100日ブログも本日が最終日です。

ラストデイの内容、どうしようかと思い巡らせた結果、わたしが文章を書き始めた経緯についてを、書いてみることにしました。


美大へ入学したばかりの頃、1人の教授が授業中に「大学生活の間に、これだと思えるものを何か1つ見つけてくれたら、もう充分だと思う」と口にした言葉が、えらくわたしの胸に響いたんです。

「早い段階で見つけられたら、指針が定まって楽だよな、早く見つかったら良いな」と、抱いた淡い期待とは裏腹に、自分の表現が何なのかよく分からないまま、気が付いたら4年生の秋を迎えていました。


何人かと教室で談笑中、何のけなしに、隣りにいた非常勤の先生へ「わたしらしい表現って何だと思います?」と、ふと問いかけてみたところ

「そりゃあ····やっぱり“言葉から入る人”なんじゃないの?そういうタイプの学生って、数年に1人のペースで現れるのよねー」と返されて、予想打にしない回答に驚き半分、「あぁそうかもしれないな」と、すんなり納得した心情が残りの半分でした。


在籍していた住環境デザインクラスでは、空間志向の学生は模型制作を、もの志向の学生は家具等の実物制作と、表現方法は多岐に渡っていました。

たとえば【幼稚園】がテーマの課題が出た際には、わたしなら “子ども”、“浮遊”、“回遊”と連想できる言葉を出して行った末に、どういったものを造るのかを決めます。

作品そのものより、深め方やプロセスにこそ わたしらしさが詰まっていたらしく、そのことを先生は見逃さないでいてくれたんです。


才能の片鱗って、傍の誰かによって見出されるんですよね。

だったらやっぱり、意地悪な人ばかりの世界に身を置かないほうが良いし、自分側も絶対に意地悪はしないに限るな。潜んでいる才能が世に放たれるのが、うんと遅まる可能性が高まるもの。


ちなみに わたしが言葉のプロセスをなぞらずに、別の切り口から制作をした際には何とも頼りない作品が生まれて、逆に他の人がわたしを真似て言葉から制作に入っても、どこか歪なものが出来上がるのがオチでした。

「自分らしさから外れてはならない」という教訓を、大学生活の日々でも、ありありと思い知らされていたのかと。


先生からの指摘を受けるまで、自分と言葉に親和性があるだなんて、まるで自覚がありませんでした。

国語の成績はいたって平凡で、作文を褒められた記憶も無いし、むしろ絵のほうが好きだと見なしていたから、デッサンを習って美大へ進学をしたほどです。

ただ、イラストやデザインを見るのは好きだけど、描く才能や情熱を持ち合わせてはいませんでした。そのあたりを分析出来ていたなら、余計な葛藤は無かったろうなぁ。


大学から現在まで、脈々と濃く繋がっていると思えるものは、やっぱり言葉や文章の世界だけです。(空間を見る力も多少は付いていたんだなと、最近気付いた)

何者かになることや、どこかを目指して書いているわけじゃないからこそ、継続できてこれたのかもしれません。


いつだって言葉は寛大で、わたしへ柔らかい視線を注いでくれて、心を強くする有りどころをもたらしてくれます。本来かたちのない情感へ言葉のラベリングをする行為が、どれほどに人の内面を掬い上げてきただろうか。

わたしが使い方を誤ったりせずに、言葉に対して誠実であればずっと変わらずに、力を添えてくれると信じられるんです。


あなたは未来で強力なアイテムをいくつも得れていて、世界を信頼出来ているよって、届けられたなら良いのに。

「大学に入学仕立てのわたし、よーく聞いて!いや、薄っすらでも構わないから!あなたは今後数年間に渡り、自分の表現が何か分からずに、悶々と苦しむ!でもいずれ言葉に振り向く日が来て、それは自分の表現方法を通り超えて、ライフワークにもなってゆくよ。

社会に出て、結婚をして、出産を経て育児をして、その頃に書いたブログは全国の人が読んでくれていてね、ついでに言うと、反射の統合ワークってのがあってだな····

とにかく飛躍の未来が待ち構えているから!乞う、ご期待あれ!!」


うと ありさ 🕊🫒




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