なぜ変われない? | misaのブログ

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あと1ヶ月で、福島の原発事故から8年が経とうとしています。

あの事故の衝撃は、まるで昨日の事のように鮮明に覚えています。

しかし、東京への五輪招致演説で我が国の首相は「汚染水はアンダーコントロールにある」と言い、2020年に日本でオリンピックが開催される事となってからは、まるで福島の事故はなかったかのようにされています。

そして、隙あれば原発を再稼動させようとしています。

現在、我が国では、
九州電力玄海原発3・4号機
●川内原発1・2号機
●関西電力大飯原発3・4号機
●高浜3・4号機
●四国電力伊方3号機

が稼働しています。

事故から8年で、もう9基も平氣で動かしているのです。

原発がなくても、電氣は充分足りていたというのに。

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日本は地震大国です。原発がある事を怖いと思わないのでしょうか。

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地震多発地帯に、こんなに原発を多く置いているのは日本だけです。

ドイツなどの諸外国では、日本の原発事故を見て、原発から自然エネルギーの方にシフトしていったというのに、どうして日本は変われないのでしょうか。

原子力ムラの利権がよっぽど美味しいのでしょうか。

原発を建てる時に猛反対した人々も、国の巨大な力の元にはなすすべが無かったんだと思います。

辺野古埋め立ての状況がそれを良く物語っています。

けれど世界を見渡せば、今や原発は時代遅れの産物となって来た感を否めません。

日立や三菱重工が、英国やトルコで進めようとしていた原発建設も撤退を余儀なくされ、安倍政権の目玉政策だったはずの原発輸出は、ことごとく失敗に終わっています。

採算が取れない原発ビジネスは、世界のトレンドからはかけ離れて来ているのです。

自動車が自動運転になり、やがて空を飛ぶような時代に、ひとたび事故が起きたら国をも滅ぼすようなリスキーなエネルギーに固執するでしょうか。

世界には自然エネルギーがあふれているのです。

利権のために原発推進を止められないのは、日本だけかも知れません。

核の恐ろしさを2度も体験した唯一の国なのに、そこから何も学べないとは。。

地球は、私たちの為に何でも用意してくれていました。

生き物が病氣になった時には、その症状を治せる植物が必ずあるそうです。

自然からのエネルギーも、空・風・火・水・地という5大要素が全部揃っています。

太陽光・風力・火力(バイオマス)・水力・地熱発電。

自然は、「私たちを利用しなさい」と人類に優しく語りかけてくれているのです。

だから、核だけは手を出してはいけなかったのです。

ホピの人々が長い間守り続けて、地中深くに眠っていたウランを、掘り出してはいけなかったのです。

それは、人類の手に負えないものだったから。

下手をすれば、人類や他の生命をも滅ぼしてしまうものだったのです。

日本にある50基以上の原発は、自分たちに向けた核爆弾のようなものです。

そんな危険なものを、よその国に勧めるなんてとんでもなく、一刻も早く廃炉にしなくてはいけないものなのです。

人の手では管理するのは無理です。

プルトニウムは、いざとなったら核兵器に、なんて考えは捨てて下さい。

以前に、大飯原発の運転差し止め判決(2014)を出した元裁判長・樋口英明氏の事をご紹介しました。

★この時期に思う 原爆・原発のこと

昨年末に、再び樋口氏へのインタビューが北海道新聞に載ったとの事。

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★北海道新聞

その記事から抜粋します⬇︎

――福島事故が起きるまで原発についてどう考えていたか

「恥ずかしながら全く関心がなかった。専門家が『安全だ』と言うのを信じていた。」

――大飯原発の差し止め判決に続き、15年には関電高浜原発の再稼働を差し止める仮処分も決定した。なぜ原発を止めるべきだと考えるようになったのか

「まず、裁判の争点が原発は強い地震が来ても大丈夫かという点ではなく、強い地震が来るか来ないかという点だったことに大変驚いた。
原告の住民は『来るかもしれない』と主張し、関電は『来ない』と反論していた。
つまり、原告も被告も強い地震が来れば原発は耐えられないとの前提で議論していた。

