ちだ。
万が一、雑誌を購入後に事故にでも遭えば、それもまた死刑確定(あらゆる意味で)今日の僕はひたすらながらも、いつも以上に慎重だった。信号無視でもしようものなら天罰が下る。信じてもいない神が過ぎるのは、不安と背徳が延長12回裏の阪神巨人戦みたいにせめぎ合うせいか…
12時半に家を出て、本屋に辿り着いたのは2時半だった。2駅の距離ならもっと短い筈だが、線路沿いを外れた辺りから道に迷い、肝心の本屋を探すのにも更に時間を要したのだ。ただでさえ方向音痴だってのに、ロクに道も知らないまま自転車を走らせたのがそもそも無謀だったのだ。とはいえ、自転車を置いて電車で帰宅ってわけにもいかないし、もう既に、心は折れ掛けている。
自販機から三ツ矢サイダーを購入し、グビっと飲み干すと、僕は気持ちを切り替えた。せっかく2時間も掛けて来たのだ、ここは何としてもBL雑誌を見付け出し、戦利品にしなければ。時間はもちろん、絞れそうなほどにシャツを濡らした汗も無駄になる。
だけど、生き返るような心地と共に感じたのは暗い先行きだった。面識のある人間は居なくても、夏休みということもあってか、学生、特に女子の姿が多く、あらゆる場所から聞こえる雑音の数々は、想定外に見舞われた僕の積木を壊す。どこのコーナーも人、人、人…ったく、学生だったら図書館で勉強でもしてろっての。買う気も無いのにアイドル雑誌にキャーキャー言いやがって…
若干の距離を置き、雑誌のある場所を片っ端から血眼になって探すと、意外と早く目的のものは見付かった。というのも、中学生らしき女子の集団が女性向けの漫画雑誌の傍で「BL」の単語を発したのだ。視力は悪いが、聴力だけは昔からある僕だ、地獄耳がこんな場所で役に立つとは、我ながら素晴らしい。
…でもさ。
「うわー!キスとかしちゃってるし!」
「こっちはそれ以上よ。ほら」
「え?あの子たち、こんなの読んでんの?」
「私、けっこう好きよ。このウケの子、可愛いわね」
「ウケって何よ?」
「女性役。攻める方が男性役で受ける方が女性役」
「ふうん。まあ、美少年同士ならいいわね」
無理。
絶対無理。
こんな好奇心の塊みたいな連中に割って入るなど、キシモン先輩並みの図太さが無いと無理だ。
だから僕は暫く待つことにした。表紙だけで頭痛がしそうな参考書の数々を手に取り、彼女たちに「とっとと失せろ」と内心、呟く。っていうか、店員も「立ち読みはご遠慮ください」とか言えよな。ボサっとレジに頬杖なんか付きやがって。給料泥棒かよ。
しかし、先に根を挙げたのは僕だった。よりによって、彼女たちのクラスメイトらしき女子数人が偶然訪れ、新たに加わったのだ。
「漫画なんか放っておいてアイドル雑誌とか見に行けよ。キンキキッズやタッキーや暑さを吹き飛ばす清涼感漂うスマイルで待ってんぞ!」と、思いながら僕は帰りの自転車を走らせた。彼女たちがどっかに失せても、若い客が掃き溜め状態の店内じゃ、雑誌をレジに持っていく勇気は無い。
兄ちゃんは「エロ本を買う時は裏面を上に置く。まあ、結局は店員が表にひっくり返すんだけどな。ハハハ」などと、女店員や後ろの列の対策且つ失敗談を何故か武勇伝みたいに語っていたが、BL雑誌とエロ本は全く異なる。っていうか、エロ本はこの年じゃ変えないけど、とにかく、店員もそうだが、後ろに列が出来ようものなら、好奇の目…いや、さっきの女どもから察するに「男のくせにあんなの買ってるー」などと指を差されて笑われるに違いない。そしてそれは口コミとしてインフルエンザのウイルスみたいに蔓延し、僕の中学校に感染するのも時間の問題…
飛躍が過ぎるのは分かってるけど、被害妄想的不安はあまりに考えが浅はかだった自分を責めながらひたすらに逃亡への道を掻き立てた。
「あら、お帰り。どこ行ってたの?汗びっしょりよ、早く着替えないと」
1時間も経たないうちに帰れたのは奇跡…いや、日頃の行いに神様が救いの手を差し伸べたに違いない。ありがとう神様、感謝を抱き、僕はとりあえずまだ湧いてもいない風呂に飛び込んだ。冷たさに震えながらも、それが不安の脈拍を誤魔化すなら、別に構わない。まあ、誤魔化してやくれないんだけどさ…
「何やってんだ、僕は…」
時間と汗を無駄にしたと嘆き、タイルの壁をグーで殴る。この痛さはきっと僕の不様さの数値だ。それでも僕に「諦める」という選択肢は無かった。失敗は成功の基。成功を掴めば「今日」の無惨さも無駄にはならない。しっかり計画を練り上げてBL雑誌を掴み取る。提出は出来ないけど、僕にとっちゃこれが何よりの夏休みの自由研究なのだ。
宿題?
そんなものは公平のを丸写しすればいいさ。
(続く)
