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62、得体のしれない胸騒ぎ
時は7月に入り、この糸島に居るのもあと一ヶ月を切った。
勿論つねばあちゃんの居る“なごみ”も一ヶ月で無くなってしまう。
そんな空しさを胸に抱え寂しさに浸る私の許に、一通の手紙が届く。
それは、夏鈴さんと根岸さんからで、
真っ白い台紙に薄ピンクのコスモスの刺繍があしらわれた結婚式の招待状だった。
夏鈴さんは一度失った恋心をしっかりと手に掴み、
二度となくさないように大切に実らせている。
それなのに、私は…
♪~♪~♪~♪~♪
星光「もしもし。夏鈴さん?」
夏鈴『キラちゃん!郵便届いた?』
星光「うん、ありがとう。届いたよ」
夏鈴『出席してくれるよね?結婚式。
9月には東京にいるのよね?』
星光「来月東京に戻る予定だから、また夏鈴さんとも会えるし」
夏鈴『良かったー!また会って話せるんだね!
今日電話したのはね、結婚式に出席してくれるなら、
キラちゃんにブライズメイドをお願いしたくて』
星光「えっ!私!?」
夏鈴『ええ。私の親友はキラちゃんで私たちのキューピットだもの。
引き受けてくれるわよね?』
星光「そんな大役、私なんかで本当にいいのかな…」
その時、半分怒った口調で浴びせられた風馬の言葉を思い出す…
風馬『そうか。
だったら、七星さんはもちろん、
これからは七星さんに関わる人たちとは一切接触するな!』
風馬『流星さんは七星さんの弟さんだ。
夏鈴さんは根岸さんの奥さんで、根岸さんと七星さんと同僚だ。
みんなと関わってたら、何らかの形で七星さんの情報は入ってくる。
お前は七星さんのことが気になって仕方がないくせに、
自分が傷つきたくないからって、自分からは求めないで、
七星さんがやってくるのをただ待っとるだけにしか俺には見えん。
流星さんや根岸さん達に頼っておきながら、
いざみんなが手を差し伸べると辛いって言う。
逃げたくなるくらい辛いって言うなら、もう七星さんに関わる人達にも近づくな』
北斗さんと関わる人たちとも距離を取らなければいけないという現実にも、
寂しさを感じていた私には、夏鈴さんの言葉は涙が出るほど嬉しかった。
とことん素直になれない私の意固地な心を、
優しく解きほぐす夏鈴さんの存在はとてもありがたい。
夏鈴『何言ってるの?
私のブライズメイドはキラちゃんしか考えられないよ。
本当はね、七星さんにもグルームズマンをお願いしたくて、
ひろが昨夜七星さんに連絡したんだけど、
仕事が立て込んでて日本に帰ってこれないらしくてさ。
結局、流星さんにお願いしたのよね』
星光「流星さんがグルームズマンを…」
夏鈴『そうなのよ。
私的にはキラちゃんと七星さんが私たちの両脇に立ってほしかったんだけど』
星光「そう…。
そういうことだったら、ブライズメイドは私より、
流星さんの奥さんにお願いした方がいいんじゃない?」
夏鈴『もう!さっきから言ってるでしょ?キラちゃんじゃなきゃダメだって!』
星光「う、うん。ありがとう…」
夏鈴『キラちゃん、お願い!私のブライズメイドになって』
星光「夏鈴さん…分かった。引き受けるわ」
夏鈴『ありがとう!衣裳はこちらで用意するからね』
星光「え、ええ。宜しくお願いします」
夏鈴『こちらこそ、宜しくお願いします。
ねぇ、キラちゃん。七星さんにもう連絡しないの?』
星光「う、うん。
あんなひどいことして迷惑かけて去ってしまったのに、
今更、私から連絡なんてできないよ…」
夏鈴『それ、本気で言ってるの?
あの日、風馬くんから何を言われたか知らないけど、
私達にまで取り繕うことはないのよ。
せめて私には包み隠さずに本心を言ってほしい。
私とひろでできることがあるならいくらでも協力するから』
星光「夏鈴さん……ありがとう。
本当は七星さんに…逢いたいよ。彼の傍に居たい。
逢って謝りたいことがたくさんあるの…
でも、逢っちゃいけないとも思うの…。
矛盾だらけで訳わかんないよね…うっ」
夏鈴『キラちゃん。七星さんに触れちゃえば、そんな感情すぐ吹っ飛んじゃうのに。
連絡したら彼に迷惑かけるとか、まったく考えなくていいんだから。
今私に言ったように、彼にも素直になればいいだけの話なのよ』
星光「もう…手遅れだよ…。大切な恋を自分で壊したんだもん…
まるで…地雷原に踏み込んでしまったみたいに、
先にも進めないし、後にも下がれずで…
私、どうすればいいのかわからないの。
夏鈴さん。無茶苦茶苦しいよ……」
夏鈴『キラちゃん…』
貝のように固く閉ざしていた口をようやく開き、むき出しの心をさらけ出す。
お腹の底から押し出す言葉と共に嗚咽を漏らし、
私は恥も外聞も捨てて、大粒の涙を止めどなく流しながら話した。
夏鈴さんは電話の向こうで「うんうん」と相槌を打ちながら、
私の話をずっと聞いていたのだった。
(フランスマルセイユ、七星の住むマンション)
プルルルルル、プルルルルル……
流星『もしもし、兄貴』
七星「おお!流星。良いタイミングで電話してきたな。
来週なら繋がらなかったかもしれないぞ」
流星『ん?繋がらなかったって、仕事か?』
七星「ああ。来週から撮影クルーとイフ島へ行くんだ。
しかし、今日本は朝の5時くらいだろ。
こんな時間にどうした?」
流星『兄貴がどうしてるかと気になってね。仕事はどう?
