(柑橘と米酢で夏を越します)








家に置く本はお守り、と聞いたことがあるが


「花のヘッドでひるねして」
という本は私にとって面白い本で

いつ買ったのかも覚えていないけど

必要な時にいつも現れる、という感じの不思議な本です。




前回は英国に旅行することが決まったあと、
何故か旅行ガイドを読む間にふわっと開いた記憶がある。

で小説を読んでいただくとわかりますが
英国の聖地、グラストンベリーの話が何度も出てきて

更にドリーン・バーチューの本でも同じ地名が出てきて

サインだなーと思って行った記憶があります。



素敵なところでした。





今回は久しく小説も読んでなく

つい先日なんとなく片付けの途中で出てきたこの本を
なんとなくまた読んでいて

・・・ドキドキした。




この小説のテーマのひとつが、

隣人の恨み、知り合い程度の人の妬み

というテーマだからなのだ。




連日、生霊とか呪い、妬み、みたいなことのコントロールの話を書いていますが

凄いタイミングでこの本を読んでいた。。。





小説の内容的には

ちょっと小高い丘に住む主人公のうちの隣には、
努力もしないし上手くいかないと恨んで妬んで、みたいな人たちが住む家があったりするし

私が気になったエピソードは、

その地区でちょっと変わり者的な精神科に通うおばさんがいて、その人が主人公の家の玄関付近に夜中にこっそり小石を置いて主人公がちょっと躓く、みたいなことが何度も起こる話。

使ってなかった監視カメラを回して見てみたら犯人が判明した、という話だったのだが

もう、ゾッとしましたね。



コロナ後に受けた迷惑行為、恨みに妬みをぶつけられた事を等などを全部思い出した。
今もグーグルに痕跡が残ってるけど。




なんとなく知ってる程度の人が
小さな迷惑事をして気分を損なうようなことをやってくる事で

「私を解ってくれ、忘れないでくれ」

ってやるみたいな話が

今のタイミングでリアル過ぎです、でした。



念を送ってこういうことをやってしまうような孤独な人が今いっぱいいるんだろうね。






この小説には
主人公達はそのおばさんに会いに行って

「なんであんな事するのですか?」

と言いに行ったら止まった

というのがあった。






生霊とか、 

恨みや妬みに走るような
獣みたいになってる人にとって

「無視される」

って事が一番嫌なんだろうな、です。

それが故意でなくても。
前も書いたと思うが。




そのおばさんも「精神がおかしくなってて結婚出来ない血族の庇護に頼っている老人」みたいなレッテル与えられて生きて、

面倒なことは医者や薬や血族が抑え込んでるから起きない、みたいな感じで安心され、

何も期待されない上に少し距離を置かれ、

他人の中で一瞬で処理される事が我慢ならなくなって



嫌がらせしても大騒ぎしなさそうな、

少しでも理解がありそう、とか

泣き寝入りしてくれそうな人のところに行って
一時的にストレスをはらす

みたいなことになってたのだと思いますが


マジで今こういう事多い気が。




孤独で孤独で、迷惑行為に走る人。




この本を読んだ直後、
私にも小説に出てきたおばさんのように、
まだ頑張って念を送って孤独を癒そうとしてる人がいるのでは?

と思い 前にも書いたが

「あなたの孤独には付き合いません」って宣言したら
変な迷惑人に対する怒りや記憶自体がパタッと消えた
ということが起こったのがまた怖い。







有名な源氏物語の、
光源氏の奥さんが生霊に呪い殺された話もそうだけど

正妻は生霊になってやってきてた夫の元恋人のことなど気にもとめていない

だから防御も出来ない



私は苦しんでいるんだ、

気づけ!

とばかりに相手はエネルギーを送り続け、妬み続ける。


だから被害がでかくなった、ということを表した話なのかも。




正直、私は生家の人々が全員奪う系だったし、
他人に注目されないとかが正直楽でしょうがないようなところがある。

牡牛座ってもしかして多いんじゃないかなこういう人。

基本一人で満ちてるし、興味がそそられないと他人に注目しないのですが、

頑張って幸せのカタチを保持してる不自由な人にとって、
妬みの対象でしかない人間に映るのかもしれない。




&私は心理カウンセリングとはスケールが違う人生相談業なので
なんでも許してくれるみたいな勘違いをする人も多い。

そんなわけないですよ。




そんな都合のいい人間どこにいる?





今はネット社会で
有名人との距離が近くなったとか
情報がたくさんあるので何でも知ってるふりになるとか

孤独を感じないようにするエネルギーが満ちているようで
蚊帳の外の「蚊」になってしまったかのような人々も沢山いると思う

満ちてる、安全な世界にいる人の美味しい栄養を何とか奪えないかなって。



で蚊帳の中にいる側の人間は、
蚊の鳴き声にちょっと気付き始めると
恐怖に苛まれ不自由で仕方なくなる。


蚊帳から出られない!


