富士山を守護するために | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

先般より私がしきりと「不二阿祖山太神宮」の復興の事を書いて来たのにはワケがあるのです。

皆さん、この地図をご覧ください。

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中央が富士山

左手の★マークに位置するのが富士宮にある『富士山本宮浅間大社』

そして、右手の赤いマークの場所には『不二阿祖山太神宮』があるのです。

もう、お分かりでしょう。

富士山をはさんで、きれいに直線上に並んでいるのは、北東が富士山の「鬼門」、南西が富士山の「裏鬼門」にあたるからなのです。

江戸時代までは、都市の建設にあたっては、鬼門の方角に、その都市を邪気や悪霊から守ることを目的として、霊験あらたかな神社や寺院を建立することが常識とされていました。

この事は、この二つの神社が「富士山を護る」ために大きな役割を果たしていた事を意味するのです。

ところが、富士高天原に鎮座していた「不二阿祖山太神宮」が、都が大和に移されて天皇による日本統治が開始されてからというもの、著しく衰弱して、即位式も行われなくなってしまうのです。

そして、平安時代になると富士山は、延暦(800)と貞観(864)の2度の大規模な噴火を起こしています。

鬼門である「不二阿祖山太神宮」の力が弱まった為、また、本来祀るべき神を祀らなかった為、噴火を引き起こしたとも考えられるのです。

それ以後、富士山は活発な活動を繰り返していたのですが、平安時代末期にあたる1083年から、室町時代の1511年まで、400年以上にわたり、ピタッと噴火が止んでいるのです。

どういう事かというと、前世の我が夫?(笑)である源頼朝が阿祖山太神宮を再興していたのです!!

えらいわ、あなた(笑)

「宮下文書」にその事が記載されているそうです。

延暦の大噴火で壊滅的な被害を受け、すっかり寂れ果ててしまった阿祖山太神宮を、鎌倉時代の1193年、頼朝公は社地神領を寄進して神宮を復興させ、自らも参詣した、と。

また、頼朝公は裏鬼門にあたる「富士山本宮浅間大社」の方も篤く崇敬する事を怠りませんでした。

この事が、富士山の噴火を抑えたかは定かではありませんが、室町時代に入ってまた「阿祖山太神宮」が廃れてしまうと、再び富士山は火山活動を活発化させ、江戸時代の1707年に、未曾有の大噴火である「宝永噴火」を起こしているのです。

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また、北東の鬼門は「艮(うしとら)」とも呼ばれ、「艮の金神」は「国常立尊」のことを表しています。

艮の金神さま、つまり国常立尊は、世に落ちていた神ですが、時節が到来すると、世を立て替え立直す為に表に出る神であると言われています。

鬼門を護る神は、国常立尊ですが、元々「不二阿祖山太神宮」に祀られていたのも国常立尊だったのです。

そして、「富士山本宮浅間大社」に祀られていた神も、昔はニニギノミコトではなく「国常立尊」だったのです。

この二つの神社の主祭神が「国常立尊」であるという事は、「国常立尊」は富士山そのものの神格化でもあります。

世の立て直しの神である「国常立尊」を復活させる事は、日本で一番古い神社「不二阿祖山太神宮」の復興にかかっていると言っても過言ではありません。

富士王朝の復活は、人類救済の始まりでもあり、二つの神社、この両輪を栄えさせる事が富士山を護ることに繋がるのだと感じています。

まだまだ「不二阿祖山太神宮」の事は世間に知られておらず、再建も途中です。

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観光地化ではなく、神宮の存在意味をよく理解して下さる方が、たくさん訪れて再建の為にご協力を頂ければと願っております。

明日、2月4日は本当の意味での新年です。

ここからが勝負です。

「不二阿祖山太神宮」でも、「立春大祭」が執り行われます。

駐車場があまりないのですが、行かれる方はよろしくお願いします。

場所を地図検索される時は、こちらの座標をお使い下さい。

35°28'48.4"N 138°50'03.9"E

【住所】
山梨県富士吉田市大明見上山神戸3510

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明見湖のほとりにあるのは、「宮下文書」を保管している本部になります。

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「不二阿祖山太神宮」で地図検索をすると本部の方が表示されます。

神社の方は、山を越えた南側です。道が細いので運転にはご注意下さいね。

続きます。。