和歌山の地震は前兆が確認されていた & 明け方の茨城の地震 | misaのブログ

misaのブログ

遊びに来てくださって ありがとうございます!






地震の規模は小さいですが、海溝付近で相次いでいるのが氣になるところ。

そして、本日5時前に茨城県で最大震度4、M4.8の大きな地震がありました。震源地から離れた場所が震度4?


我が家のあたりは震度1でしたが、揺れる1分前くらいにまたしても目が覚めました。

そしたら、しばらくして短く揺れたので驚き震源地を確認したのでした。

関東のみなさん、大丈夫でしたか?


さて、昨日15日も、和歌山県北部最大震度5弱の大きな地震が発生していました。


私も、先月頃から和歌山県の地震が氣になっていたのです。そしたら、やはり起きました。


東海アマさんが地震の前兆を捉えていた事が分かりました↓









大きな地震の前に、大量のラドンが出てくる現象は、地震が、地下数十キロの花崗岩帯で巨大な圧力による破壊が起きたとき、断層などの割れ目を通じて、地表にピエゾ効果による電荷やラドンなど電離粒子が放射されることによる。

冒頭に紹介した断層状雲は、この電磁氣現象を空が反映して地震雲を作り出したものである。

氣象庁や、大半の氣象学者が「地震雲は存在しない」と言っているのは、彼らが五感による自然観測を軽視し、高価な機械への信仰や、記録文献に頼り切っている愚かな事情による。

<抜粋終わり>

15日にも山に前兆が現れているので、まだ和歌山県は地震に警戒が必要かも知れません。

自然界を注意深く観察すれば、こうした地震前兆にも氣づく事が出来るのです。

しかし、東海アマさんが言われるように、氣象庁は自然観測を軽視しているようです。

何故なら、今年から生物季節観測が大幅に縮小され、「ウグイスの初鳴き」の時期などが観察されなくなってしまうからです。


生物季節観測とは、動物や植物の様子を観測するものだ。

生き物の振る舞いをもとにして、毎年の季節の進み具合の遅れ・進みを把握したり、長期的には過去の記録と比べることで氣候変動や都市化の影響などを知るために利用したりする観測である。

観測縮小にあたり、動物の観測はすべて廃止され、植物は「うめ・さくら・あじさい・すすき・いちょう・かえで」のみに限定されるという。

まだ問題なく観測が続けられている種目も含めた大幅な削減である。

氣象庁が挙げる理由だけを材料とするならば、あまりにも乱暴な「リストラ」と私には感じられるのだ。

防災関連の業務は増加する一方で、それ以外の人員を割く部分については縮小されてきている。

「観測精神」という言葉がある。

今この瞬間というのは、もう二度と戻ってこない、取り戻せない瞬間だから、観測する者はしっかりと記録しておかなければいけない、という心構えのことだ。

動植物の観測も同様である。

先人たちが約70年の長きにわたり続けてきた観測を途絶えさせてしまうには、上記の理由だけではあまりに「薄い」と私は感じるのである。

『生物季節観測』は無駄に当たるのだろうか。

氣温など観測機器で測定するデータさえあれば、人間による目視・聴覚による生物季節観測は不要なのだろうか。

「さくらが開花しました。50年前と比べると××日も早まっています」など、身近な生き物のようすで示されると、私たちは季節の歩みや氣候の変化を肌感覚として実感できる。

身近な動植物の様子から季節・氣候の状況を知ることができる。

「生物季節観測」は、四季の変化と生活が密接に関わり、季節や自然を愛でる日本人の特性が表れている観測とも言えるだろう。

<抜粋終わり>

私たちは地球上に生きている限り、自然界の営みとは切り離すことは出来ません。

それなのに、機械によるデータしか見ないと言うのは、人間味を無くしたようで、殺伐とした感じがします。

おそらく、これからどんどん人間をAI化、ロボット化させ、VR(バーチャルリアリティー)を活用させて脳を洗脳する為には、その方が都合が良いのでしょう。

虫の鳴き声を美しいと感じるのは日本人だけです。

外国人には、騒音に聴こえるそうです。

野に咲く一輪の花を美しいと感じ、野鳥や虫の声に耳を傾け、自然をみて侘び寂びを感じる感性を失わないでいたいものです。

カマキリが産み落とした卵の位置で、冬の降雪の高さを知ったり、富士山に笠雲がかかったら雨が降るなど、先人から教えられたことは沢山あります。

雲を観察したり、動物たちの動きを観察することによって、地震を予知することも出来るのです。

自然界から学ぶことは多いです。

自然を敬い、動植物と仲良くし、彼らの変化に敏感になっていたいです。

人類のロボット化に対抗できる唯一の道は、自然界のもの全てを神とし、自然と共に生きてきた、アイヌなど少数民族の方たちの生き方を学ぶことだと感じます。

アイヌとは『人間』と言う意味なのです。

地球・自然と調和し共存できる人間でありたいです。