だからって無視するというのは
蚊帳を取っ払って生きるようなことだということ。




本当に面倒くさい話ではあるが 


↓変な念に巻き込まれない為にすること↓


・自分の心と人生の目的をはっきりとさせること

・興味もない人々の事を遮断・スルーすると
逆に時間を奪われるので

「人生の目的を拡大させるために
協力し合える人とだけ付き合います」宣言する事

・自分の世界だけに生きようとするとまた恨みを買うので、
興味のない人々に対しても、
適当に気づいてますよ、ぐらいの雰囲気を出しておくが、
死んでも孤独に付き合わない

みたいなことが社会コミュニケーションでは大切になるのかも。




食べ物の添加物とか毒の話にしてもそうだが

危険だとかネガなものを
無視したり完璧に除去すると却って弱くなる、です。



オーガニックオンリーの人が
少し外で食べたもので体調悪化するとか

添加物が入っているから食べるの我慢してストレス溜めるとかは

う〜ん、健康度高い、とは思わないなー。です。



生霊、悪霊に対しても同じ事が言えると思う。
 

完全に除去しようとするとか無視すると
ストレス増大するし却って狙われます。


白い紙が白いほど汚したくなる、です。




興味のない人にいちいち気づいてあげなきゃいけないみたいなのは凄く面倒だけど


迷惑人種以外の人と付き合います、って宣言は上手くコントロール出来る宣言だと思う♪


→相手が迷惑ごとを改めることが出来たら付き合いますよ、
って事だから、

完全に排除された、無視決定、ではないから
相手は「白い紙」を汚そうと執着しないというわけだ!

迷惑人種の標的になりにくいって事だ!






人関係を上手くやるってことは

基本として

獣みたいになりやすい種
孤独記憶をデトックスしておくことだと思うが、


情報やモノに囲まれて生きてるとやんわり誤魔化されてわからなくなってしまっているのでしょうね。


孤独は今の社会の主要な毒
の一つだと本当に思います。




恨まれないようにする宣言
凄い良いと思います

間違っても無視と妬み避けに外で親切に振る舞っちゃ駄目(笑)
逆に妬みホイホイになりますよ。

↑宣言して境界線築くのが大事です!


&こっそり相手の幸せを嘘でもいいから祈ると離れていくらしいよ(笑) (オノ・ヨーコ女史秘伝の技!)




ではでは。








(中央のカードは「自分を頼る」。

=自分が自分に対しての最大の権力者である、
というカードですね。

これは家族の問題であろうと、社会問題であろうと
忘れてはならない事だと思います。

他責し始めたらそれこそ憑依、ではないのだろうか。)









先日、 



忘れられない嫌な人のことは、

相手が淋しい人で念を送られてるみたいなことがあって起きてるのかな?


みたいな話を書きました。





誰かから呪われてる、

だからいくらやり直しても上手く行かない、


こういうお話を時々聞くことがあります。




親が反対した事をやったので宗教を使って私を呪ってるみたいなんです、とか。



こういった 
霊だの念だのお祈りだの呪いだの、


の話で大事なことは


この世で生きている限り他人の影響は免れないが


【自分がはっきりと不要だという意思表示をすれば


影響は受けない】
、ということです。






相当脅されたか、孤独なのか、弱気なのか、無知なのか、

どれかがあって


霊とか呪いのような【他力を優先的に信じる】とおしまいだということです。





自分の人生に於いて


【自分が一番の権力者であり支配者】


ということを、他人の脅しや呪いを信じる前にすることが大事です。






それでも世の中ストーカー殺人とか、変な犯罪があるようです。




そんなのに比べたら小事だが



変な付き合いとか変なストレス解消に巻き込まれていると

ウチの庭(ベランダ)ではいつも変な虫が発生する。


ベランダ=交流の場の象徴

そこにある植物は財産とか才能とか魅力とかでしょうか。



ホント、何もなく正しい道のりを歩んでいれば何も起こらない。





生霊みたいなのが来てたのかなって頃を思い出せば



統合の象徴とも言われるハイビスカスにアブラムシが少しわき


平和の木と言われるオリーブは、日当たりの良い定位置に戻した途端、しつこい黒いてんとう虫みたいな虫が新芽を荒らした。


動きが速くて、結局3日位捕獲出来なかった。




うわ〜



このしつこさ、正体を必死で隠す様、
おいしいとこだけ欲しくて食らいつく



これぞ生霊?


