子どもたちの未来のために | misaのブログ

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私としましては、5月15日までにこのくらいの再生回数は狙いたいですね!↓





ストップ コロナワクチン!





またまたダディさん、2週間の公開停止に😭



ダディの学び舎2 誕生!




削除される前に見て!



  ナカムラクリニック院長のステキなお話



〜抜粋〜


5月以降は、講演の予定を極力いれないようにしている。


なぜなら、僕には講演よりも大事なことができたから。


それは、仕事より大事だし、ひょっとしたら、僕の命よりも大事かもしれない。


子供が生まれた。


3600gの男児。名前はまだない。


どういう名前にしようかと悩んでいたが、ある人が「無理して決めなくてもいい。生まれてからでかまわない。赤ちゃんが教えてくれるだろう」という。


なるほど、そういうものかと思って、変に焦るのをやめた。


そして今日、赤ちゃんを自分の腕に抱いた。


しかし、当然というか、名前のインスピレーションが降りてくることはありませんでした(笑)


会ってみて分かったのは、この子は間違いなく僕を認識していた。



夜10時、タクシーで産院に駆け付けた。


院長が僕を赤ちゃんのところに案内した。


僕は初めて我が子を見た。透明な保育器に横たわる我が子を。


「かわいい。抱っこさせてください」

そう言うと、その声を聞いてか、赤ちゃんが目を開けた。


こいつにとっては、きっと聞き慣れた声に違いない。


妻のおなかの中にいるときから、しょっちゅう声をかけていたから。


「赤ちゃんの神経系において、視覚の形成は遅いが聴覚は早い」というのが医学の教えるところである。


だから、この子の目はまだ見えていないはずだが、その目を開けて、僕を見ようとした。僕にはそれが分かった。


産後の妻がいる別室に案内された。そこに赤ちゃんが来た。


助産師に抱かれながら、ギャーギャー泣いている。


助産師は僕の腕に赤ちゃんを移そうとした。


赤ちゃんを抱いた経験のない僕は当惑した。


「こんなに壊れやすいものを抱いて大丈夫だろうか?火が付いたように、さらに大きな声で泣くのではないか?」


助産師から赤ちゃんを譲り受けた。


「すまんな、俺が抱っこなんかして」と赤ちゃんに謝った。


すると、泣いていた赤ちゃんがピタリと泣きやんだ。


声で僕を認識した。そして、安心し、泣くのをやめた。


そういうのが、僕には分かった。この子は、確かに、僕の声を認識している。


家に帰れば、ロンやツモをすぐに認識するだろう。


「ワンワン」いうあのやかましい吠え声を、おなかの中でさんざん聞いていたに違いないから(笑)


