「金剛三昧院」は北条政子が夫源頼朝、息子実朝の菩提を弔うために1211年に創建したお寺です。
始めは「禅定院」と称しておりましたが、承久元年(1219年)、三代将軍実朝公の逝去にともない、その遺骨を納め、禅定院を「金剛三昧院」と改めたそうです。
鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であったため、高野山の寺院の中心的な役割を担っていたそうです。
敷地は、さほど広くはありませんが、見どころがいっぱいでした。
なぜなら、「金剛三昧院」は高野山真言宗の総本山金剛峯寺の塔頭(たっちゅう)寺院で唯一、世界遺産指定を受けている寺院だからです。
多宝塔(国宝)⬇︎
この多宝塔は、1223年の鎌倉時代に建立されたもので、高野山に現存する建造物の中で最古のものであり、国宝に指定されています。
さらに、建久5年(1194年)に建てられた滋賀県の「石山寺多宝塔」に次いで日本で2番目に古い多宝塔となります。
なんと、その石山寺の多宝塔は、源頼朝さんが寄進したとの事です。
石山寺の多宝塔⬇︎(画像はお借りしました)
こちらは、「金剛三昧院の多宝塔」です⬇︎
五智如来とは、「大日如来」を中心に「阿閦(あしゅく)如来」「宝生如来」「阿弥陀如来」「不空成就如来」を配した五仏であり、密教における5つの知恵を表したものになっています。
中尊の大日如来像の首裡には「頼朝の頭髪」、後ろには「政子の爪・髪」が納められているそうです。
四所明神社⬇︎
「本堂」のご本尊の愛染明王像は、源頼朝公が亡くなった際、北条政子が当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作ってもらったものです。
(画像はお借りしています⬇︎)
「愛染明王」は、さ迷う心を正しい心へと変え、あらゆるご縁を結ぶ仏様だそうです。
恋愛成就や結婚、出産、家庭円満など女性が祈念することをつかさどる仏様なのです。
本堂の前の「錫杖(しゃくじょう)」を鳴らしたから、「愛染明王さま」にちゃんと祈りは通じているはず。。
金剛峯寺の「子院」は現在117ヶ寺ありますが、江戸時代末期には600ヶ寺以上もの子院が高野山に建ち並んでいたそうです。
「金剛三昧院」をゆっくり訪れる事が出来て、本堂に、いや、ほんとうに良かったです。
鎌倉や修善寺に住んでいた事のある私が、3回も高野山に足を運んでいる理由が少し分かったような氣がします。
ご縁があったのですね。
余談ではありますが、源頼朝や息子たちを暗殺したのは、なんと、北条政子の実の父親・北条時政だと言うウワサを耳にしました。
この話には、私でもショックを受けたくらいです。
当時の北条政子が知っていたかどうかは定かではありませんが、知らない方が幸せだったと感じます。
この「金剛三昧院」には、政子のどんな想いが託されているのでしょう。。
静かな高野山で、空海さま始め、たくさんの仏様に祈れた事、そして「アリエスタメーズ」4人の◯◯祝と言う人生の節目の時に来られた事、私たちの一生の想い出となりました。
帰りの高野山駅のケーブルカー展望台にて⬇︎