って感じでした。





コロナ後、私は変な人に付きまとわれるとかネット上であること無いこと書かれたり迷惑行為を受けたことがある。


その時も原因不明に玄関の丈夫な観葉植物が枯れるとか、

意味不明なトラブルが必ず起こった。


ホント、思い出すだけでも変なことはいくつかあった。





霊媒師より庭を観ろ!



なんだが(笑)




植物がなくても、


いつもの食事で食あたりしたとか

洋服のボタンが消えるとか

お気に入りの皿が割れるとか


変なものが身の回りにある時


絶対、日常にそういうサインがあります。



吉本ばななの小説にもそういうお話はよく出てくると思う。


で、そういう時はなんとなく不充実な生活の側面があると言っていいと思う。






この世で生きている限り、コミュニケーションは免れない。



誰かの世話にならないで生きられるものではないように

悪影響もまた受けないことは出来ません。



アイドルのキラキラしたエネルギーみたいなものだけ欲しいと思うのはやまやまなのですが


どんなに自分をケアしてご機嫌でいて、良い引き寄せ受取体制を保持していても変なことはやってきます。


恵まれて、嬉しい楽しいばかりを体験していても心の強さは鍛えられないからです。


ずるをしたい自分はまだまだ沢山脳の奥にあるということでもある。




いざ心が強くなければ、

要らないものが来たときにNO!と言えない。

孤独が心の片隅にあれば必ず相手はそこを狙ってきます。



楽な方楽な方へ流れた人間は


隙がある他人に近づき、

厄介なことを図々しく押し付けようとか言うのがすなわち


私の言う「ネガなこと」とか「変なこと」、ですが



こういうのがきた時にきちんと気づけてNO!と言って相手に真剣に刃向かえるかどうかで

「自分が愛の存在であるか」を試されていると思うのです。



「人生の目的をきちんと追って生きてますか?」って神は囁いていると思う。



こんなときに断固拒否れない、もしくは恐れる、

オドオドしてしまうから

相手は延々と誰かに面倒なことを押し付けようとかを止めない。

止める気にならない。




私に断わられたら相手は嘆き悲しむだろう、


そんな存在になるのは私の本望であり、

また大変なことだろうとは思いますが、


不快な事がこれ以上増えることを無くす、は本当に必要だと思うのです。


だから、強くならなくては。

NO!をきちんと伝えられるように。





以前にも書いたように、


自分は不要な他人の念には同意しないし、

自分の人生の目的を生きます!とはっきり宣言する


が自由に生きることに繋がります。



目的が無いとか

時々目的から少し離れてしまっていると


変なこと、は、やってきます。



自分次第だと思います。



親の宗教とか、土地が悪いとか、ナントカではなくて


まず自分で出来ることをすれば、防げるということを理解する事。心ひとつです!




ずっと他人が呪ってくるとか言い続けたら

それが続くだけ。


逆に言うと自分が最大の権力者という証拠みたいなものですが。



そういう人は人生の目的が無いか薄いです。



例えば

結婚して、相手が望むから今は主婦してます、私に罪はない


みたいなことは別に間違った事ではないけど


変なことを引き寄せる条件=人生の目的が無いか 薄い


ことかもしれません。



大したことしか出来ないというのも安易。

でも植物や動物の命を簡単に変えられるのが人間。


自分は大きな存在で

目的を持って魂を生きることの大切さ、意味を認める


というのは


結局自分を守ってくれる。



不安になって鍵をかけまくって殺虫剤を振りまいて携帯電話を常に監視する


ではない。


安全というのは、真剣の間違いではないかと思います。



自由に自分の人生に生きるために、目的を持ちましょう。


そして毎日自由に生きる宣言を、忘れないで。


ではでは。

















(おっと、この頃はキャベツが高級品だったかも(笑)

お好み焼きが贅沢品になるとはね(笑))










天王星=改革、革新的な変化の星の影響まっしぐらの牡牛座。




自分の(思考)システムが基本的に変わるとき

とかだなあと思っているのてすが





足元がふわふわしがち。です!



