《閲覧&想像注意!》「叫ぶミイラ」ついに公開 | misaのブログ

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★テレ朝ニュースより
エジプト博物館の「叫ぶミイラ」初めて一般公開

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エジプトの博物館で世にも珍しいミイラが発見から130年以上を経て初めて一般公開され、話題となっています。

「叫ぶミイラ」はDNA鑑定の結果から、今から3000年前に古代エジプト王朝で権勢を誇ったラムセス3世を暗殺したとされる息子のペンタウアー王子とみられています。

王子はその後に処刑され、ミイラにはその時の表情がそのまま残されています。

また、他のミイラのように白い布ではなく、当時、不浄とされたヤギの皮で包まれていて、「地獄へ落ちるように」という意味が込められていたとされています。

1886年の発見以来、初めて一般公開され、カイロのエジプト博物館には1週間で2万人が来場するほどの人気だということです。

★トカナより
“悲惨な死に方” 130年以上謎だった“父殺し”の刑がヤバい!

ペンタウアーは“父殺し”としてエジプト史に汚名を残していることで知られており、古代のパピルス文書によると、自らの息子ペンタウアー王子を次のファラオにしようと目論んだ第二王妃ティイが、王家の関係者とともにラムセス3世の暗殺を計画、ペンタウアーもそれに加わっていたと言われている。

実はラムセス3世のミイラにもいくつかの謎があり、その死因が特定されていなかった。

やっと暗殺の全貌が解明されたのは昨年3月のことである。

ラムセス3世暗殺の実行犯は2人いたと見られている。

1人はラムセス3世の正面から斧のような武器を振り下ろし、ラムセス3世の親指を切断。

次に背後からもう1人の暗殺者が、ナイフのようなものでラムセス3世の首を切り裂き殺害した。

ラムセス3世暗殺後、ペンタウアーは、暗殺計画に加わった容疑で処刑され、ミイラ化されたと言われている。

ペンタウアーの絶叫ミイラは、1886年にナイル川西岸で発見された。

通常そこで発見されるミイラはリネンに包まれ、丁重にミイラ化されているものだが、絶叫ミイラは当時乾燥剤として使われていた鉱物であるナトロンに漬けられ乾燥させられただけで、粗末な羊皮に包まれていたという。

当初、考古学者らは、絶叫ミイラの姿から、毒殺されたのではないかと推測した。

しかし、近年の研究で定説を覆す驚きの事実が明らかになったというのだ。

エジプト考古学庁によると、絶叫ミイラの首に見られる跡は、絞首された際にできたものである可能性が高いという。

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ザヒ・ハワス氏の話「この恐ろしいミイラは長い間、研究者を悩ませてきました。

このような普通じゃないミイラ化の手法はエジプト学者を困惑させ、数年前に私の指揮のもと、エジプト博物館の所蔵ミイラに関する法医学的データベースを作成するプロジェクトが始まる前までは、誰ひとりとしてミイラの背後にある事実を突き止めることに成功した者はいませんでした」

しかし、絞首刑で死んだ人間が、このように叫ぶような苦悶の表情を浮かべるものだろうか?

ミイラの状況を見る限り、誰かに馬乗りにされ、首を絞められたかのような印象を受ける。

少なくとも、現在の日本で行われているような処刑法ではなかったと考えられるだろう。

より苦しみを感じる方法でじわじわと窒息させられたのではないだろうか……。

およそ18歳でその生涯を閉じたペンタウアー。野望の代償はあまりにも大きかったようだ。

<転載終わり>

★ラムセス3世

こんな見せしめのようなミイラが存在するなんて。。

エジプトでの過去世で、アクエンアテンやツタンカーメンを呪い殺した人物と言われている私としては、他人事ではないような。。ブルブル。。

自分たちがエジプト考古学博物館に行った時期とズレていて良かったです。

激混みになっているようですから。

そんな怖いミイラ、よく見に行くなあ。

氣を取り直して、エジプト訪問記続けます。

「セラピウム」の後にランチを済ませ、私たちはバスでメイドゥムという場所に向かいました。

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「崩れピラミッド」が見えて来ました。

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この時、「赤ピラミッド」ですでに筋肉痛になっている私たちに、さらに第2の試練が忍び寄っている事に、ツアースタッフ以外、誰も氣づいてはいませんでした。

昨日は新月でしたが、忘れもしないちょうど前回の新月の日の事でした。

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はい、再びピラミッド内部に入ったのでした。。

ピラミッド内は、撮影禁止でしたのでこちらより画像をお借りします⬇︎
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暗い中、坂を下ったり、ハシゴを登ったりの、まさにアドベンチャーワールド。。

そして、やはり暑くて臭い。。(コウモリの尿のアンモニア臭)

ピラミッドから出て来た頃には、両足のももが引きつっていました。

その後、全員が4日間もの長きに渡り、足の激痛と戦う事になります。

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しかし、試練はそれで終わりじゃなかったんです。

「崩れピラミッド」のすぐ東側に、マスタバ墳がありました。

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このマスタバ墳は、このピラミッドを造ったスネフェル王の双子の兄弟のミイラがあった場所かも知れません。

★スネフェル王の3つのピラミッド

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ここに入ると言うのです。(希望者のみ)

しかも、四つん這いで進まないといけないほどの狭い穴なんですと。

私は、上下白い格好だったので、辞退させて頂きました(汗)

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けれど、ほとんどの若い方々は勇敢にも入って行かれました。

ツアースタッフのエジプト人の方々も、何とスーツ姿で潜って行きました。

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エジプトは、どこへ行っても観光警察の方々が銃を持って、しっかりとガードして下さいます。

待つこと、15〜20分。

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穴から這い出して来た方たちは、みんな手も足も真っ白になっていました。

中には棺があったそうです。

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(画像はネットよりお借りしました)

ここは、観光客が滅多に訪れないような有名ではない場所ですが、だからこそ、とてもパワーのある神聖で重要な場所なんだそうです。

すごく思い出深い長〜い2日目が、いよいよ終わろうとしていました。

メイドゥムからバスで2時間かけて、メニアにあるホルスリゾートホテルに到着しました。

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変な歩き方をしている集団になっていたと思います。

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お部屋は可愛いかったんですが、確かお風呂のお湯が途中から水になってしまったホテルだったと記憶しています。

ハワイ島でも、そうだったのですが、日本と違い外国は、シャワーのみにしないとお湯が足りなくなってしまう事があります。(ここだけでしたが)

ほんとに日本は有難いなと痛感します。

なので、お風呂で筋肉痛をもみほぐす作戦は失敗したのでありました(泣)

翌日は、どんな1日が待っているのでしょうか。

ワクワクしながら皆、深い眠りにつくのでした。

やっと2日目、終わりです。

お付き合いありがとうございました。