「いじめ」の精神的傷などと共に、「過去」に苦しめられてしまう
それを解放するのは、「心の奥底」の「蓋」を開けてみないと、
というのが「催眠」です。

そして「催眠」は、日常的に「自然に」陥っている状態であり、
本来人間に備わった能力の一つを、心理学者などが研究・応用・実験などで「治療」(日本では治療と認められていない、英・米は認められています)を確立したといえましょう。
人為的に、「変性意識状態=催眠状態」にして、「本心、魂」に触れます。

心の奥底を覗くと、楽しいこともたくさんあります。

たとえば、「死んでしまったあの人」と、会話できたりする、そういわれています。
これを、「悲嘆療法」、っていうのですが、今日はそれを説明いたします。

ちなみに私はイタコだったり、霊媒の才能はゼロ、です。

実は、家族や友人、仲良くなる人同士というのは、「口に出さない会話」が「心」と「心」でなされている、という考えが、悲嘆療法にはあると思いますね。

というか、我々がコミュニケーションをとる人同士の間には、そういうものがあるって言われているのですね。

たとえば、たくさんの人がいて、言葉を交わさなくても通じる人と出逢ったり、一目で避けたりとかあるでしょう?
無言の、「心」と「心」の会話が、有るんだと思いますね。人と人が出逢う時に。

私は催眠を勉強する前から、そういうことは知っていた気がしますね。

悲嘆療法というのは、自分の「心」へ戻って、亡くなった人がどう思っているか、などなど聞くというより、確かめられる方法だと思います。

亡くなった人に会えるのが本当なのか?
前世って本当にあったのか?

そういうことを、催眠は「証明」するものではないです。そして、大切にしていません。
今の人生を、十分に生きるための滞りを癒すために
必ず「心の奥底」は、情報を出してきます。
心の奥底が出してきたものが、現実かどうかが、大事なことではない。
それを心で感じて、何かを解放で来たらOK、って感じです。
病気が無くなったりすれば、嘘薬でもOKなのと一緒。

あなたの大切だった、亡くなってしまった人が、死んだことをどう思っているか、生きていた時間のことをどう思っているか、っていうのを
「実は、心の奥底では知っている・・・」
のだと思います。

一緒に過ごした時間での、魂の経験値が語る、
それを確かめるような作業です。
それは、しかし、驚くような情報を、時に出してくるため、「悲嘆療法」は成立しているのだと思います。


私たちは、心臓ひとつ、「自分で動かそうと思って動かせない」。
与えられた時間であり、肉体である

そこを、大切にするために、
過去の傷であったりだとか、
繰り返しているつまらない行動パターンとか、
そういうものを手放していく、
そのために催眠はあります。

これは私の考えですが、「ネガティブな出来事がネガティブか?」っていう問いには
「NO!」
といいますね。

吉本隆明も「ひきこもれ」って本を出してましたが、
今ひきこもるべきなら、ひきこもればいいのです。

ただし、常に十分に生きること、楽しく過ごすためのチャンス
それらについては、考えていくべきだと思うのです。

家族が亡くなったとき、私は「十分に悲しもう」って思ったんですね。
そりゃ、周りは、「早々に社会復帰して元気になって」とか、言ってきます。
誰かが悩んでいる姿をみたくないみたいなエゴ、
いつも元気でいなければならない
そういう世間の催眠・暗示は、家族が死んだショックより、大変だったかも。

家族が死んだストレスは、一生のうちで一番重いものなのに、
それでも世間は自由にしてくれない。
「世界の催眠」っていうのは、本当に、しょうもないです。

家族が死んだことで、私はたくさん、「人生って??」って問いかけをする貴重な時間をいただきました。
ネガティブな出来事は、受け止める才能のあるものにしか与えられない
っていうことも、調べているうちに、実感したのです。

私は、結局「世間の催眠」のストレスは我慢なりませんでしたので、
手元のお金を使って約10年くらい、
ひととも会わず
仕事にもつかず
ただひたすら、「生きていくため」のチャンスを狙っていました。

自然に、生きていくことに対しての「意欲」が回復するまで耐えたのです。

その中で、亡くなった家族は、こういう時
どう言うかしら、
なんというかしら、
どっちを選べというかなあ、
っていつも「心」に問いかけていたのです。
そうすると、見事にいつも「そうでしかない返答」が浮かんできたのです。

こういうのを催眠で引き出してやるのが「悲嘆療法」だなあって思います。

私は10年耐えたといいましたが、こういう方法(催眠)があったら、知ってたら、もっと短くして楽しい日々に戻れてたかもしれませんね。
実際、体調も崩しましたし、後悔はありませんが、若かったからいいようなもの、
悲しむとは体力を消耗するもの

ですから、お年を召してからの家族の死や、必要以上の悲しみから逃れる、ってことは必要だし、大切なことだと思いますね。

私のような職業につかないと、苦しんだ元は、あんまり取れない気が・・。

ヒプノセラピストには専門分野が多分存在するのですが(たとえばラブ・セラピーはそっちに詳しい人には私は劣るな)、これは私が追求すべき分野で、才能がある、なんだろうな、って気がしています。

家族が亡くなったら
こころゆくまで、十分に悲しむこと、
(十分に悲しむことで得られる浄化作用があります)
そして、悲しむのに疲れたら、悲嘆療法、カウンセリング、などなど、行ってください。
手を借りるべきタイミング、限界、ってあると思うので。

そして、・・・死に方はどうあれ、死は「自然なこと」です。
過剰にネガティブにとらえて反応するのはよくないです。皆日々、死んでいます。
・・・ですから、周りで、こういうことが起こって、周りの人が悲しんでいても、見守ってあげましょうね。

「元気出せ」とか言ったり、
「いつでも助けるから」なんていう割には、オーラ消して避けたりすることは、皆ばれています。
せめて、そっとしておく、それで十分です。

誰にとっても死は、ナチュラルに受け止めること、忘れないでほしいです。

そして、「死」があまりにも苦しい、そんな時は、自分の「本心」に触れたら、
「死んだあの人」の「本心」に触れていた「心」は、きちんと答えをくれます。


実際の体験記をご覧いただけます
「悲嘆療法」とは異なりますが、「前世療法」による「家族を失った悲しみを癒す方法」もございます。実際にセラピスト飯田がどのように癒されたかを書いた記事をご覧ください。
  ↓

http://ameblo.jp/arimatsu-medianaranja/entry-11575434233.html