ピラティスは「しつけ糸」(2) | 呼吸からはじめるピラティスライフ

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ピラティスは「しつけ糸」(1)の続きです。


前の記事でもご紹介したとおり、
この記事を書くきっかけとなったのは
「躾」という漢字の由来を調べる過程で出会った
こちらの記事でした。
リンク“しつけ”という言葉のもつ深い意味


その中に紹介されている、こんな一節。

このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそがしつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、しつけのねらいなのだと言っているのですから。とまどいを与えるようで申しわけないのですが、しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。



これは岡本夏木さんという方の著作の中の一節だそうです。


しつけとは、もともと自律に向けてのしつけであり、
しつけ糸をはずすこと=本人の自律にゆだねること
であると書かれています。


しつけ糸は縫い付けたあとははずしてしまうので、
手で引っ張れば切れるくらい、軽くゆるくつけるものです。


これはカラダのことも同じ。


ピラティスメソッドの創始者、ジョセフ・H・ピラティスさんは、
もともとこのメソッドのことを「コントロロジー」と呼んでいました。
「コントロロジー(Contrology)」は彼の造語。
Control + logy で「コントロールの哲学」と訳されたりします。


「しつけ」という言葉にも
しっかりと、きちっと、きびしく、であったり、
外からの強制、というようなイメージを、
私たちは持っていることが多いと思うのですが、


「コントロール」という言葉にも同じように、
外から強制するイメージがあったりするかもしれません。


岡本夏木さんの著述にはこんな一文も。

しつけ糸をはずすことは、(中略)外からの強制によって社会のきまりをあてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。



「正しさ」だったり「こうあるべき」という思いこみによって
ピラティスエクササイズを行なってしまうことは
「しつけ糸」でがっちがちに縫い付けてしまうようなもの。


そして、「身」と「美」を重ねて
「躾(しつけ)」という漢字をつくった日本的感性にもまた
ピラティスに通じるところを感じています。


日本語では元々は
心も体も「身」というひとつの言葉で
言い表されていたといいます。


ピラティスを行なうときにも
自律にゆだねるという在り方を大切に―――
これが「身」を美しく整えてゆくときの
本来のかたちなのではないかと思たりした次第です。


===

ご参考までに。
リンクコントロールの哲学、について思うこと