(二日目のカレー美味しい説は我が家には無いが、
「魔女の毒入りカレーの祭典」パーティーの残りを
疲れを癒しながら食べました・・・)


  

子供の集団接種の話が今、周りの人の間を取り巻いているようです。


私はシンプルに、受けない人は受けない、っていうだけだなーと思っています。


だから、特に何もアクションをしてません。


接種には反対だというのは、
ずっと変わっていないし、
それはどんな年齢のどんな人であれ一緒だと思っている。



打つ気持ちに変わりのない人に、
「やばいですよ」とか言ったら言ったで負の暗示になるし、

引き寄せは個々起こっているから、

頑張ってスマホにかじりついていない人でも
私のような人間に出会って、逃れられるってもんです。


そういう人生の不思議な側面を観てきた。


だから何かに頑張るとかは手放してしまった。



そんな中で

これだけ薬薬、っていう、・・

薬で世の中が誤魔化したいものはなんだろう

自分の中に在る問題は何だろう


ってただただ考えている。





うちの母親が、
兄を産もうかどうか迷っていた時に

「何とかなる(≒周りの人が助けてくれる)」みたいなことを
おばあちゃんから言われたから産んだ、

と言っていたが、

こういうのも程度問題で、

「産むが易し」なんていうけど、

「産むだけは簡単」、
って意味ではないかと私は思うときがある。



未だ子育ては「ガッコ行かせる・病院行かせる・施設に預ける」
でなんとかする


みたいなところがあるなあ、って



・・・・少しも本質的な「育てる」話に、
フォーカスが行ってない
っていうかねーーーー。



そんなことをよく思うんです。

色んな人や事に対して。



だから、子供に接種とか来るんだろうな――って。







不登校とか引きこもりの人で、凄い優秀な人も見てきた。

優秀だけど、人に接するのがかなり困難で、全く世の中に活かせない人たち。

そういう子供「量産」しているって、
果たして「子育て」なんだろうかって思ってた。。。





子供の接種にガーっと世の中が力を入れてきたっていうのは、

「子育て、このままでいいのか?」っていう神の問いかけだと思っている。



命のことをもっと考えて!
人生の意味を考えて!




そんなメッセージではないかと思っているの。





接種で

不妊や神経障害で体が動かないとか不自由になるとかが出て、
実際に人口削減が進んでいったのだとしたら、


それを「陰謀者が」と言ってしまえば簡単なこと。


恨みのはけ口を見知らぬ遠い国の他人に押し付けるって簡単なこと。




そーじゃない。




被害者になり下がるのは簡単なことなんだ。




「世の中の事象は、常に自分の内側の(深層心理の)デフォルメ」なんですよ。




豊かになったなんていう世の中で、
生きる、という意味とか本質を、失ってきたんじゃないか。

自分殺して生きてきたから、そういうものが引き寄ってきた。


ホントに豊かなの?って。

モノじゃなくて、中身の話だよ?



だから今のような危険な薬がばらまかれる事態になったと思っているの。




化学物質にまみれた世界になったのは

ありのままの面倒や

自然というものを否定し続けてきたという事だ。





今の危険から逃れていく人は、きちんと逃れる。

逃れられない人が出たら、それはそれで祝福なんだよ。



苦労とか困難とか不幸とか、そんなに悪いことじゃない。



ネガなものを認知し、触れ、対峙し、乗り越えることで、


「生きるって何?」
「大切なことって何だろう?」


って問いかけたら成功なんです。



それで生きる価値は出たと言ってよい。

そういうものが与えられない人生こそ、実は不幸なんだ。






だから私は、被害者意識とかはデトックスしているんです。




被害者には、自分でなるものだ。

被害者を受け入れ、
過去にしがみつき、
誰かのせいにして、
怒り狂う、

を受け入れても
私はあまり楽しくも無いと思うからしないのです。

なにか成長に繋がるとかあればいいけど、

街灯に群がる虫で終わるみたいな感じがして。

怒りに使う肝臓も残っていないし。






交通事故で家族が死んだときも、
一番速く私のところに届いた言葉、
「恨みに生きても
いいことなんか何もない」。

これは非常に正しいと今も思っている。



恨みや怒りが自然発症してしまう事で苦しんでいたことがあるので、
理解はできますが、

あまり消耗しないうちに何かで手放すことを祈るほうが良いと感じている。






最近交流関係が増えて、いろんな人を観る機会も増えたが、

程々に楽しいと言われている状態と命を保っていければ、っていう
死んでるみたいな人生に執着している人も多く見かける。

今だに程々の遊興に死んでいる自分もいる。



こういう人や自分の状態こそが、毒で
不要なんじゃないかと思います。



他人がマスクして学校や職場に行って、
接種に前向きなのをどうこう言う前に、

そういう他人の景色を観続けている
自分の中の「引き寄せの原因」を見極めたいといつも思っている。


誰かが何か起こしてくる、なんて思わない。


(他者が)何かを起こしてくる、ではなく、
何かが自分の中に在る、なのだ。

常に物事の原因は、自分の中に在る。



誤魔化している自分の内面を、他人のせいにしたら簡単なんだ。




だから誰かの行動に何も言わない。




世の中の嵐には巻き込まれないようにしている。




人は、エネルギー体なんです。


必ず考えていることや、執着しているネガな部分、外に拡散しているんです。


外の景色を変えるのは、自分が変わること、


外や出会う人は鏡、


いい景色やいい人と出会って、楽しく充実した時間を過ごしたかったら、

自分をクリアにフレッシュに保つことだ。



これから、一日でも長く、
いろんな自分の内側のネガな原因と向き合う、

対峙する人のための人生を送って生きたいと思っている。


私にとってそれが一番意味があって、楽しいことだと思っているから。




ただただ瞬間を楽しんで生きていけばいいというものでもなくて、

それが他人の勧める「楽しい人生のカタチだから」だったなら、
接種するのと変わらない。



答えは常に、自分だけが知っている。



その為に私が役に立てるなら、その人と出会いましょう、

今はそんな感じなのかな。

人という文字は一本では成り立たないから・・・金八先生じゃないですけど(笑)



私は一人でいろんなことに耐え過ぎた経験を、

これから楽しんで、
誰かとシェアして活かして行きますか、

っていう感じかな。




不幸も困難も、
エッセンスにして心の筋肉増強のために有効利用しましょうぞ!


そのために、自分の内側に触れるという事は、必須なのです。



この言葉気になる~~って人は

#名古屋ピクニック&オフ会

で、私に会いに来てくださいませ♪



ではでは♪