東さんから聞いたけど、もうひとつ仕事を受けたって?』
七星「ああ。クライアントが僕じゃなきゃ困るって言ってるらしいから」
流星『来週からイフ島で撮影ってもしかして、シャトー・ディフを撮るのか?
アレクサンドル・デユマの小説“モンテクリスト伯”にも出てくる』
七星「ああ、そうなんだ。次から次へ移動だけでも大変だよ」
流星『そうか。しかし、2つも仕事抱えてちゃ、早々帰国はできないな』
七星「ああ。根岸からも連絡貰って、
結婚式だけでも出席してほしいって言われたけど、
今年はスケジュールがパンパンで、長期休暇なんて取れないからな」
流星『そうか…。あまり無理するなよな』
七星「ああ」
流星『兄貴から預かった写真集だけど、しっかり星光ちゃんに渡したからな』
七星「そうか。ありがとう」
流星『彼女。また写真集を抱えて泣いていたそうだ。
兄貴、本当にこのままでいいのか?』
七星「流星…。
今の僕にはどうしてやることもできないよ。
傍に居てやることもできないんだ」
流星『ふたり愛し合ってるのに、何故いっこうに距離が縮まらないんだ。
俺にはそれが理解できない。
住んでる距離が離れてたって、心の距離は関係ないはずだろ』
七星「流星」
流星『ふたりを見てるとイラついてくるんだ。
素直に求め合えばなんてない話だろ。
何故互いに遠慮したように行動を起こさないんだ』
七星「6年前のお前と涼子も同じだっただろ。
お前達も自分の心を偽って、5年も時間が経過した」
流星『今、その話を持ち出してくるか。
まぁ。大事な女を失おうと彼女がこの先どうなろうと、
今の兄貴には関係ないんだろうし、自分の人生だからな。
そうそう。来月、星光ちゃんは東京に戻るらしい』
七星「えっ」
流星『民宿“なごみ”は今月いっぱいでオーナーが代わってしまうんだ。
それで、彼女も必然的に仕事を辞めざるを得ないってこと』
七星「その後は、星光ちゃんはどうするって言ってたんだ?」
流星『そんなに気になるなら本人に直接聞けよ。
どうするかはまだ決めてないんじゃないか?
福岡に居場所はないだろうし、親元に戻って新たな仕事を探すしか、
彼女の選択の道はないだろうしな』
七星「そうか…」
流星『もう一度、うちの仕事を斡旋するのもいいだろうが、
それは兄貴の役目で、俺がすることじゃない』
七星「流星」
流星『俺は、彼女に関する情報はすべて兄貴に話したからな。
今後のことは、兄貴がどうするか決めればいいさ。
突発的に何かが起きて、手遅れになる前にだ』
七星「流星。お前、何が言いたいんだ」
流星『俺は…離れ離れになっている兄貴と星光ちゃんが心配なんだ。
ただ、それだけだ』
七星「……」
明言はされないものの忠告とも取れる、
流星さんからの突然の電話に北斗さんは違和感を覚える。
流星さんの勘の鋭さは兄である北斗さんが一番理解していて、
今回の電話も連絡の取れるギリギリのタイミングで掛かってきていた。
通話を終えた携帯の液晶画面を見つめながら、
北斗さんは言いようのない胸騒ぎを抱えていたのだった。
夏鈴さんから電話を貰ってから一週間後の夕方のこと。
私は毎日のようにここに来て水平線を眺めている。
ゲストハウス“なごみ”が無くなると本格的に決まってから、
大粒の雨が降る日も嵐のような風の日でも、まるで恋人の許へ逢いにいくように。
今、立っている場所は北斗さんの撮影現場で、一夜テントの中で過ごした海岸だ。
こうやって高台から大海を見下ろしていると、
一年前、夏井ヶ浜の崖に立っていた自分を想い出す。
恋に破れ、親友から裏切られ、家族を無くした日、
私は北斗さんに命を救われたんだ。
でも…
一年経った今、皮肉なことに私はまたひとりで岸壁に立っている。
いろんな人達との出会いと想い出、皆の言葉を思い出し、
自らが起こした行動を後悔しながら。
そこへ…
敦 「きら姉ちゃん!」
星光「敦くん。」
敦 「何度も連絡したのに、なんで電話に出ないんだよ!」
星光「どうしたの?そんなに慌てて。
ご、ごめん。マナーモードにしてた。
……えっ。流星さんからこんなに着信が入ってる…」
敦 「流星さんからうちに連絡があって、至急きら姉ちゃんと連絡取りたいって。
大変なことが起きとるったい!
とにかくハウスに戻ってこんね!」
星光「大変なこと?…何があったの…」
敦 「いいから早く!」
私は言われるがまま、敦くんの後を追いかけるように坂を駆け下りた。
彼の話しぶりと、流星さんの10件以上の着信に、
なんともいえない胸騒ぎが波のように襲ってきて、
心に得体のしれない不安を抱えて“なごみ”へ向かう。
夕日を背に受けながら疾走する私の心拍数は上昇し、
それはこれから起こる嵐の前触れを感じさせるのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。
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