こういうときこそもっと「自分の偏りの傾向」を知って

端的にしっかりと心に据える



ということが重要だなあと思っています。



それで、西洋占星術などを

いろいろと勉強させられているのだなと思うのですが





自分を知るときには


人生の中で繰り返し起こっていること



・今周りにいて会話している人の特徴


を観るのは一つのテだなあと思います。





もちろん催眠もするし夢分析もするんですけど
色んな情報源を学ぶのも楽しく、別の景色が見えるときがある。

それが面白い。




「繰り返し起こっている事」として思いつくのが

・他人と付き合うと徐々に相手が

「自分のことをわかってくれ・・・」と図々しくなってくる


です。


以前にも書いた記憶がありますが。


まるでボランティアの介護士が老人の話を聞かされるような気分になるんですよね・・・。


もしくは自分を肯定してくれ!みたいな強要じみたもの。とか。



他人のエゴと対峙するのはお金貰わないとしないことにしてるので、その時点でサヨウナラします。






これは最近、ホロスコープ的に「深く人の欲や問題を知りたい」みたいな基本が関係してるかも、と思いました。



もちろん以前に書いた母親の図々しい「私を理解してくれ」虐待の影響もあると思いますが

そもそも私がこういう傾向の子供だったから起こったともいえると思うのですね。

なんとなくしっくりくるw




で、↑みたいなことが、仕事以外では本当にウザくなる。


っていうか、そりゃそうです。

こんな行為は「インナーチャイルドが荒れたところを一時的に癒せ」って求められるってことなので。



ほとんどの場合高級ティッシュ求められるみたいな感じがしてくるのでサヨウナラします。

尊敬の念の消えた関係は続ける理由がない!




で一人の時間が多くなってくるのですけど

牡牛座って一人の時間、凄く大事だと思うのです。



そもそも、凄く五感が発達してる(感性が高い)ので、人間みたいな心がコロコロ変わる動物と対峙して、

感じ続けるだけで疲れる、厳しいようなところがあるのだと思います。


仕事は基本的に「相談しに来る」という他人の目的がわかっているので、疲れない。



でも「大人の」知人友人恋人家族っていうのはいきなり「何が目的」なの?と思うときがある。

変な欲に洗脳されるがしょっちゅう起こるのがこの世なので。

そこを判断ミスすると、元々3歳児、社会や人関係のノウハウの少ない牡牛座に大人の星座群がわーっと利己的に何やら都合を押し付けるようなことは多いのかも。



純粋な感覚、意識レベルを保てる人との関係はだから貴重な訳ですが


他人の変な欲が厳しいのは誰でもそうだと思います。






牡牛座は「モノ」とか「表面化した財」の(所有に拘る)星座だと言われているんですけど

牡牛座は、他人と直接対峙の厳しさを、

モノを通じて「素敵な他人の心や技」を五感でフルに感じて満たす、

とかしてると思う。




「愛はモノではありません」、とか

「食事は何を食べるかではなく誰と食べるか」みたいな言葉は


実は牡牛座はわからないと思います。



私はよく、ウエイトレスの頃、宴会後の片づけをしながらよく思ったものです。

「会話の添え物みたいな食べ物とか食事会って最悪」、って(笑)




よく「おひとりさまのご飯なんか旨いのか??」とか昔は死ぬほどいわれましたが

(群れる魚座の時代感覚からはそうでしょうね)



牡牛座は「誰かと食べると味がよく分からない」、とも思うのでは?です(笑)


空腹を満たすために流し込むとかにならなければ、
一人でじっと料理に向き合う方がずっと味がわかる。

もしくは、味わうときに気を使わないでいられる相手が重要。



モノと人を比べようとは思いませんが、
モノの向こう側の人の心を感じることが牡牛座は大切なのです。


この特徴を他の星座に分かってもらおうとかは思いません。

それぞれ優先的に大事にするものが違うってだけです。



あくまで「(モノにのっかった)人」を感じています。
誤解なきよう。





更には、牡牛座っていうのは

180度向こうの星座=蠍が暗く、汚く、
奥深い闇を掘り続けることで欲望を探求するのとは真逆に、

光の探求、美しいものを発見&保持したい、みたいな魂があるんです。



快楽の探求に欲深いのはこの2星座はとても良く似ているが、方向とか目的が全く違う。


素晴らしいを発見・増やしたい牡牛座、

闇の中にも財があるのではないかという蠍座。





牡牛座はモノ以外での無理だなあ無駄だなあは、
速攻捨てるとか消すことに躊躇がないです。

「真っ白」欲が強いからです。



これの極端な悪しき例が、原爆を落としたりした人たちや、ヒトラー、ですね。

略奪を目的に互いに殺しあうのは無駄、という五感の厳しさがピークに達して突飛な手段に出た、というところでしょうか。



かたや蠍はネガなものでもなんか保持しておけば役に立つだろう、と痛みを感じながらも保持する癖もあるように感じます。排除とか非難もしますけどね。

モノに関してはこれは牡牛ー蠍に共通した特徴かもしれません。



蠍は変な言い方をすると、痛みが無いとやりがいがないぐらいな意識を感じます。

典型的な毒親の元に選んで生まれてくるような人は多いし、
また、痛みに耐えることを美徳というか認めながら生きていたりして、

この環境を否定しながらも本質的には手放さない人が多いです。

海に近い生活排水が流れている川、ってイメージです。




・・・で


これらのいろんな特徴から私を観ると

五感が厳しいし
深く他人を理解しようとする特徴を安易に利用されやすい
他人の良いところだけ感じていたい

→一人の時間が大事

という感じです(笑)


この「一人でいること」が大切なのが


最終的に
牡牛座に欠けがちな「自立」を育てられますよ・・・

ということだなと思います。

いいとこ悪いとこあるんですよね。陰に隠れてるけど(笑)



天王星が滞在している時に、改革&育てているのは「これ」だと思う!




