広島・長崎に原爆が投下されてから、73年が過ぎ行きました。
もう、当時の体験を語れる方はわずかになってまいりました。
けれど、決して風化させてはいけない、忘れてはいけない日に変わりはありません。
私は毎年、8月6日が来ると、この記事を思い出します。
★二重被爆~語り部・山口彊の遺言
★「はだしのゲン」を忘れない
そして、その原爆が作られた元のウランは、アリゾナのホピ族の大地から掘り出されたものである事から、これまで3度もホピの地に赴き無言のメッセージを感じて来ました。
★ホピ族と原爆との関係
そのウランは、今や原発の材料にもなっています。
「核の平和利用」としてもたらされた原発ですが、ひとたび事故が起これば、原爆と何ら変わらぬ恐ろしい凶器となるのです。
福島の原発事故後初めて、大飯原発の運転差し止めを命じたひとりの裁判長がいました。
元 福井地裁裁判長・樋口英明氏です。
実は、私は樋口さんに数回お会いしています。
とても物腰の穏やかな優しい風貌は、私がこれまでいだいていた裁判官のイメージと全く異なっていました。
心優しい樋口さんだからこそ、住民の命をまず第一に考えて、原発の危険性を訴える事が出来たのだと感じました。
差し止め判決の経緯は、こちらにまとめてあります⬇︎
★森友問題と同じ構造 大飯原発再稼動 その1
★森友問題と同じ構造 大飯原発再稼動 その2
樋口さんの名誉の為に申し上げると、15年4月に福井地裁から名古屋家裁に異動になったのは、決して左遷ではなく、想定範囲内の人事異動だったんだそうです。
しかし、その後就任した裁判官らは、お国の方針に楯突かない人たちで、樋口さんの運転差し止めの仮処分をすぐに取り消してしまったのでした。
その樋口さんが、8月4日付の朝日新聞の朝刊に大きく取り上げられました。
樋口さんの奥様が、新聞をご丁寧に送って下さいました。
インタビューには、こんな事が書かれていました。
樋口さんが、原発の再稼動を認めない方向に心が傾いたのは、
「過去10年間に4ヶ所の原発所在地で、原発の耐震設計の根幹となる基準地震動(想定する最大の揺れ)を超える地震が5回も発生した」ことを知った時だそうです。
住民側は、「想定を超える強い地震が今後起きるかも知れない。」
関西電力側は、「原発の敷地の地下では、700ガルを超える地震は起きない。」
と争っていたのですが、どちらにしても、「原発は強い地震には耐えられない」ことを前提に議論していたことに、樋口さんは驚いたそうです。
なんと!大飯原発は700ガルの地震にも耐えられないのです。
最近の住宅でさえも、3400ガルもの耐震を保証しています。
日本国内で、かつて観測された最大の地震は、4022ガルだそうです。
樋口さんは、福島で原発事故が起きた時、「正直言って、日本の原発があれほど弱いとは思っていませんでした。」と語っています。
そうして、「地震大国日本において、基準地震動を超える地震が、大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにしかすぎない」として、運転差し止めを命じたとの事です。
樋口さんは「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失である。」と。
広島・長崎に投下された原爆も福島原発も、それを奪いました。
核はやはり私たちの手には負えないもの。
核が悪いのではなく、それを扱う人間の技術が伴わないのです。
だから、核は元あった場所で静かに眠っていて欲しいと思うのでした。。
日本国民が、絶対に忘れてはいけないこの時期に、心優しい樋口元裁判長さんが、朝日新聞に取り上げられた事に深く感謝いたします。
核が使われない世の中に。。