僕がこの子に会いたかったのと同じ強さで、この子も僕に会いたかった。理屈じゃなくて、そういうのって本当に分かるんだ。


男の中にも母性があるのかもしれない。


ずっとこの子を抱いていたいと思った。できれば家に連れて帰りたい。


院長に冗談半分に言ってみた。「僕は今日、この子と一緒に寝ます。連れて帰ります」


氣持ちとしては本氣だった。


院長、笑って首を横に振った。「お父さん、子煩悩やねぇ」


ひとり、帰りのタクシーのなかでも、赤ちゃんを抱いたときに感じた胸の高揚が残っていた。


なるほど確かに、愛情というのは、こんなふうに胸に宿るのだな。


そして、寂しかった。


なぜ一緒に帰れないのだろう。


僕は家にひとり。妻は病院。赤ちゃんは新生児室。なぜ、家族がばらばらでないといけないのだろう。



診察中、赤ちゃんが生まれたという連絡を受けた。


一日の診察を終えて、僕のほうから産院に電話した。「今から赤ちゃんを見に行ってもいいですか?」


「できません。当院のコロナ感染症対策です。面会は認められません」


ああ、これが今の社会か。


職場と家の往復だけの僕は、コロナで狂った社会とあまり摩擦を起こすことなく、これまで過ごしてきた。


しかし、今、自分にとって一番大事な時に、コロナ脳と戦うことを余儀なくされた。


事務員相手に吠えても仕方ない。「院長に変わってください」


何を言われても引き下がるつもりはない。絶対に会いに行く。


脳からアドレナリンがちりちり分泌されるのを感じた。


院長は、会話の端々にこちらの決意の固さを感じたようだ。


「分かりました。ただしガラス越しの面会ですよ」


ふざけるな。人を病原菌扱いするな。


叫びたい衝動を抑えて、冷静にやりとりした。


結局、手洗い消毒、ガウン着用については妥協した。その上で、赤ちゃんを抱く権利を勝ち得た。


赤ちゃんを僕に渡しながら、助産師が言う。


「普通ならこんなこと認めていないんですからね」特別のはからいであることをやたらと強調する。


赤ちゃんを腕に抱けたことは、途方もない喜びだった。


しかし同時に、この2年間で社会が染まった根深い狂氣に触れて、うんざりした。


一体、何だってこんな狂氣の時代に、僕を父親に選んで、こいつは生まれてきたのだろう。


熱くなった胸が、僕に教えてくれたものがある。


この子のためになら、何だってできるそうな氣がした。


成人のコロナワクチン接種には声をあげなかったが「子供への接種には反対」と立ち上がる人が多い。


子供を持つ人に多い印象だ。


僕は今、子供を持った今になってようやく、彼らの氣持ちが分かる。


まず、かわいい我が子がいる。そして、この子がデタラメを食らわされる社会にしちゃいけない。親はそういうふうに思うんだな。


僕はこれまで、かなり積極的に活動してきたつもりだけど、どこか漫然として、他人事の感覚があった。


しかしようやく、“当事者”になったようだ。


この子のために、コロナで狂った社会を変えないといけない。


人間は、自分のためよりも、誰かのためにこそ強くなれるみたいだ。


<抜粋終わり>


中村先生、おめでとうございます❣️


ステキなパパです。


本当に、この狂った世の中を何とかしたいですね。


子どもたちの未来のために。。


奈良・吉野への旅報告続き


ホンマ、旅報告がなかなか進まないので、とっくに桜のシーズンは終わってしまいました😅


そう、4月10日の早朝から、吉野の千本桜を見に行ってきたのですよ。


ホテルの朝食を食べるのを諦めて。。ホテルを6時半に出発しました。


それでも、すでに車は渋滞していました。


そこで私たちは、9時に歩行者天国で閉鎖される道路を、それまでに車で突破してしまう事にしました。


全方向に咲き誇る桜を愛でながら、まずは吉野の山の一番頂上あたりにある『吉野水分神社』を目指します。


てっちゃんが、事前に下見をしてくれていたおかげで、水分(みくまり)神社が山の上にある事が分かっていて良かったです。



前日に通行止になっていたポイントさえ、車で突破できれば、あとは道なりに進むのみでした。


そして、皆んなは徒歩で登ってきている中、私たちは楽勝で車で水分神社に到着しました。


◆ 世界遺産 吉野水分神社


水分神社は、通称、子守明神と呼ばれる神社で、「子守」とは、水分(みくまり)からの転訛と考えられているそうです。



山の上なのに、結構参拝者の方が多くて驚きました。



楼門を中心に廻廊の中が境内になっています。


楼門をくぐると、左手に拝殿、正面に幣殿。


右手石垣の上に、三棟連結された本殿があり、境内の中心が中庭のような形式になっていてとても珍しい神社でした。






神社に入る時、めっちゃ不思議な現象が起こりました。


「9時からホコ天になるので、この道を車は通れなくなります」とのアナウンスが流れる中、てっちゃんが時間を見たら、あと9分だ!と言うので、私たちは大急ぎで神社をまわったのです。


そして、車に乗り込んで時間を見たら、まだ8時40分頃だったのです。あら?なぜ?


なので、歩行者天国区間を、ちょうど9時までに抜ける事が出来ました。


タイムワープしたの?それとも急がせるためにわざと時刻を見間違えさせたの?


とにかく、おかげさまで大混雑の中、無事に水分神社まで行って来れたのでした。




そのあとは、ゆっくり吉野桜を堪能することが出来ました。




でも、まだ私たちには行きたい場所があるのでした。


続きます。。