また、他人との依存に巻き込まれるのが人生に悪しき影響を及ぼす、ということだと思います。


TV見てても牡牛座の呑気かつ幼児性のファンは多いのだなと思いますが、実はキャパはそんなに無いから(笑)依存されると困るんです。


他の星座は依存利用して儲けるとかしますけど(笑)そういうアタマがないから牡牛座は尊いとも思います。



正直職業的にもネックです(笑)依存を許すのはね。




自他にとって、私がなるべく単独行動をとり自立すること、は大切なのだと思います。

このホロスコープは、・・・です。




牡牛座はイメージ的に「狭くても美しく快適な庭」を持っている星座なのですが

そこに他人と多く関わると「狭い庭に多大な欲を注がれる感じ」

が私はするのです。



小さな花が咲き乱れる庭に、米を作れ!とか牛を飼え!、産業廃棄物を引き受けろ(笑)みたいな。


そんなの受け取っていると、牡牛座は人生のゴミ屋敷まっしぐらかも。子供が親のインチャケアするみたいな話!

コロナの頃は宴会しまくってたけど、ほんと、色んな無駄情報戴きました。

その後、夢でも「一人が不要な欲の矯正に凄くいいから」という内容を観たので、今は自分の時間を大事にしています。





で、今私の周囲にいる、意識に上る人たちは


「一人の時間の方が充実するし、

相手に合わすストレスが厳しい」


と豪語している人々(笑)



「オープンなんだけど、距離を大事にして結果一人でいる人」です。




一昔前、特に「魚座の時代」=~20世紀はコレ、馬鹿にされるとか非難されることでしたよね(笑)



水瓶座の時代になって、

「個」を大切にする、
他人の関りに距離感を設けることで創造性を伸ばすことが
結果良好なコミュニケーションになる

という感じなので、
ちょうど「今の空気感」にはベストだと思う。

=今の時代を利用して魂を磨くのならば、

私は一人の時間を大切にする!です。




でないと、魚座の時に牡牛座の人々がしたような
世界に「漂白剤のでっかいの」を振りまいたような欲や怒りに生きる・・・

とかになりかねない気がしてます。


人ストレスで延々と悪口言うより良い(笑)ですし。3歳児の率直な愚痴は時々酷く他人を傷つけます。




牡牛座、漂白剤好き(笑)かも。



もしくは私の「他人を深く知る欲」ホロスコープが、
太陽星座とガチでやりあっている(笑)ので、

「真っ白にした~~い」「真っ白なものが好き」

かもしれないなあ、と思います。


更には冥王星的エネルギーも基本的に強いので(笑)

まあ、不要なもの捨てる、刷新!再生する欲もすごい(笑)



・・つまりは過去を顧みるとか、要らない価値観ぶっ壊すとか

他人の相談に乗るけど、エゴにはのっからないよ?的な

催眠療法士にはピッタリなホロスコープかもしれません(笑)



この「漂白剤の心」は、良くも悪くも自分の個性を現すキーワードだなと思っています。


よく言えば純粋ないいものを保持したい、

悪く言えば不快なものは排除しやすい、




これは太陽が牡牛座なだけではなく、

総合的なホロスコープと周りの人々の特徴から得た情報から出す
「自分像」にかなり近いかなと思っています。


つまりこのテーマを心において行動すると、色んな事が改善される、です。

漂白剤使い過ぎて白いのに拘るとよくないよ、ですし


汚れに気づけるから漂白しよう、きれいに出来るよ!となる訳で。






こんな星座の話を交えた個人の話を、よく催眠フルセッションではします。


ホロスコープの鑑定は出来ないのですけど
(詳しく知ってもとらわれるだけ?なので学ばない(笑))

基本的なことを知るだけで、深く知らなくても色んな事が見えてくるのは楽しいです。


いずれ西洋占星術講座の中で語りたいと思いますが(笑)

ではでは。












以前にこんなブログを書きました。





あまりにも感覚が合わなくて

深く疑問に思うような迷惑事に遭遇したりすると

 

相手は多分

「生まれ変わりが非常に少ない」とかで

人関係における感覚が育ってないとかなのか?と考えると



「前世の経験が違いすぎる」

が起こっているのではないか?