大飯原発の耐震設計の目安となる基準地震動は当時700ガルだった。
関電はその1.8倍の1260ガルまでは耐えられると言っていた。
逆に1260ガルを超えると危ないことは認めていた。
そのうえで700ガル以上の地震は来ないと言っていた。

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国内では2000年以降、
東日本大震災(2933ガル)や
胆振東部地震(1796ガル
を含め1000ガル以上の地震が16回700ガル以上だと29回も観測されている。

原発のある場所だけは揺れないなんて保証は何もない。

2005年以降に4つの原発で5回、基準地震動を上回る揺れを観測した。

最もひどい例は、東電柏崎刈羽原発で、建設当時は基準地震動を450ガルと想定していたのに、2007年の新潟県中越沖地震でその3倍を超える1700ガル近い揺れを記録し2300ガルに引き上げた。

過去に決めた数字が想定を超えたから修正した。
大飯原発の数字だけは正しいと言われても信用できない。

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大手メーカーの住宅は3000ガルとか5000ガルに耐えられるよう設計されているものもある。

原発は一般住宅より耐震基準が低い。

――判決で国富とは何かを論じた部分が印象的だが、あの文章に込めた思いは?

「二つのこだわりを持っていた。
一つは保守から見ても革新から見ても納得できる文章にしようと。
なので何十回も練り直した。
今は保守が原発を推進しているが、国土や故郷を大事にするのが保守のはずで、保守こそ再稼働に反対すべきだと。

もう一つは、原発事故で故郷を追われた人の気持ちを少しでも代弁したいと思った。

福島では10万人以上の人が一斉に故郷を追われ、生活を失った。
その重みを考えるべき。」

――その判決は控訴審で取り消された。大飯原発は新規制基準に適合する、とした原子力規制委員会の判断を合理的と認めた

「原発が安全だときちんと確認して取り消したのなら、私も安心できるし、この国にとっても良い。

でも判決は、新規制基準はつじつまが合っている、それに従っているから心配ないといった理屈だった。

心底がっかりした。

規制基準は専門家が作るのでつじつまは合って当然。
多くの裁判で規制基準は合理的だと言われているが、国民を原発の放射能の危険から守れない恐れがあるなら不合理だ。」

――それでも原告は最高裁に上告しなかった。なぜか

「住民が最高裁に少しでも期待するなら上告した。でも全く期待しなかった。
控訴審の誤りを最高裁が正すことは100%ないと思ったのだろう。

司法は福島事故を直視すべきだ。

――原発の再稼働の状況をどう見ているか。月刊誌に「小舟で太平洋にこぎ出すようなもの」と寄稿していたが。危ないと

「嵐は来ないと信じて大海原に出て行くようなもの。運が良ければ助かるが、そうでなければ大変なことになる。
危ないというのは
《1》事故が起きた時の被害が大きい
《2》事故の発生確率が高い
という二つの意味がある。」

――今後、原発はどうするべきか?

「地震を予知できない以上、全ての原発をすぐに停止すべきだと考える。

地震は、いつ、どこで、どのくらいの強さで来るか分からない。
徐々に原発を減らしたとしても、唯一動いている1基を強い地震が襲うかもしれない。
ロシアンルーレットのようなもの。

脱原発を目指す人にとっては、3.11後も多くの裁判が原発を容認していることに無力感を覚えるかもしれない。

でも、無力であることと非力であることは違う。

一人一人の力は小さく、非力でも、多くの人が原発に関心を持ち『原発はやめるべきだ』と言い続ければ、司法も変わるはずだ。」

☆☆☆<抜粋終わり>☆☆☆

樋口さん、いつも熱いメッセージをありがとうございます。

私たちの命に寄り添って下さる裁判長さんがいたという事を誇りに思います。

人類を破滅に導くような危険なエネルギーに頼らずに、宇宙から元々準備されていた地球に優しいエネルギーに変えていきましょう。

2度と、ふるさとを無くす人々を作らないために。。