ミロクさまと空海さまのお力を今こそ 高野山で祈る | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

昨日、3月31日はアリエスタメーズの朋ちゃんのお誕生日でした!

朋ちゃんおめでとう🎉

高野山で○○歳のお誕生日を迎えられたなんて、ステキです。

23日のゆかちゃんを筆頭に、後の3人は28・31・3日と、きっちり2日おきの誕生日なのです。

私だけ、まだ若い。。ひひひ

その記念すべき日の早朝は、高野山奥の院で毎日2回行われている、お大師様に御膳を届ける「生身供(しょうじんく)」の勤行に参加して参りました。


今もお大師様は「瞑想したまま仏様になっている」と考えられているのです。


私たちは、3日間の滞在中、毎日奥の院の空海さまの所に出かけていた事になります。


1日目は夜、2日目は昼、3日目は朝に。


御廟まで2キロ、歩いて約30分はかかるので、朝6時までに灯篭堂の中で待機するために、朝5時20分に宿坊を出ました。


まだ薄暗い中、鳥たちのさえずりを聴きながら、私たち4人は黙々と早足で歩いたので、20分くらいで着いてしまいました。


まだ早かったので、「水向け地蔵さま」に順番にお一人ずつご挨拶させて頂きました。


その昔、御廟橋は高貴な方しか渡れず、庶民は橋の下に流れる川に入り、禊ぎながら聖域に入ったそうです。




現在では、こちらのお地蔵さまたちが代わりに禊いで下さるようになったんだそうです。


水は冷たいので、お地蔵さまたちの足元にだけそっと水をかけるようにするのだそうです。


「奥の院ナイトツアー」でお坊さんに教えていただきました。



私たちは、お堂の中で儀式が始まるのを待っていたので、外の様子は見れなかったですが、「御廟橋」の手前にある「網地蔵」の前で、お膳の毒味をした後、出発の儀が行われるそうです。


写真はお借りしました⬇︎


お膳は、すべて火を通した「一飯一汁三菜」の合計
5品と決まっていて、伝統的な精進料理が中心となっているそうです。


出発の儀の後、二人の僧侶がお膳が入った白木の箱を担いで灯篭堂の中に入って来られます。


御膳がお供えされると、5人のお坊さんによる読経が始まりました。

その声が低く響きわたり、時に歌のように抑揚があり、1時間があっという間でした。

数名の参加者の中、日本人は私たちだけのようでした。

空海さまがおられる場所のすぐ近くに、長時間一緒に居られたことが有難かったです。

お大師さまは、835321日に入定されました。


『遠い未来、弥勒菩薩が下生されるまで、私は高野の東の峰で禅定する。そのときが来たら、私も弥勒菩薩と共に、この世に現れるだろう。』と言い残し。


弥勒菩薩は、お釈迦様がなくなってから567千万年後にこの世に生まれるといわれている菩薩様で、お大師様は、いま兜率天(とそつてん)と言う天界で弥勒菩薩と一緒にいるといわれているのです。


てことは、今、世界に蔓延している新型コロナウイルスは、コロナ=567=弥勒とする説があるので、お大師さまも一緒に姿を現して下さるかも?


姿は見えなくとも、コロナと共に世界を変える為にお働き下さっていると感じます。


生身供が終了したあと、「弘法大師御廟」の前にて再び感謝と祈りを捧げて来ました。


祈るは、コロナウイルスの1日も早い終息です。


世界中の人々が、コロナウイルスによって色々な氣づきを得て、より良い未来の為に志を持つようになると、コロナウイルスもお役目を終え消えていくと思います。


お大師さま、弥勒菩薩さま、よろしくお願いします。



ここの「御廟橋」の所で、空海さまが皆さまを見送って下さるそうです。


「ありがとうございました」皆で深々と頭を下げました。




豊臣秀吉公の墓石にもご挨拶。


帰る途中、御遍路さんたちとすれ違いました。

空海さまは、『もし、私に会いたくば、「南無大師遍照金剛」と唱えよ。私は、その者と常に共にいるであろう』と言い残されていたそうです。


御遍路さんたちは、大きな声で「南無大師遍照金剛」と唱えながら歩いていました。


私も、それを真似て歌いながら帰りました。


「姿見の井戸」は、自分の姿が水面に写らないと大変な事になるので、みんなで恐るおそるのぞいてみました。4人共大丈夫でした。。ホッ。。。



お顔のある大木⬇︎

宿坊に着いたのは、7時半の朝食の時間を少し過ぎていました。



宿坊での最後の食事です。ホントに美味しかったです。ありがとうございました!

久美ちゃんと朋ちゃん⬇︎

3日間、4人の貸切りで自由に過ごせたお部屋ともこれでお別れです。

画伯のような久美ちゃん⬇︎

10時にチェックアウトした後は、近くの金剛三昧院を訪れました。

金剛三昧院」は、尼将軍北条政子が、源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立した所です。

私は以前にも行った事があり、また行きたいなと思っていたのですが、たまたま時間もあり、宿坊から歩いて行ける場所だった為、願いが叶いました。

世界遺産にもなっているお寺ですが、よほど時間がなければスルーされてしまうので勿体ないのです。

でも、長くなるので訪問記はまた明日。


お坊さんたちが、仏具を磨いていました。

左のが、ピカピカ(右)に!!⬇︎

いい仕事されてました!!

私たちが泊まっていた別棟⬇︎

場所をよく調べないで予約したのですが、「恵光院」さんは、奥の院入口にとても近い場所にあり、それが今回こんなにも大事なポイントだったとは思いませんでした。

何しろ、「ナイトツアー」と「生身供」参加は予定外だったので、奥の院に3回も足を運ぶなんて、これまでの3回の旅の中でも1番の快挙でした。宿坊が近くて助かったのです。

とっても心地よい宿坊でした。

お世話になりありがとうございました!


続く。