という経験値を書いたブログですが




合わないだけでなく
「忘れられない(嫌な)人」が私にもゼロではなく


よくオラクルカードの

「Forgiveness」「Compassion」

(許し、とか慈悲)のカードの説明には


「怒りを覚えた相手を許さなくていい、

怒っている自分を止めると宣言することだ」

などという文があるが、


これを読んで理解して止められるものではありませんでした。




それらも承知で、↑の記事を書いたのですが



この間、積極的に催眠などでアプローチしなかったにもかかわらず、

とある「忘れられない嫌な人」、のことをバタッと最近思い出さなくなったなあ、


と感じたことがありました。




急にエネルギーが自然に変わってしまったかのような。



で、その時浮かんだことを書きます。







その、「忘れられない嫌な人」っていうのは
以前にブログに書いたことがあるんですけど
・・・・

私に凄く図々しい略奪行為を安易に目論んでいた

個人的に全く興味も持てなかった類の人で


お陰で被害なども無かったのですが

とにかくその人の発言が気持ち悪く


「一瞬でも生贄のターゲットにされた恐怖」が何度も

思い出されていた事があった。





正直、外に出たら周囲に一人はいるような人種かもしれません。


家庭は一応あるけど完全機能不全で


でも社会的信用とか見栄とか孤独とかナントカで
改善の見込みもないのに保持してる人、で

飢えてるんで適当な他人を上手く騙してタダでストレス解消しようと目論む、なんということもない可哀そうな人です。





安易にずけずけと利益を狙う行為の一つ一つが


世界中の人間を信用出来なくするようなエネルギーに満ちていたのですが

どうしてこんなに忘れられんのだろう、という感じでした。


過ごした時間も少なく、被害も無いのに何度も思い出してはイライラ。





それがある日突然、パタッと消えた。






なんだろうな・・・・




脳裏に響いた言葉。



「この世は相手の恨みや憎しみを長引かせることで

【孤独を癒すエネルギーを奪う】事を身に着けている人や


悪霊じみたエネルギーが渦巻いています。

安易な人生を送り

改善しようとしないエゴイストが


必死になって

【忘れないでくれ!】

って願っているのではないか?という事に、


あなたが気づいたから、離れていきました。」




・・・・


・・・・なんとなく、これ、納得したんですよね。





日々SNSなどを覗いていると


一定数の


「自分が恵まれない境地にいるので、
誰かを巻き込んで同じ目に付き合わせよう

いかにも味方の振りで恐怖情報流して、怯えさせ


知らない誰かが騒いで慌てているさまを眺めて

自分が恐怖に苛まれた辛いトラウマを癒してる

みたいな人がいるなあ、と感じることが多々あるのですが
(フェイクニュース流す人ってこんな人だと思う)



つまり孤独を極めた、いじめや迷惑行為の被害者が


その地獄のような体験を減らそうとも出来ないし、しようともしないで

自分と人生に負け続け、

生贄みたいに誰かを同じ境地に誘い込んで一時的にストレス解消する


みたいなことを

平和とか人生の意味とかにたどり着けないと、容易にやってしまう人種


というのがいるのだなあと思う。









私はとにかく最近もブログに書いたように

・・・

他人の怒りに賛成させられそうになるとか
孤独を癒すことをさせられそうになるとか

承認欲求を上手く引き出すためにしむけられる?みたいな



やりたくないのに巻き込まれるようなこと


今いっぱい、なーんとなくある気がして、嫌なんですよね。

詐欺とかの手法に詳しい職業柄、敏感かもしれません。





孤独が


若く美しい異性と容易に寝られたりとか

大金が簡単に手に入ったら埋まりますか?


ですが

・・・・


【本質的な孤独は


自分が世界に向けて何かを表現していくことでしか埋まらない】


ですけど



もちろんなんにもやる気しない自分をケアしようともせず

原因をスマホで探すわけでもなく


絶望に満ちた体験にしがみつき

他人を羨ましがって他人の豊かさを奪いたいだけ


それはもう「当然!正しい!」ぐらいな考え方の人

も多いのだなあと思います。



毒親とかこの人種ですね。

うちの母親たちもこういうの何にも疑ってなかった。


他人から子供から奪えるものにはいつも意識を尖らせてたかも。



程度こそあれ、お金持ちはおごっても当たり前だ、ぐらいな人はいっぱいいますよね。




孤独で飢えた人っていうのは、最終的には心を求めてくる。
お金では買えませんから。

だから

支配欲の強い人は多いのだと思います。



嫌なことをわざわざしてしまう人なども、

心を奪うのに簡単な方法だからですが

・・・・



つまり孤独を極めた人は

自分を癒してくれそうな可能性のある人間に出会ったら、


ずっと

エゴな想念を送り続ける依存症的行動があるんだろうなーー。

と最近思ったことがあって。




源氏物語に、光源氏の正妻が生霊に呪い殺される、とかあるでしょう?

