鬼滅ファンも訪れる『北方文化博物館』 | misaのブログ

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新潟めぐり 続き


11月4日の新潟の旅報告がまだ終わっていませんでした💦


ここからの続きです↓


新潟のめぐちゃんに、最終日に連れて行ってもらったのが『北方文化博物館』でした。


(めぐちゃんのとこ、大雪大丈夫かなぁ?)


『北方文化博物館』では、越後の豪農伊藤家の邸宅を博物館として公開されているのです。


こちらは、「豪農の館」とも呼ばれており、江戸中期に商家より身を起こし、日本でも屈指の大地主で多くの人に慕われた伊藤文吉氏の一族、伊藤家の屋敷と住居だった場所です。


第二次世界大戦後にその財産が全て寄贈され、(財)北方文化博物館として、当時の文化や暮らしを伝えているのです。


6000点以上の蒐集コレクションがあるそうです。


伊藤邸 主屋棟に入ってみました。


めちゃくちゃ広くて、何処から行ったらいいのか迷いました。



字がめっちゃ美しい💕


2階の「考古資料館」には、縄文土器まで沢山ありました。


丸木舟まで!


ここで、いきなりクイズです!


「このガラスの容器は、いったい何に使っていたものでしょうか??」



よ〜く、考えてねー!


何もプレゼントはないけどねーー😆


分かりました?


こたえは!


こちら↓


「ハエ取り瓶」 でした〜🤣



落ち着きますな〜❤️




このひさしを支える丸けたは、30mの一本杉だそうですよ、おくさん!!



そして、こちらのでっかい天狗のお面!



これが、2007年のある日、いきなり川から流れてきたそうな。


そして、持ち主が現れないため、北方文化博物館で引き取ったそうです。


この天狗の面をキッカケに、親方様のお屋敷にそっくりだと『北方文化博物館』は鬼滅ファンの心を鷲づかみにしたようです。


館内には、それはそれは見事な大藤棚もあるそうなので、なおさらですね!



大広間


ここに来て、鬼滅ファンでなくとも、私の心も鷲づかみにされました!


なんとまぁ、美しいこと‼️



百畳敷きの大広間から眺める庭園は、京都・銀閣寺の二つの清泉の石組発掘とその復元で知られる天才庭師・田中泰阿弥が5年の歳月をかけて作庭した回遊式庭園になっているのです。



しっとりとした美しさに酔いしれました。


酔いしれているところ↓


まさに、全てが贅を尽くした造りになっています。


反対側のお庭を見たところ↓






小林晋一氏の絵↓


めっちゃいい氣分で外へ出たら、「赤松洞穴 大日如来立像」がありました。



5代文吉がお手植えされたとされる樹齢350年の赤松が松枯れした際に、松と先祖の供養の為、8代文吉が松の下部をくりぬき祠とし、その松で大日如来を彫り建立したのだそうです。



素晴らしいものを見せて頂き、お腹も空いたので、館内にあるお蕎麦屋さんに寄りました。



お蕎麦をいただきながら、『ここは想像以上に良かったよー!』と話すと、めぐちゃんが『北方文化博物館は、かの船井幸雄さんイヤシロチだと絶賛されてたんだよ!』と教えてくれました。


何かをスマホで検索しているめぐちゃん↓


そして、この記事を探してくれました↓


そこには、このように書かれています↓


🟣 この館がイヤシロチである理由は、船井会長によると、伊藤家の代々の当主が代を重ねるうちに徳を積んだからではないか、ということです。


私は、新潟に住む友人から、その具体的な「徳積み」のエピソードを教えてもらいました。


それは農作物が不作であった年には、公共事業の形をとり、小作人が困らないようにしたそうです。


機械や道具を使えばすぐに出来てしまう仕事でも、あえて手作業で仕事させることによって、小作人への仕事を作り、賃金を支払ったそうです。


館内に掲げられている扁額「君子居中庸」「倹以養徳」は伊藤家当主の理念、家風を表し、また伊藤家の小作人に対する心遣いが感じられる「田地買うなら精々悪田を選び、悪田を美田にして小作に返すべし」という家訓は現在も息づいています。


<転載終わり>


また、後日めぐちゃんがプレゼントしてくれたこちらの本には、こう書かれていました↓


1964年の6月に新潟地方を襲ったM7.5の大地震で、他は甚大な被害があったにもかかわらず、ここの豪農の館では、屋根瓦ひとつ落ちず、壁にヒビもひとつも入らず、食器さえ割れなかったのだそうです。


船井さんは、ここを訪れた後は1ヶ月くらい体調が快調になるため、ここをイヤシロチだと言っていたようです。


私も訪れることにして良かったと思いました。


最後に、館内にある『三楽亭』をのぞいてみました。


ここは、他に類をみない正三角形の不思議な建物なのです。



窓から見える畳は、見たこともない菱形や三角形をしていて、柱もほとんどが菱形なのだそうです。


こんな三角の家は、どう見ても人間にとって最も住みにくい家です。


しかし、伊藤文吉氏は「安定感がなく、不快感のある形の中にいることで、他人のことではなく自分のことを省みるように」との思いでこの三角形の建物を造られたようです。



写真だと分かりにくいですが、家の角は直角ではないんです。


こちらは、書斎兼茶室に使われていたそうです。


ここはイヤシロチの敷地内でもあるし、珍しい三角の家の中で目を閉じて瞑想するのには良いかも知れませんね。


めぐちゃん、今年もいっぱいお世話になり、ありがとうございました😊



こちらの「北方文化博物館」も今頃は雪にすっぽり埋まっているんだろうなぁ。


大広間の戸は両側が開けたままだとめちゃくちゃ寒そうだなぁ🥶


なんて、懐かしく思い出しながら、新潟の大雪を想像しては震えています。。


11月の頃は暖かかったもんね!



年内に終わって良かった。。新潟旅。。😆