多分そんな話に触れていたからだと思いますが。




自分の人生を反省するわけでもなく、

改善に乗り出すわけでもなく、



可能性がゼロじゃなければ

【ひたすら

他人をなんとか巻き込めないかなー


想いを巡らす】


そういう行動だけでも
「やること」が見つけられていて嬉しい


孤独が癒せる、困難から目を背けられる、暇が潰せる

・・・そういう事がもしかしてあるのかなと。



これがいわゆる、生霊、みたいなエネルギーの正体かも。







私のこんな【悪しき妄想】がホントかどうかなんて知りませんが











反対側から観たら


・・・いじめの被害者が全くこんな人だが、


今回私に起こった忘却、は


憎んだり恨んだりすることで、

嫌な相手(加害者)の孤独を癒してあげてるんじゃないか?


(話題にもされないのが殴られるよりも厳しいタイプだろうと思います)

って思ってしまったので


その後気持ち悪い行為をしてきた人自体を

思い出すのが自然にばかばかしくなった、が起こった


と考えられます。




(※余談ですが、いじめの被害者が辛い過去を忘れられないような場合も、


加害者は調子に乗って孤独癒しと生霊を飛ばしてる

&被害側も孤独記憶が強い、


が起こっていると思います。)







「風の時代=水瓶座の時代」だといいますが

変な想念やエネルギーがいっぱい飛び交っていたり

想像以上の

「想念」の影響を知る、という時代なのかも。





感じたくないようなどろどろとした暗い闇もまだまだこの世には渦巻いてるな、




って私は感じていますが


全然恐怖はなくて


今回のような事が急に起こって結局消えていくし



「自分の心がきちんと誠実な方向に向いているか」と


「自分の潜在意識の奥に隠れているエゴなどの掃除をしていれば寄ってこない」

っていうのが腑に落ちています。





・・・・


以下、まとめです(笑)




孤独な人の想念に巻き込まれ


「タダで嫌な人の孤独癒しさせられてるかも」



多分↑コレ、が
「嫌な人を忘れられない」時に起きていること

です。




負のエネルギーに呑み込まれてる?



まさにエネルギーヴァンパイヤされてる

のかも!




で今回のように

結局忘れた、が起こった後でも


慈悲がわいたりはしません。

許す気持ちもありません。それでOKだと思う。

忘れるが最大の攻撃であり防御です。





思い出さなくなった、が自然に起こったのは



孤独癒しボランティアさせられてるかな?の気づきが起こって

心で【あなたの孤独には付き合いませんからね?】宣言

したのが全て
だったような気がします。

(※ほんとはこれ↑否定文なんで、「他の有意義な人とだけ交流します」とかのほうがいいかも。


特に対毒親とか長い付き合いの場合は肯定文推奨。)





結論として


相手にも自分にも孤独記憶エネルギーがあると嫌な思い出から自由になりにくいと思います。



不安に一時的にさいなまれていたりとかも、嫌な記憶保持に繋がります。弱味に付け込むのエゴイストは大好きです。





孤独記憶は何にもいい事運んでこないので、人生の改善にはぜひ、お勧めしたいことです。


このブログを読んで理解しても忘却が起こらなかったらセラピーしてみて下さい。



私はそこそこ孤独記憶除去のベースがあったから言葉だけで↑のような自然な忘却が起こったともいえるので。



ではでは。














このブログで時々挙げられている


「心と体の密接な関係」

の話ですけど



・・・例えば

心で、物事を理解しよう、取り入れよう、とするとき、


体では、外部のものを取り入れる器官、

口腔から、胃にかけてのところで何かが起こる、ということです。



食べ物を取り入れている「だけ」ではないんですね。
これらの部位、というのは。

理解もしたくない、拒否!だと嘔吐してしまう。
内容精査するまでもないならば。

外部の取り入れも、「感じたくない」という段階で

観たくないなら目にくるし、

聴きたくないなら耳にくる。





物事の吸収、排泄(→執着)に問題があると腸に来るし、

更には肺を悪くするし


ドキドキするような事に依存し過ぎると心臓に負担が来る、




外出したくな~~い、外に楽しみがな~~い、で


脚の血流が不足して、冷えてくるとか。



実は簡単な話なのですね。心と体の表現解釈。




で、そういうのを考えたり感じたりすることもなく

ちょっと調子が悪いと、

すぐ薬飲んじゃえ、という昨今の流れ。?





人が生きてる意味って



こういう

「ほんとは隠している本音の心」が


トラブルや

体に出たときなどに

顧みて


心を理解し行動を修正していく事で命の本質を学ぶ、心を磨く



ということがメインだと思うのですが・・・





今日のお題は「依存症」、ですが


・・・




先日有名野球選手のスタッフによる多額過ぎる詐欺被害事件で

「ギャンブル依存症」

が騒がれました。


これは肉体的には「ホルモン疾患」だと云われておるようです。




私は犯罪行為というのは「依存症」がほぼ、メインだと思います。


意図的、冷静な計算された行動、では無いということです。


つまり、過去のネガ記憶が原因の

「ストレス解消行動癖」=依存症、ですが


この犯罪人たちが刑法で裁かれても、

長年育ててしまったネガ記憶やストレス解消行動癖が消えるとは思わない。



被害に遭わないようにするには、


自分をケアして「変なことに気付ける自分を保つ」

=バランスの良いリラックス、を保っておくことだと思いますが。







前述した野球選手の事件のとき、


「ギャンブル依存症は脳のホルモンの病気ですからね~~~」

って呑気に医者が

「体の機能が狂ってるのですから、薬で治療しましょう」みたいな口調で言ってた画像を見たのですが


う~~ん、でした。




なぜそんな特殊なホルモンが出るようになってしまい、

誰もが夢中になるわけでもない事に走るしかなくなるのか?


とか、考えないのかな?
それを追求しないの?
とか。



それ=心が依存症の本質的な治療だと思いますし

そういうホルモンが異常に出るような脳を育てた原因があるはず

です。





強いストレスが介在しないと

ホルモン異常など起こらない


だと思います。




体の自然の機能を微調整している物質=ホルモン、ですが

それが急にたくさん出る→


調節しなきゃいけないことが多い、大きい、

無理してることがデカい、

安易な解決法を限定している拘り



急に出る→


日常的に無理に気づいていない、

トラウマに特徴的な条件がある




だと思います。



例えばギャンブルと言ったらお金が大きい。

貧乏や物凄くお金が人生を狂わすような体験をしたとかがある。


もしくは社会全体が「お金は神様」的な洗脳下にあるから、そういうののいい子をストイックにやっただけでも起こると思う。



その上で、例えば結婚して妻子を養うみたいな「責任感」が来ると

自分を賄うだけでも手一杯なのになんとなく他の家族も養わなければ、

更には幼少期に賄われてない心の飢えが体力を奪ったりします。




→ストレスを紛らわすような行動に依存するしかなくなり


→一度に簡単に解消出来ると思うからその手段に執着し


→ホルモンの異常分泌癖となる


だと思います。



プラス家庭の安定などを体験したことがなかった故に拘りが強くなっているとかもあるかも。


もう、様々な事があります。個々、様々な拘りでストレスを生んでいるのです。


過去の記憶のストレスと、孤独記憶、今の状況、個々の感覚、概念などが全部絡まっています。






お金が手に入ってもしあわせになるもんではない、


みたいなことが脳の潜在意識にあったならば


貧乏育ちでも


ギャンブル依存症とかホルモン異常なんて起こらないと思います。





でも「ホルモン」という「モノ」の話だけにして

更にモノでの解決=薬の処置だけの話にするとか


ただただ「肉体」に起こった結果を見て


【身体の機能が狂っているのだから仕方がない】

みたいな話のレベルってなんか変


だなと思ってる。



過去の嫌な記憶を薬でどうにか出来ますよ、

ってことだよね、


ん?麻薬なの?・・・みたいな。

薬で治すということは。


・・・



んなこと、出来ない!


考え方や記憶に原因があるのだったら、記憶に触れるしかないですよ!





でも変化は怖い、とか

弱いところを見せたら嫌われるとか


依存していること以外で問題解消出来ないと信じてるとか

(もしかして解決しようとしている問題自体が不要なことかもしれないのに)


自己肯定したいエゴが邪魔をするのだろうけど



そのトラブルの理由を、


自分の心の奥を追求し対峙することが

「命を生きること」だと私は思います。




それを容易に肉体というモノを扱うだけですよーーーっていう

今の多くの医者の意識レベル、


イージーな

症状を抑えれば、という多くの人のとりあえずな姿勢、


心を無視かー・・・

です。




人間を肉体だけでモノ扱い出来るなら

ショック性の出血死なんて無いと思うのですけどね。




裁判所からの通知の書類を手にした某野球選手の元スタッフは

今どんな心でいるのでしょう。


ストレス解消出来ないでいる毎日は。



彼の受ける依存症プログラムがどんなものか知りませんが


日本の民間の依存症医学的治療がかなり?なレベルなのは

催眠療法のマイナーなことを見ても明らかです。




未だに頑張れば、などという心理レベルの話が一般的には主流な日本。


それにプラス投薬でなんとかなるほど

依存症の原因=【過去の記憶】は甘くはない


と私は思うのですが。




ではでは。